片付けられるようになったわけ
実家時代かなりの汚部屋住人だった私は、一人暮らしを始めると途端に掃除・片付けが大好きになった。
簡単に言うと実家は「雑音が多すぎた」のだ。
そもそもが自分で選んだ住居ではない。自室以外の全ての部屋は親のテリトリーで、毎日その雑多な視覚情報に晒される。
自分の好みでないものが身のまわりに多数ありすぎて、ストレスでアンテナがもげたような状態というのだろうか。
生まれた時から住んでいるので、麻痺してしまってストレスという自覚はなかった。ただ、その環境の中にいて「自分はこうしたい」「自分はこれが好き」という感覚を拾い上げるのは相当難しいことだった。
私は子供の頃から大好きだった街に、小さいけれど自分好みな部屋を借りて、一人暮らしを始めた。
実家から持ち出したのは、本当に大好きで気に入っていた、ごく僅かなものだけ。ほとんどの家具や小物は吟味に吟味を重ね、これ以上ないぐらい気に入ったものを買い揃えていった。
例えば急須が欲しいと思っても、納得のいくものに出会わない限りは、絶対に妥協して間に合わせのものを買うことはしなかった。急須がなくたってどうにか他のもので代用することはできる。
とにかく私は新たに築くことになった自分の城に、気に入っていないものを一つたりとも置かないことにしたのだ。鉛筆一本でも。消しゴム一個でも。
そうするともう、隅から隅まで自分好みなその空間をきれいに保つことは喜びでしかなかった。
片付けられなかった実家時代、だらしない自分はきっと美意識が低いのだと思っていた。
でも実は真逆だった。
美意識が高いからこそ、ちょっとした視覚的雑音から受けるストレスが強く、混乱してしまいやすい。
今、仕事で人様のおうちを片付けに行っても、片付けられなくて困っている人というのは大抵、繊細で美意識の高い人だ。
別に実家で暮らしているのではなくても、人から貰った、実はあまり気に入っていない家具だとか、ほんのちょっとした違和感、ほんのちょっとした雑音。
それを「ないことにして」やり過ごそうとしたところから、腐ったみかんのように感覚の麻痺が広がっていく。あっという間に、何をどう片付けたらいいか見当もつかないようなカオスな部屋になってしまう。
私は人様のおうちに行って、まずはとにかく力づくでそのカオスに取り掛かるのだけど
がしがしと片付けを進めていくうち、その、「感覚を麻痺させる元凶となった何か」に行き当たることになる。
大抵それはだいぶ片付けが進んでから発見されるので、私はラスボスと呼んでいる。
力づくの片付けに、どんより疲れ果てた感じで嫌々ついてきていた住人は、ラスボスの退治が済むと突然イキイキし始め、自ら精力的に残りの片付けを進めるようになる。
見ないようにしていたその大元のストレスに、対峙してしまうと後は早いのだ。
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