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片付けと怒り

「片付けられない」
「捨てられない」

は、どうやら

「怒れない」

とリンクしている。あちこちお片付けにお邪魔するようになって見えてきた。

自分の大好きな物だけを残し、そうでないものはガンガンバリバリ捨てる、ためにはある種の「冷酷さ」が必要だ。

おめーがどうだろうと知ったこっちゃねーぜ!俺はこうしたいんだぜ!おめーらなんかボーボー燃えちまいな!

という身勝手さ、暴力性、有無を言わさぬパワー。

娘が2歳ぐらいの時、靴を履くにも何するにも1日100回ぐらい「じーぶーんーで!!」と地団駄踏んでいた気がするが、あれである。

自分自分自分!!

自分はこうしたいからこうするの!!

じーぶーん!!

このパワーは自分の人生をガンガンバリバリ進めていくためにもとっても大事なやつだ。使い方を間違えると色々迷惑だけど、迷惑を恐れて閉ざしてしまうと、人生も部屋も停滞する。

「私はこうしたい」

「これは嫌だ」

命の底からやってくるその思いに理由はなくて、ただただ「そうであるだけ」なのに対し、それを抑える思考は数限りない理由に満ちている。

「あの人にもらったから」

「使うかもしれないから」

「代わりを探すのは面倒だから」

「自分は嫌だけど家族が、、」

そうして諦めたところから、生きる気力も片付ける気力も失せていく。何がしたかったのか、自分は何が好きなのか、分からなくなっていく。

片付けという作業は「思考vs生命力」だとよく思う。

思考に覆い尽くされて何もかもよく分からなくなった部屋から一つ一つ物を拾い上げ、向き合っていくうち、どこかの地点で大抵の人は怒り出す。

どうしてこんなになるまで放っておいてしまったのか。

部屋を。自分を。

どうしてこんなにたくさんの「自分でないもの」に侵食され覆い尽くされることを許してしまったのか。

もう嫌だ!

ブチ切れてあれもこれも捨て始めたら、そこから先はもう大丈夫だ。生命力の勝利。


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