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「遠いデザイン」第6話

 アーバンライフエクスタシー、というキャッチフレーズで始まるコピー案を七瀬はラップトップパソコン越しに美紀に差し出した。JAの色校が上がった日から二日でやっつけたマンション広告の仕事だ。
「都市生活者の官能、ってとこね。いつもカタめの七瀬さんにしては、ぬけてるコピーじゃない?」

 美紀はコンピュータ画面の中の画像データをクリックする。先日、デジカメ撮影してきたものだが、整地中だった現場には妙に質感のある合成マンションがそびえ立っている。画像専用ソフトで色補正された街並みは明るく、撮影時、暮色の濃かった夕空も澄んだ青色に変わっていた。
「この合成写真は押さえにして、メインは別のビジュアルにしようと思うの。七瀬さんがつくってくれたこのコピーをからめて、もっと生活寄りのイメージでどうかな?」

 プレゼンは広告代理店四社の競合だった。建物というハードを全面に出すだけではインパクトに欠けるし、目新しさもない。七瀬は美紀に頷き返す。
 彼は、朝一番でメディア通信社のサテライトルームにきていた。フロアの奥に控えるクライアント専用の会議室と違って、誰もが自由に出入りできる打ち合わせスペースとなっていて、受付に顔を見せる人たちが筒抜けに眺められる。

 フリーのデザイナー、印刷会社の営業マン、サンプルを抱えたノベルティ業者、イベントの面接に訪れたコンパニオンなどなど、この三十分ほどのあいだに、人間動物園さながらに、〝広告園〟の自称、業界人たちが入れ替わり立ち替わり現れて、中には、そのままこのルーム内に入ってきて、打ち合わせや雑談をはじめる者たちもいた。

 美紀が用紙を広げて水性ペンでスケッチをはじめる。大きな窓を背にして、男と女がワイングラスを持って見つめ合うざっくりとしたイラストが現れる。窓に映るのはきらめくのはビル街の夜景だ。

「こんな感じかな。マンションの最上階の部屋。そこで上質な都会の夜を楽しんでいるカップルをビジュアルにするの。ちょっとセクシーにふってね」
 とにかくこの場でメインのビジュアルを決めなければならない。それを元に五日ほどで、新聞広告とチラシのカンプ、テレビCMの絵コンテを完成させる。実際に手を動かすのは数名いる外部のデザイナーたちだが、総指揮のタクトを振るのはディレクターである美紀の役目だ。

 独身で、三十を過ぎたばかりだが、美紀にはディレクターの肩書きがあった。十五歳も年上ではあったが、外注の一人に過ぎない七瀬とは違いプレゼンに対する責任は重い。じっと考え込んだり、憑かれたようにしゃべりだしたり、彼女なりの真剣さを見せる美紀と、こうして意見をぶつけあうたびに七瀬は共感というものを考えずにはいられない。

 人と人とはぴったりと重ならず、どこかにズレが生まれるものだ。年齢のズレ、知識のズレ、性格のズレ、価値観のズレ……、いろいろあるが、その隔たりが大きすぎて、感じ合えるものが少しもなければ、美紀は仕事のパートナーとして自分を選んでくれないとはずだ。

 それは、広告の仕事がまた個人的な範疇でやり取りされていることを意味してもいた。企業間の理性的、合理的な取引ではなく、一人の発注者の好き嫌いという動機、つまりお友達感覚の延長だ。そんな風に考えると、七瀬はこれから五年後、十年後、若返りしたメディア通信社の社員の中に、自分と共感しあえる人間を見つけられるかどうか不安になる。

 すでに満席となったルーム内には、今抱えているクライアントの当たり外れを匂わすかのように、沈痛なひそめ声やら、品のない笑い声やらが不統一にこもっていた。ちょうど美紀が電話に呼ばれ、席を外している間に、入口の方から七瀬に向かって快活な声が飛んできた。

「なんだ、七瀬ちゃん、いたんだ! ちょうどよかったよ、今、電話しようと思ってたから。ほら、あのスプリングフェアのチラシ、戻ってきたよ。終わったら、声かけてね!」

 声の主は第二制作室の室長だった。彼は歩いている途中の姿勢を維持したまま通路に静止して、七瀬の方に首を捻っている。後ろにはいつも室長と行動をともにしているディラー担当一年目の若い営業マンの巨体がぶつかる寸前で止まっている。

 首が短すぎて、がっしりとした肩に無表情な顔がそのまま載っかっているようなこの営業マンを見るたびに、七瀬はターミネーターの類を連想してしまい気後れを覚える。ひと暴れすれば布地が破れそうなくらいに張っている彼のスーツはどこかのブランドものなのか皺の寄り方も妙に上品だった。

「なに、七瀬さん、あの弥次喜多コンビの仕事も受けてるの? やりにくいでしょう。室長ったら、カンタンなものまで、ヘンに難しくしてしまう人だから」
 口に缶コーヒーを傾けながら戻ってきた美紀が、そう声をひそめる。

「先週、カーディラーのチラシ、無理やり突っ込まれたんだけど、室長が超特急!って言ってたわりには、出したきり、音沙汰なしだったんだ」
「重なっちゃって、大丈夫なの?」
「まだ、それほどでもないからね。仕事、断れないよ。無くなるより、追われていた方が、気がラクだしね」
「なんか、やりにくそうな人でも?」
「それは、その人の好みとか、テンポとかに、こっちが合わせればいいから。なんたって、こちら、年季入ってますから」
「それじゃあ、仕事、楽しくないでしょう?」
「藤村さんの方こそ、きついんじゃないの? JAのwebの立ち上げもあることだし」
「そっちの方は、ぜんぶ丸投げしてあるもよ。ほら、あの隅に固まってる印刷会社の連中に。あそこ、ウエブの別会社立ち上げたばかりで、やけに力入っているの。二人も専属で付けてよこすし」

 地方の一支社とはいえ、メディア通信社は全国的に知られた大手広告代理店だ。クライアントと直接取引するより料金は叩かれても、切れ目ない発注が見込めるの、地元の媒体社も制作会社もこぞってこの支社に営業にやってくる。七瀬のようなフリーの人間も、この地方都市でマスメディアの端っこに引っかかるような仕事にありつくためには、結局この支社に引っ付いていくしかない。

 地元の新聞社主催で毎年開催される広告賞に名前が載らなくなってしまえば、その存在などすぐに忘れ去られてしまう。東京の全国ネットの広告とは一桁違う制作料に涙を飲んで、広告めいた仕事の少ないパイ争いに興じているのは、何も七瀬のようなライターだけではない。デザイナーやカメラマンも同様で、彼らは広告代理店の代打要員ではなく、レギュラー選手となる日を夢見て、日々ご無理ご難題の荒波に揉まれながらその忠実度を競い合っている。

 打合せが終わり、美紀が戻ってしまうと、七瀬はさっきから頭上でチカチカ切り変わっている映像が気になりだしてきた。壁の上部には五台のTVモニターが一列に並んでいて、ニュース、ドラマ、教養、スポーツ、クッキングと、各局の昼の番組が無声で流されていた。その設備は新しい情報を絶えずキャッチするためのものなのか、それとも広告代理店らしさを醸し出すインテリアにすぎないのかわからないが、いつも神経をすり減らしている制作の人間を一様にイライラさせる効果だけはもっていた。

 七瀬は席を立ち、いろいろな雑誌の最新号が並んでいるマガジンラックから、適当に二、三冊引き抜いて、テーブルに戻りページを捲った。
【いま、トレンディなデザイン旅館】【ケイタイ各社の料金徹底比較】【一日を癒す自宅アロマ湯】。目に飛び込んでくる見出しは、瞬時に次の見出しに追われるように消えてゆく。【ピンポイントでホームパーティーを盛り上げる】「だからさっきからいってんじゃないの!」【コンビニ別肉まん調査】「ここまできて、ひっくり返されたら、明日の朝までに再色校なんて、とても無理ですよ!」

 意識の内側に聞き覚えのある声が入ってきて、顔を上げると、いつそこに来ていたのか、サテライトルームの入口近くに室長が立っていて、七瀬もここ最近見かけるようになっていた印刷会社の男と言い争っていた。室長の傍らにはあの若い営業マンが太い腕を組み、肩を怒らせた威風堂々のポーズで突っ立っている。

 奧席の七瀬には、彼らの声がはっきりとは聞き取れなかったが、その様子からトラブっていること明らかだった。ルーム内を陣取る面々は、入口近くの席からウエーブが上がるように顔を室長たちの方に向けはじめたが、申し合わせたようにその視線は冷ややかだった。さも、自分たちの打ち合わせを昼休みまで食い込ませようと目論む邪魔者が現れたとでもいうように。

「色校出たのに、イチからやり直しだってさ~」
 斜め向かいの席にいる通信社の若い営業マンが薄笑いを浮かべながら皮肉る声が聞こえてきた。
「ちゃんとやってくださいよ〜」と、短い頭の毛を針みたいに立たせたデザイナーが答えて、二人は咳き込むように笑いあう。
 そのうちに、「じゃあ、下りろよ! ほかにも、出すとこ、くさるほどあるんだからね!」という室長の声が~それはそれまでの言い争いの中で一番大きな声であった~がルーム内に響き渡った。

 その頃には入口付近はすでに一種の劇場と化していて、七瀬を含めてその場に居合わせた面々は、この結末を予期しえない、悲劇なのか、喜劇なのかもわからない寸劇にいつしか心を奪われていた。

 入口劇場は、印刷会社の男がさっき「全面変更!」と言われて室長から突き返されたポスターの色校を、逆に室長に向かって投げつける場面へと移り、風雲急を告げる展開となってきた。これには正直、室長も驚いたに違いない、と七瀬も同様に驚きつつ思った。
 それまでの室長は、言い争っている最中にも、どこか高を括っているようなに見たからだ。印刷会社の男は途中から黙りっぱなしだったし、まさか、途中で下りたりしないよね、あんなに何度も営業にきて、やっとボチボチ、仕事もらえはじめたとこだもんね、などと勝手に考えていたんだろう。

 投げつけられたといっても、ただの筒状に巻かれた紙、ダメージなど皆無に等しいのに、室長はキュンという仔犬のような短い声を上げたかとおもうと、突然、仰向けにひっくり返ってしまった。そして、床に背中をつけたまま、今度は本当にひっくり返った犬がするみたいに両手両足をバタつかせだした。

 七瀬を含め、その場に居合わせた面々は一瞬、唖然となった、室長の動作の意味を理解しかねたからだ。これも彼の道化の一形態~バリエーション~なのか? それとも、思わぬ反撃を食らって、その照れ隠しのためにこんなことをしているのか?

 いろんな憶測がこの小空間に錯綜しつつも、一同の目は、しばし、室長一人に釘付けになってしまい、印刷会社の男ことを忘れていたが、室長が起きあがった時には、もう、彼の姿は無かった。ただ、若い営業マンが彼を見つけたらしく、床に転がっていたポスターの色校を手早く巻いてエレベーターホールに向かって投げつけていた。

 若い営業マンは興奮しきっていて、肩を怒らす荒い息づかいまで七瀬の所にも聞こえてきそうだったが、はたしてこの男が仕事上の理由から怒っていたかどうかはわからない。七瀬にはどうも、彼がこの戦争的な雰囲気そのものに酔いしれているように思えたからだ。

 額に手をかざして、やけにシンと静まり返った室内を見回し終えた室長が、尻をはたきながら七瀬の方にやってくる。若い営業マンが唸るような声を発しながら、それに付き従う。彼らの通り道になるテーブルの着席者たちは、揃って身を縮め気味にして二人をやり過ごす。

 七瀬は、どんな顔で室長を迎えていいか分からなかったが、「ディーラーちゃん! わがままちゃん!」と先に軽口をたたいてくれた室長に少し安堵する。いつもの笑みをこらえたような目が正面に座ったが、七瀬には、その目がどこか寂しげにも見えた。

 室長がテーブルの上に広げたスプリングチラシのカンプは、乱雑な赤字で埋まっていて、ほとんど再生不能に見えた。余白がなくなってしまったためか、チラシが入っていた茶封筒にまで赤字が走り書きされている。もしこの赤がインクではなく、人間の血液だったら、蘇生させることをとうにあきらめているだろう。書かれてある赤字を意味の通るものにするために、もう一枚、清書用の新しいカンプが欲しいくらいだ。

「いや〜あ、じつはフェアの企画からして、ひっくり返っちゃってね」
そう切り出して室長は説明をはじめたが、毎度のことながら、思いつきで話しているので前後の脈絡がなく、七瀬は一息落つくたびに再度、話の中身を確認しなければならなかった。彼流の気づかいなのか、修正が困難を極める箇所ほど、あっさりと飛ばしてしまって過去は振り返らない様子だ。

 そのあいだ、例の営業マンはどうしているかというと、彼は眼前で行われているこのやりとりにすでに興味が失せたようで、時折、受付の方から響く柔らかな声や、通路にちらつくスカート姿といった女の要素にだけ、敏感に五感のセンサーを働かせていた。

「じゃあ、この直し、七瀬ちゃんの方から、萌ちゃんに渡しといてね」
 最後に室長からそう言われて、七瀬はこのディラーの仕事で初めて組んだ木田萌子というデザイナーが脳裏に浮かんだ。三週間前、このサテライトルームで室長から紹介された三十代後半くらいの、短く刈り揃えた髪を赤く染めていた女の子。名刺を渡しても、ニコリともせず、話しかけてもあまり口を開かなかった性格不詳の女に、いったいどんな切り出しで、この全面変更の発生を告げたらいいんだろう?

 二本だけ立てて左右に振っている室長の指は、修正のアップは二日後という合図なのだろう。七瀬は、徹夜でコンピューターに向かっている萌子の姿がチラついてきて、ますます憂鬱になる。

 室長は、そんな七瀬の心境などまったくカヤの外、といった風に、すでにひと仕事終えた者の爽やかな顔つきになって、旨そうにタバコを吸いはじめた。それにならうかのように、営業マンも慌てて背広のポケットから一本取りだして火を点ける。二つの煙が交わりながら昇っていくその先をぼんやりと追うと、さっきのTVモニターが目に入った。

 真ん中の一台が子供番組を放映していた。床に座った幼児たちが、足元に転がっているブロックを手に取って積み上げている映像だった。どうやら、どの子が一番高く積めるのか競っている趣向のようだ。音こそ聞こえないが、時々カメラが引かれて、子供たちの傍らで、手を叩いたり、大きく口を開けている若いママたちの姿が大写しになり、その熱狂ぶりが窺える。でも、ふっくらと小さい桃色の手たちは、不器用な動きしかできなくて、なかなかブロックの山は高くならない。崩れたブロックが床に転がるたびに、怒ったり、笑ったり、泣き出したりと、幼児たちの反応は様々だが、母親の熱狂ぶりに幼いながらも異常さを感じるのか、また最初の一個を手につかむ。
なんか、オレたちの仕事にも通じるものがあるな、と七瀬は妙に納得してしまい、しばらくその画面から目が離せなくなった。

 一つ一つ手をかけてつくり上げても、鮮度が命の広告は情報が形を変えたものに過ぎないから、一回切りでお払い箱になってしまう。まあ、それは天命と涙を飲んでも、同じ専門職でありながら、リサーチ系やSP系と違ってノウハウが蓄積されないのもつらいところだ。同じクライアントの類似広告でさえ、一個のブロックを手に取るように一から作りはじめ、しかも短い納期の中に待ち受ける困難さは果てしない。

 もちろん広告の分野にもノウハウらしきものがないわけでもないが、それが個々の仕事に適用できるかといえば話は別だ。経験のない新人のアイデアが「斬新な切り口!」とか言われて、クライアントから絶賛を浴びることが間々ある世界なのだ。

 ただ、そんなことを今あらためて考えてみても、気分の憂鬱度が増すばかりだ。差し当たっての急務は、とにかくこの直しを一刻も早く萌子に渡すことだと、七瀬は思い直して椅子を尻ではじき倒した。

 室長は「おっ!」と短い声を上げて、七瀬の機敏な動作に、彼はやる気を感じたのだと勘違いして目を細める。そして、遠ざかっていく七瀬の背中に向かって、付け足しの言葉を投げた。

「そうそう、七瀬ちゃん。萌ちゃんによろしく言っといてね。ほら、ディラーのやつらってさ、ふだん客にペコペコ頭下げてるだろう。店に入ってくるなり、若い娘にキモイとか、ムカツクとか言われたりして。だから、その分、こっちへの反動も大きいわけよ。主従の逆転っていうか、まっ、人間、やっぱし、どっかでバランスとんなきゃならないしね」

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