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「遠いデザイン」第9話

 メディア通信社の映像室でカーディーラーのプロモーションビデオの編集に立ち会いながら、七瀬は、高速の輪転機から大量ロットで刷り上がるチラシの束がパレットにうず高く積まれていくのを想像していた。
今日は最後まで残っていたチラシの納品日だったが、印刷会社からJAへ直接納品されるため、七瀬が立ち会うことはない。

 三人掛けのスチール机の隣には、ノースリーブ姿の美紀が頬杖をついたまま、生気のない目をモニターに向けている。剥き出しになった白い二の腕の前には「工場直送」というラベルが付いたコンビニの菓子パンが半分残ったまま転がっている。

 先週ようやく新聞に折り込まれたカーディーラーのスプリングフェアのチラシ。三回も大幅な訂正をくらったわりにはまともに制作費が出なかったので、室長がその穴埋めにと、新車発表ビデオのナレーション書きを七瀬に回してよこしたのだ。室長は萌子の方にも何か別の仕事でデザイン費の補填を約束しているらしかった。

〜ファーストクラスのドライブコミュニケーションへ〜
 エコーのかかったナレーターの声に続いて、八人乗りの新型ミニバンが欧州とおぼしき古い街並みを駆け抜けていく。石畳の道から海岸通り、田園の一本道へとシーンは移り、徐々にロングショットとなって、小さくなっていく車体に室内の家族の笑顔がオーバーラップする。

「別に、編集の必要、ないじゃん。うちの東京本社がつくったものの焼き直しでしょ。映像には、全然手を加えていないし。そう、ここのフレーズ。ここだけ、七瀬さんが付け足してくれたのよね~」
〜今度の週末はお近くのお店で体感ドライブを〜

 たった一行のコピー、わざわざライターに頼むまでもないお決まりのフレーズ。後は県中部のディーラー名がクレジットで流れてビデオはフィニッシュとなる。生あくびをかみころした美紀が食べかけのパンに手を伸ばす。
 試写一回で、美紀がミキシングルームにいるオペレーターにOKサインを送る。二人が同時に椅子から腰を浮かしかけた時、外の通路の方から三谷とわかる鼻歌が近づいてきて、ドアの覗き窓に細目が映った。

「七瀬ちゃんじゃない。なに、今日は? なんの編集? あっ、そうそう、ずいぶん、長丁場になっちゃったけど、おかげさんで、JAの方、午前中に片づいたよ」
 ドアを開けながら三谷はそう声をかける。一年間忠実に働いてくれた売上功労者を前に、その響きは空々しいほどに明るい。
「ずいぶんじゃないですか、課長。途中から、ぜんぶ、こっちにふってよこすなんて」
「いや、オレもね、本部の方には、ちょこちょこ顔出してたんだけど、ほら、こっちも、レギュラーもんの会報誌や、支部ごとのチラシなんかも抱えてるだろう。手が回んなくてさ」

 メディア通信社に入社以来、三谷はJA一筋の営業を続けてきた。協同組合という前近代的な組織には彼みたいな泥臭い営業が合うのか、年々、各部署にコネクションを広げ、営業のパイプを太くしてきた。彼が入社間もない頃、同じように新人だった職員の中には、今では役員にまで登りつめた者もいて、そんな要人への個人的な付け届けを毎年欠かかさなかった。

「課長、私の方だって、オンラインショップ立ち上げるの大変だったんだから。それに印刷と違ってネットの方は、ずっと、メンテナンスしなけゃならないし」
 横から口を挟んだ美紀が、突然言葉を切った。七瀬の方へ向き直った顔に笑みが浮かんでいる。
「でも、七瀬さんは寂しいでしょう? もう川奈さんと会えなくなってしまって」
七瀬は一瞬、言葉を失ったが、それが不自然な沈黙となる前に、三谷の頓狂な声が走った。

「ああ、そういえば、観光課の女の子たちがおかしなこと話してたぞ。亮子、あっ、いや、川奈さんね、なんでも、七瀬ちゃんの前に出ると、いつもと様子が変わるっていうんだ」
「えっ、課長、それってどういう意味?」
 美紀の声のトーンが上がる。
「急にそわそわしだすとか、顔が赤くなるとか、なんか、そんなこと話してたよ。ほら、新館にできただろう、喫茶室が。オレ、テーブル隣だったから、話し、筒抜けだったよ」
「そっ、そんなわけないよ。川奈さん、いつも落ち着いた感じだったし。それに、オレたちの打ち合わせなんて、いつも、素っ気ないものでしたよ」
 七瀬は頭の中が白くなった。
「なに、 顔が赤くなるって、いつの時代の話? まるで田舎娘じゃない。あの子、どこの生まれなのよ?」
「たしかS町だよ。組合報にそう書いてあった。学校は、えっ〜と、どこだったかな~」

 S町。こんな状況にあっても、三谷のその一言が頭に引っかかる。ほとんど信じられないことだが、それは七瀬が亮子について知り得た、唯一のプライベート情報だった。入社以来JA一筋、職場通、裏事情通の三谷から、もっと亮子のことを聞き出してみたくなる。

「もしかして、川奈さん、七瀬さんに気があったりして」
 七瀬が一番恐れていたセリフを美紀はあっさりと口にした。七瀬はほとんど反射的にこう言い放った。
「そんなこと、ありえないよ。だいたい、トシだって二十以上離れているし、川奈さんから見れば、オレなんか、そこらへんに転がってるただのオヤジの一人だよ」
「わからないわよ、トシ、全然気にしない子だっているし。七瀬さんって、若く見えるし、生活感ないから、あの子、独身だって勘違いしてるんじゃないの?」

 強いドアの開閉音を残して、突然、三谷が映像室から出ていってしまった。七瀬は同じようにきょとんとしている美紀と目が合う。
オレだけが持ち上げられている状況に我慢できなくなったのだろう。七瀬はそう察して無理に咳払いをする。

 美紀と二人きりになってしまうと、さっきまで盛り上がっていた場の雰囲気は穴の開いた風船みたいに一気に萎んでしまい、七瀬は何か難しい顔をしている美紀に、もうかける言葉も見つからない。ちょうどミキシングルームから出てきたオペレーターが彼女に話しかけたのを潮に、七瀬は挨拶もそこそこに映像室を出た。
 
 七瀬は、自分が目にしてきた亮子が、今、三谷が話したようにはとても思えなかった。どうせ課長の言うことだ。話半分だと思いながらも、ついつい中年男の頬が緩んでくる。
 亮子は亮子で、JAとは風土が違うオレみたいな広告畑の人間と仕事をするのが楽しかったのかもしれない。彼女が好感を抱いてもおかしくないくらい、今回の仕事に身を入れてきたつもりではあった。

 コンビニとドラッグストアが幅を利かせる表通りの商店街に出ると、暇を持て余したように軒先に出て歩行者を観察する店主や、厚化粧のホステス候補に目を走らすキャバクラの男性店員や、ファーストフードを貪りながら歩く高校生たちの姿が目につくが、これまで目障りだったそんな光景が今日は微笑ましくも映る。

 軽い足取りで事務所に戻る途中で、七瀬は軽い疼きを感じた。それは彼が不思議な懐かしさを覚えるほど、今では遠い異形の疼きだった。
 

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