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「どっちも好きなの。」という瞬間の、ざわめく胸のうちについて(8)~このまちで迎える新しい年に

まちとの関係性は、結局ひととのつながりなのだと思います。

以前ひとづきあいでひどく傷ついたことがあり、尊敬する函館の姉のようなひとに話を聞いてもらったときに

「10年いたって、そんなに人と出会えるわけじゃないんだから」

と励ましてもらったことが。

不器用で、私が!私が!と前に出るよりも

自分が出会って 輝きを感じたひとやものや場所を伝えたい

そういうスタンスの私でも、ひととの出会いには恵まれているのだと。

あなたはそれでいいんだよ、と

言ってもらえたしあわせ。


まちとは。暮らしとは。

そう自分に問いかけ続けてきました。

まちとは、家族のようなもの

良いところも悪いところも、住んでいる人がいちばんよく知っている

「うちのお父さんはオヤジギャグを言ってばかりでヤダ。

家ではヨレヨレのTシャツ姿でゴロゴロしてるし…

○○ちゃんのお父さんみたいに、スーツを着てネクタイ締めてきりっとしてたらかっこいいのにな。あーあーあー…」

と思うことがあっても

誰かに自分の家族を悪く言われたら

「なに言ってるの、うちのお母さんがつくるザンギは最高なんだから!!!」と

怒りが湧くと思う

(※ザンギとは。北海道料理です。衣の段階から味がしっかりついた唐揚げ?)

愛しているからって、好きにならなくていい。

…というのは、昔読んだ小説のセリフにあったような。

完璧じゃなくても、だめなところがあっても

いとおしい存在であることは確かなのです。


これから私は、函館のまちのために何ができるでしょう。

それも、ずっと問いかけ続けていることです。

いまの函館も、いち地方として

さまざまな問題を抱えている

ひとことで言うなら、おそるべきスピードの「消失」にさらされている。

私個人のレベルで見ても、

2019年に函館を去っていった友達、閉店してしまった好きなお店が

多すぎるほど。

なかでも、古い建物が壊されて生まれ変わることなく更地になり、そのまま月極駐車場になるケースの多さは

視覚的に「消失」が実感できてしまうので

そのスピードたるや、恐怖を覚えるぐらいです。

今日もこの場所が更地になった

ここには何があったんだっけ?

一瞬混乱して

思い出せない。


私は都市計画の専門家でもなければ、まちづくり活動のプロフェッショナルでもないので

函館が抱えているひとつひとつの社会問題について

語り、議論することはしません。それは詳しい知見を持った方にお譲りしたいと思います。


まちに

お金もない、人手もない、モノもない としたら

自分にできることは何もないのでしょうか?

お金も人手もモノも使わず、消失スピードの速さに対抗するため

今日、いまこの瞬間からできることは?


そこで、「いやいやそんな無理ゲーやってられないよ。」とあきらめてしまっても

それはそれで仕方ない

正解はない、と思います。

だけど、考えた挙句 最初の場所に戻ってきた

そうだ、まちが好きだって思いながら

ただただ 毎日をたのしく暮らすことなら私にだってできるじゃないか、と。

それを外へ伝えられたら、さらに良し。

「あのまちには、毎日たのしく暮らしている人がいるんだなぁ」ということが

誰かに届く、かもしれない。

札幌discoverのハッシュタグが 多くのひとに届いたように。


今年は雪の少ないクリスマスになって

年が明けたらそのぶんどっさり降るんじゃないか…と言われていますが

2020年をこのまちで

たのしく迎えられたらいい

笑い合えたらいい

どうか、ひとりひとりの

大切に守る ちいさな暮らしの灯りが

あたたかく光り続けますように。

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写真撮影地:函館市



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