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KAYZY×Nonkey 対談「“あと一歩”の背中を押せる音楽を」――EP『NEVER SAY NEVER』リリースによせて

「もう何も考えられなくなって、一日ずっと天井だけ見ていた」と、その人は語る。
 それは紛れもない闘争の日々だ。人は何をどうやっても、一つの視界をもってしか生きられない。そこに見る“現実”の景色は常に不確かで、心の有り様によって容易く歪んでしまう。それでも息づく己の姿を引き受けて、苦悩しながら生き続けること――むしろ、これが戦いでなければ何だろう。
 ただ、赤信号はいつか青に変わるし、傷は痛みを伴いながらも再生する。心臓が鼓動を続ける限り、その両足が動く限り、今どこかの“天井を見て”いる誰かもまた、目に映る景色を変えられる可能性を秘めている。そこから立ち上がるための、ほんの少しのきっかけさえ掴むことができたならば。

 “その人”ことラッパー・KAYZYは、地元である神奈川県・相模原から音楽活動のキャリアをスタートさせ、現在は北海道に在住している。KAYZYは、そこに至るまでの月日を経た自身がまたスタートラインに立つことで、そのきっかけになりたいと言う。
 歩き続ける誰かの道のりは、また別の視界で生きる誰かの道しるべにもなる。本稿では、KAYZYと旧知の仲であるラッパー・Nonkeyとの対談を通して、5月15日にリリースされるEP『NEVER SAY NEVER』が出来上がるまでの足あとを辿っていく。

『NEVER SAY NEVER』MVより

地元・神奈川で受けた影響とラッパーになるまで

Nonkey:とりあえず自己紹介して下さい。

KAYZY:まず地元は神奈川・相模原で、KAYZY(ケーズィー)って名前で音楽活動……を、やってます。

Nonkey:今ちょっと、なんというかスムーズに言わなかったのは後の話に繋がるところだね。相模原生まれ相模原育ち?

KAYZY:そうですね、ずっと相模原で。

Nonkey:音楽はいくつぐらいから始めたの?

KAYZY:ヒップホップ自体は、小学生の頃から父親の影響で聴いてました。それこそ自分のルーツになったウェスト・コーストのヒップホップ、2PacとかIce Cube、Dr. Dreとかその辺です。ちゃんと音楽を始めようと思ったのは高校生の時、17歳くらいですね。

Nonkey:それこそ相模原JACK(※神奈川県相模原市・CLUB JACK。2012年12月に閉店)とか、もろウェッサイが強い箱ってイメージだもんね。

KAYZY:そうですね。自分が音楽始めてからの数年間にはウェッサイメインのパーティーを皆でやったり。

Nonkey:なんで音楽始めようと思ったの?高校生の時。

KAYZY:日本語のヒップホップに触れるようになって、当時は横浜とかそっち方面――h.g.p.とか、NORAとかHYENAとか。特にHYENAさんは大好きで、その辺りからの影響で、やりたい気持ちが強くなって。

Nonkey:なるほど。HYENAは俺と同い年でさ。あとNORAで言うとGipperとかNeechとか。あとICE BAHNのFORKも同い年で、玉さん(玉露)とかKITさんは一つ上、サイプレス上野は一つ下なんだけど、ここの世代って『さんピンCAMP』のとき高校生ぐらいだったの。だからみんな何かしら影響を受けていて層が厚い。ただその中でも横浜はウェッサイが元々強いから、めちゃめちゃ勢いあったじゃん?もう一大ムーブメントでさ。俺らの間でも正直「先にいかれた!」っていう印象があったし、そういう動きが下の世代にも影響与えてたんだろうなって―—KAYZYはその一人ってことだよね。

KAYZY:そうです。あと日本のヒップホップに関しては、中学生の時の友達に一人だけめっちゃトレンドに詳しい奴がいたので、その影響もかなり受けてますね。そいつに色々教えてもらって、DS455とかOZROSAURUSとかもめちゃくちゃ聴いてました。

Nonkey:ああ、友達の影響ってデカいよな。ちなみに俺はその感じで言うと、高校の同級生がICE BAHNのBEAT奉行だったの。

KAYZY:あ、そうなんすか! へー!

Nonkey:で、BEAT奉行は当時、ヒップホップというよりはバンドマンだったの。その頃はHi-STANDARDとかのメロコアも一気にキてた時代だったんだけど、まだ情報源が少なくて。ファッション誌にヒップホップとレゲエとパンクの情報が全部集約されてる、みたいな。だから最初に俺に「証言」を聴かせてくれたのがBEAT奉行だったの。でも、あいつは当時バンドマンだったの(笑)。

KAYZY:ええー(笑)!

Nonkey:「これカッコいいから聴きなよ」って感じで。そう考えると友達って面白いもんだよね。――で、KAYZYは高校時代にHYENAとかを見たことで、俺もラップしてみようと思ったわけだ。

KAYZY:はい。特にHYENAさんはもう本当にマジでかっけぇと思って、当時は服装もちょっと真似てみたりしてました。あと自分が行ってた高校が小田原なんですけど、当時は小田原にもクラブがあったんです。そこでは湘南方面や横浜の子が多かったんですけど、結構ヒップホップが盛んだったので、そういう環境も良かったのかもしれないです。それこそ高校の同級生にPsycho Doggがいたりとか、一つ下にhokutoがいたりとかっていう縁もありましたし。

Nonkey:なるほどね。それで高校生ん時に、ようやく音楽の世界に入り込んだということで。じゃあ今度は俺がKAYZYに初めて会った時のことを喋ってもいい?

KAYZY:お願いします。

関東近郊での音楽活動~活動休止に至るまで

『NEVER SAY NEVER』MVより

Nonkey:初めてKAYZYのことを認識したのって、キャンプ場でのイベントなんだけど覚えてる?

KAYZY:あー、相模の夜!

Nonkey:あん時(2012年)に俺、初めて観たのよ。その日は13doggも出てたじゃん?13doggとKAYZY、こいつらはイケてんなって明確に思ったのを覚えてる。その時のKAYZYのイメージとしては「ジャイアンみたいなライブをする奴だな」って。と言っても「ホゲ~」とかそういう意味じゃなく(笑)、なんというか“腕力”。“暴力”じゃなくて“腕力”を感じるライブなのがすげえ良かったと思うんだよね。ラップも上手いし、地元で引っ張ってく立ち位置のキャラなんだろうなと。ただそれと同時に礼儀正しかったから、そことのギャップもあって。あの力強さは意識的だった?

KAYZY:完全に意識的ですね。当時は自分がどういう風にインパクトを残して、名前を覚えてもらえるかとか、意識してライブに落とし込んでたと思います。あとはやっぱりHYENAさんに憧れていたので、それがルーツになってた部分もあるかと。

Nonkey:俺はそこが武器だったと思う。どう言うのかな、スキルフルなフロウと、あとはやっぱラッパー然とした佇まいかな。良かったライブはいくつかあるけど、明確に覚えてんのは(渋谷)Gladのアニバーサリー。その時KAYZYは“RAF CREW”としてライブに出てたんだけど、アニバーサリーのライブって顔見せみたいになりがちじゃん。その中でKAYZYは俺が最初に感じてた“腕力”のまま、ぶちかましてやるよって気迫のあるライブをしてて。それを観て「KAYZYはコレだろ!」って思ったの。

KAYZY:嬉しいです。

Nonkey:早くに(DJ)ZAIのアルバムにも参加してたしね。で、そこから俺が『B BOY PARK』誘ったんだよね。言ってもその当時は『B BOY PARK』ってまだ価値があったじゃん(笑)。

KAYZY:いやいや(笑)、最初にお話いただいた時はもう「マジかよ!」ってなりましたよ。

Nonkey:やっぱ好スタートを切ってたなと思うのよ。KAYZY的にはその頃「俺、いけんじゃねぇかな」っていう感じだった?これもう俺スターになるんじゃねぇか、みたいな。

KAYZY:そこまではないんですけど、かなり自分の中ではスムーズにいってる感覚と手応えはありました。これをきっかけに仕掛けていけば、どんどん可能性が広がってくんじゃないかと。

Nonkey:じゃ当時はまだ食えるとか食えないとかっていうのは、まだあんまり考えてなかった?

KAYZY:食えるか食えないかというより「食うぞ」っていうモチベーションでしたね。

Nonkey:なるほどね。で、そこから徐々にキャリアが始まっていくと。

KAYZY:はい、EPが『Beginning』で、それが2013年。で、その年の夏に『B BOY PARK』があって、若干そこから間が空いたんですけど、2017年に1stアルバム『Potion』。

Nonkey:アルバムまでの4年間はひたすらライブって感じ?

KAYZY:ライブしながら、制作も続けてました。ただ思い返すと2017年の少し前ぐらいから、ちょっとおかしかったと言えばおかしかったかもしれないですね。

Nonkey:おかしかったっていうのは?

KAYZY:ずっと精神的に追い詰められていたというか、何かと色々考え込むようになってしまって。例えば曲が1曲出来上がったとしても「でもこれって本当に良いのかな?良くないのかな?」って……段々とわからなくなっていった、みたいな。その結果、何をするにしても人の顔色を伺ってやっていたなと。

Nonkey:自分自身より、とりあえず誰かの都合を考えて。

KAYZY:普通に考えるとおかしいんですけど、その頃は常に自分の意思よりも人の顔色を伺ってた気がします。ライブでも「今日良かったよ」とか皆が言ってくれても何故か自分自身は全然アガれなくて、恐縮しながら「ありがとうございます……」って感じになっちゃう。人の言葉を心から受け入れることが出来なくなってしまって。

Nonkey:多分だけど、自分の中で手応えを感じるのが難しかったのかもしれない。俺と出会った頃は、KAYZYと同世代の仲間もいっぱいいたじゃん。けどそこから年齢を重ねる毎に、どうやったってちょっとずつ仲間が減ってくでしょ?その中で腹割って相談する相手が少なくなったのかな、とも俺は思う。あとはライバルがいなかったんだと思うよ。

KAYZY:ああー、なるほど。

Nonkey:「こいつには負けられねえな」みたいな。それで言うと俺の世代って、今に至っても全員ライバルって感じだからね。やっぱり俺は(サイプレス)上野にもICE BAHNにも負けたくねえって思う。だけど同時にその人達やNORIKIYOとかが活躍してたら「うおー行け行け!」とも思うし。笑 ライバルがいたから、キャリアがまだ続いてるんだと思ってる。そういう意味ではKAYZYがアルバムを出して「これは“食う”しかないぞ」と思ってる時期に、同世代で同じバイブスのライバルがいたか否かっていうのは結構重要だった気がするんだよね。そこで見失う部分はあると思う。

KAYZY:確かに、アルバムのリリース前後からだったと思います。当時ずっと出させていただいてたイベントの関係者の方とかには本当に申し訳ないんですけど、ライブでもなかなか調子が出せなくて、そういう期間が長くなっていって……普通はリリースして、そこから勢いが出てきたりするじゃないですか。実際その次の年ぐらいから新しい制作も始めてましたし。でも段々と……わかりやすい言葉で言うなら、どんどん自分を見失っていったというか。本来なら心から楽しいと思えて始めるわけじゃないですか、何でも。

Nonkey:そうだね。

KAYZY:そういう部分が失われて、何かやるにしても「何のために?」とか、悩む時間が増えていって。徐々に自分が音楽をやってる意味が本当によくわからなくなってしまった。それが、この後のことにも繋がっているんだと思います。

空白の3年間と、北海道での暮らし

Nonkey:で、一回マイク稼業を……自分的には、何となくストップしたの?それとも自分で「一回ちょっと止まってみようかな」と思った?

KAYZY:いや、多分何も……変な話、いつの間にか自分のことも周りのことも、何も考えられなくなってたんですよ。その余裕がなくなってしまって。当然、音楽だけでは稼げていなくて兼業のスタイルでずっとやってたんですけど、その頃は仕事の方でもかなりメンタルを削られることが多くて。音楽活動でも悩む時間が多い中で一気に色々と重なってしまって、パーンと弾けちゃった感覚というか。それでもう誰とも連絡取りたくないと思ってしまって、ずっと家にいました。

Nonkey:その期間ってどれぐらい?

KAYZY:3年。2019年の夏の終わり頃からそういう風になって、それこそ世間がコロナ一色になってる時も、自分はずっと1人別世界にいる感覚でした。

Nonkey:テレビとかもあんま観なかった?

KAYZY:その当時は何も。テレビって本当に超ネガティブな情報ばっかり流れてて、どんどん余計にもっていかれるので観なかったです。それで買い物とか、最低限の用事で家出るのもやっとな感じで。……色んな選択肢があると思うんです、どうしようもなくなっちゃった時に。生活保護を受けるとか色々な方法があると思うんですけど、自分は何とか家賃分と……あと、犬を飼っているので、その犬を食わせるために仕事だけは何とか最低限、日払いみたいな感じで行っていて。でもそれ以外はもうずっと家。あと本当にヤバい時は何ヶ月間か、一切何もできない状態にもなりました。

Nonkey:何もしないってことは、もう寝てるばっかり?

KAYZY:寝て起きて……病院とか行ってないんで、どういう状態だったかっていうのは今もわからないんですけど、何かと極端な状態になるんですよ。めちゃくちゃ寝れる日もあれば、何日も寝付けないような時もあって。

Nonkey:自分では「ヤベーかも」とは思ってた?

KAYZY:その時は思わなかったっすね。というより、そう考える余裕もなかったです。ずっと天井だけ見つめてるうちに一日が終わっていく、みたいな。

Nonkey:となると、どっかで地元の友達と接触する、みたいなこともなく。

KAYZY:なかったですね。音楽関係者の人も含めて色々な人が、心配して連絡くれたりとかもしたんですけど、基本的に応えられなくて。当時レギュラーで出演していたイベントとか、ブッキングもらったパーティーもあったんですけど、これはもうダメだと思って連絡を入れて……状態が状態だったので、しっかりと思い出せない部分もあるんですけど。

Nonkey:なるほどな。でも正味な話そうなってくるとさ、ただただ時間が過ぎていく中で、人によってはいわゆる“終わって”しまう人もいるよね。最終的な結論を出してしまう人。でも、そうならなかったのは何でなんだろう?

KAYZY:えっと……今お話したような生活が3年ぐらいあって。冗談抜きで「死のう」と思ったことも、3回ぐらいあったんですけど。

Nonkey:まあ、そうだろうね。

KAYZY:はい。けど、ずっと犬がそばにいてくれたこともあって、どうしてもできなくて、やらなくて。犬って気持ちを察してくれるので、冗談抜きで助けられてました。それと本当にキツい時にたびたび心配して連絡をくれた友人もいて、そういう支えがあったことで食い止められてた、っていうのはあると思います。ただそれでもやっぱり死にたくなってしまったり、浮き沈みの繰り返しで。このまんま、この真っ暗な状態のままでこの先5年、10年、15年20年……っていったら、俺はマジでやばいなと思って。

Nonkey:――それは、それこそ行動に移しそうになった時に気付いた感じ?

KAYZY:というより、普段は全然考えられないんですけどちょっと調子がいい日、まだ正常に頭が働いてる時に「あ、このままじゃダメだ」って。これを変えるのは、もう自分しかいないんだ、って。で、どうしようかと考えた時、もう思いきって大きく環境を変えてみたらもしかしたら――って不意にパッと思いついたんですよ。そこから、まず色々な場所をYouTubeとかで調べて。いくつかの土地で迷ったんですけど、自分の父親も生まれが北海道で、ばあちゃんも北海道の人で、というのもあって「あ、ここだな」と。

Nonkey:じゃあルーツはあるけど、北海道に知り合いがいるとかいうことではなく。北海道のどこに行こうということになったの?

KAYZY:まずは仕事だな、と思って。お金にもそんなに余裕があるわけじゃなかったので、寮付きの仕事を探したんです。それで2022年の12月にまず北海道の中標津(なかしべつ)っていう、酪農が結構盛んな地域に行ったんですよ。犬と一緒に、飛行機に乗って。空港を降りた瞬間から一気になんか――何て言うんですかね、あの鼻をつき抜ける痛さとともに「寒い!」ってなった瞬間、あっ!て。今でも忘れられない感覚で、上手く説明はつかないんですけど、すぐに「これは絶対いい方向に行く」って感じたんです、その時。で、そこからまず酪農をやるんですけど、そこで――これはあくまでも自分が経験した一例として聞いていただきたいところなんですけど、乳牛って、機械みたいに扱われてる部分があるんですよ。

Nonkey:ああ、牛がね。搾乳の機械つけられて、みたいな。

KAYZY:それもありますし、ワーッて荒々しく誘導する様子とか。その最初のインパクトで良くも悪くも価値観をぶっ壊されちゃって。時にはやむを得ない事情で安楽死させたりすることもあるんですけど、それでもやっぱり目を見ていると、うちの犬とも全然何ら変わらないってわかる。その一方で毎日のように死体を見たりするわけです。亡くなっちゃって、カラスにつつかれて、自分の寮の前でそれを目の前にしたりして。最初は良いなと思ってたんですけど、メンタル的に保たねえわってなっちゃったんですよね。――で、その後に今度は農業をやってみようと、ちょっとシフトチェンジして。

Nonkey:中標津から移動したってこと?

KAYZY:はい。同じ道東なんですけど北見の留辺蘂(るべしべ)っていう所に行って、今度は農業を。そこは環境もすごく良かったんですけど、現実問題、給料の面で壁にぶち当たって。あ、これだと色々難しいなって。

Nonkey:生活が回らん、と。

KAYZY:回らん、ってなって。で、最後にダメ元で電話したところが北海道の“むかわ”っていう、札幌がまあまあ近い所。太平洋側ですね。そこでブロッコリー農家をやることになって。そしたらもう、そこのお父さんがめちゃくちゃ温かい人だったので、そこで移住を決めました。自分の心もだいぶ回復して。

Nonkey:そっちに行ってから、休みの日とかはどうしてたの。

KAYZY:大体は近くの山や海をボーッと眺めてました。その景色だけで何かお腹いっぱいになれるというか、心が安らいでいくのがわかったんですよね。街に出て、飲みに行くとかも特にしてなかったです。

Nonkey:その欲求もないってことだ。なるほどね。で、ブロッコリー農家の人だ。結構熱く迎えてくれたんだよね。

KAYZY:そうですね。正直そこがダメだったらもう一回帰ってこようと思ってたんですよ。寮付きで犬がいると、やっぱりダメな所も多いので。でもそこでは「それでもいいよ」なんて言ってくれて。

Nonkey:その人には相模原での自分のいわゆる冬眠期とか、メンタリティのこととかを腹割って話すようなことはなかったの?

KAYZY:実際のところはわからないんですけど、察してくれてるような感覚っていうんですかね。うまく言えないんですけど……もっと深いところで、愛情を与えてくれたっていうか。迎え入れてもらえた感覚でした。

Nonkey:ナイスだったんだね。やっぱさ、やめるのにもエネルギーが必要じゃない。でもその時点で二回やめてるって考えると、だいぶ復活してるよね。

KAYZY:そうだと思います。その辺りでやっと色々な人に「ご心配おかけしました」って連絡を入れることもできたんですよね。

Nonkey:なるほどな。ようやくまあスタートラインに近いところまで戻ってきたと。自分でもその段階で「おお、俺けっこう戻ってきたな」みたいな印象だったのかな。「来てよかったな」って。

KAYZY:確実にありました。間違いなく、向こうに行ったことによって回復できたと思ってます。

Nonkey:「場所」っていうよりもやっぱ「人」って感じ?

KAYZY:両方ありますね、場所も人も。特に北海道生活の前半で少しずつ回復してきて、そこから「また音楽をやって、何か作品を作りあげたい」っていう気持ちも芽生えていって……途中、挫折した時もありつつですけど。それでも踏み出す気持ちになれたのは、最後に話した農家のお父さんの所に行ったのがデカかったです。

Nonkey:へえー、じゃあ北海道の環境が相当良かったんだな。

KAYZY:それはあります。実際、冬に生活してみるとキツい部分もあるんですけど、それを帳消しにするぐらいのものが自分の中であって。「何か」と聞かれると一言では答えられないんですけど……自分の内なる心に聞いてみた時、向こうに行くことがベストだって言ってるような気がしたんです。

活動再開~EP制作と、これからの音楽との向き合い方について

『NEVER SAY NEVER』MVより

Nonkey:その頃、音楽との距離感はどういう感じだったの。自分がまた始める以前の段階で。

KAYZY:やっぱり自分が沈んでしまってた時期は、近しい人の曲とかも聴けなかったんですけど。北海道に行ってから改めて聴き直したり新譜を聴いたりした時、くらった曲も結構あって。それこそ今回、ビートを一緒に作ってくれたNORMANDIE GANG BANDのTOMMYさんの曲もそうなんですけど。あと洋楽の新譜・旧譜をサブスクとかで調べたりしていくようになりました。

Nonkey:俺は正直、今回の音源を聴いて「こいつ全く音楽的に止まってないな」って印象なのよ。どう言えばいいか―—2010年代のトレンドで止まってる感じじゃないじゃん。どっかしらでこいつ、しっかり音楽聴いてるなって。それが興味深かったんだけど、じゃあ北海道に来てから徐々に音楽が戻ってきた感じだったんだね。

KAYZY:そうですね。まだ地元にいた時期は、アルバムも作ってたけど頓挫してしまったりしたので……大好きな音楽と向き合うことにも、自分の中で恐怖心があって。

Nonkey:ちょっとビビるよな。それはわかるなぁ。

KAYZY:でも自然と向き合えるようになったのは、自分を知ってる人がいない土地に来たことも大きかったんだと思います。そこもかなり変化がありました。

Nonkey:うんうん。で、ついに自分がアップしようと思ったのが、北海道でいうと“ブロッコリー期”なんだ。何か明確なきっかけがあったの?

KAYZY:さっき話したように友達の曲とかを聴いて奮い立たせてもらった部分もあると思うんですけど、ある日突然、本気で形にしたいって思ったんですよ。北海道の最初の方の酪農の経験も経て、自分が自然の中で感じてきたことを表現したくなって。

Nonkey:ずーっと揺さぶられてたってことか。

KAYZY:はい。揺さぶられてたんですけど、最後に「よし!」ってなれたのは、そこに至るまでの暮らしのおかげですね。

Nonkey:ってことはそれまでの間、自分がラッパーであるという認識はあまりなかった。

KAYZY:なかったです。ラッパーと呼べる生活もしていなかったですしね。

Nonkey:でも、ギャップってあるよね。不良がラップしてもいいし、別にそこら辺歩いてるお母さんお父さんがラップしててもいい。それがリアリティのあるものであればもうヒップホップじゃん、と俺は思うのね。そういう意味でKAYZYの今回の作品は完全にヒップホップ。色々経た上での話だし、それこそ1曲目なんて決意表明だもんね。“I’m back”だと。そういうラッパー・KAYZYが戻ってきてからのスピード感とか、エネルギーみたいなのを俺はEPから感じていて。

KAYZY:そう言っていただけると嬉しいです。

Nonkey:それこそ「今作ってるんですけど」って感じで連絡くれたけど、モノをやめるって大変だし、人にモノ頼むのも大変じゃん。昔はずっと人の顔色を伺ってたって、さっきKAYZYが言ってたけど。でもそうやって顔色伺ってた奴が、自分から「ちょっとビートもらっていいですか」「レコーディングしていいですか」「こういう企画があるんですけど一緒に喋ってくれませんか」とか。そういうことをやるって、マジで難しいことじゃん!?

KAYZY:そうですね……(笑)。その数年間を考えると、そういう状態にまで自分を持ってこれたのも、本当に周りの人達のおかげだなと。

Nonkey:頑張ったんだなと思うよ。まあ一般論として頑張ったのか、頑張ってないのかは俺もわからんけど(笑)俺は頑張ったと思う、だいぶ。

『NEVER SAY NEVER』MVより

KAYZY:本当に、考え方が変わりました。視野が広がって、音楽との向き合い方も対・ヒトで思うことも変わったと思います。そうやって全てが変化したことで今に至ったので、それが今回の作品に落とし込めていればいいなと思うんですけど。今までは音楽活動をする上でも自分のことばかり考えていたというか……それも別に間違いじゃないと思いますし、名前を売って有名になって稼ぐのも、すごく大事なことですけど。でも自分はやっぱりこの数年の経験を踏まえて―—今もなおこの時代、どんどん増えてると思うんです。何かをきっかけに精神的に参ってしまったりとか……一人でも多くのそういう人達に向けて、助けになるような音楽を作れる奴になっていきたいな、と思ってます。

Nonkey:色々経てると重みが違うよね。重みって言うと深刻になっちゃうけど。体重乗っかってる曲の方が、やっぱりくらうよな。

KAYZY:そうですよね。今回のEPの5曲以外にも3曲ぐらい録ってたんですけど、今回はちょっとこの5曲でバックしていこうと。

Nonkey:4曲目(『NEVER SAY NEVER』)が良いよね。まぁラップは相変わらず上手いなっていうのと、あとは“歌心”が増えたなと思ったよ。

KAYZY:ありがとうございます。自分でも思い入れのある曲になりました。世の中もっと上手い人もたくさんいるとは思うんですけど、本当にありのままの気持ちを込めたつもりで。そこで初めて手応えというか、自分の色を掴めたっていうんですかね。自分の色はこれだと明確に見えた気がします。

Nonkey:うんうん、非常に良かったですね。だから多分、天井を見つめる日々が続いた―—今も続いている人に、どう届けられるかだよね。そういう人はたぶん多いと思うし。俺はさすがにそこまでの状況にはなったことはないけど、そんな俺でも「うーん……」って考え込む時期はあったから。

KAYZY:本当に疑問だらけの出来事が増えましたよね。みんな一生懸命働いたり、日々色々なことに追われてる中で、どうしようもなくなって爆発してしまうことも今は多いのかなと。ただ生きてるだけなのに気が滅入ってくることもあるし、誰しもが何かしら抱えてるんだろうな、と思ったりして。

Nonkey:そうだね。俺も脳出血やった時さ、死にかけて、言葉喋れなくなって。でもその時の俺は逆に結構ポジティブで、なんか全然へこんでなかったんだよね。俺はヒップホップとかラップとか、なんか貯金があったんだと思う(笑)。で、入院中に母ちゃんに―—俺、別に何か弱音を吐いたとかでも何でもないんだけど「あんたは多分、ラップしてた方がいいと思うわよ」みたいなことを言われたんだよね。

KAYZY:めちゃくちゃ良いですね。

Nonkey:「あ、そうなんだ」と思って。そこは俺も支えになったというか「じゃあ俺ラップしなきゃいけないから、とりあえず喋れるようにならなきゃな」みたいな(笑)。ただ同時に「俺がいなくても、世界は回るな」とも思ったよ。俺がいなくても世界は回るし、パーティーは日々行われてるな、って。そう思ったんだけど、そのあと自分が喋れるようになってクラブにも行くようになって、自分でマイク握ってライブしたり、MCしたりするようになった時には「……やっぱ俺、いた方が良くない!?」って思った(笑)。いた方が多分、盛り上がるっぽくない?みたいなね。

KAYZY:(笑)それはマジで間違いないと思います。

Nonkey:それと一緒で、もしかしたらKAYZYぐらいしんどい状態になってしまった人達も、冷静に一歩踏み出していったら意外と「あれ、世間は俺がいなくても回るかもしんないな」「でも、俺いた方が面白いな」とか(笑)、そんな風に思うかもしれないし。

KAYZY:でも確かに今の話で言うと、本当に“あと一歩”。あとちょっとで一歩踏み出せるところにいる人の背中を押してあげられる音楽を、今後の自分はやっていきたいですね。

Nonkey:「意外と大丈夫だぞ」と思うよね。きっかけというか、フックになってくれるような何かがあれば。変な話、音楽じゃなくてもいいと思う。だって、数年前のKAYZYはずっと天井を見てたわけで。それがブロッコリー作ってんだぜ今。ヤバくない?茹でてマヨネーズつけてもう、お召し上がりください!ってことだよね。

KAYZY:(笑)そうですね。

Nonkey:人生はやっぱさ、何がどうなるかわからんでよ。

KAYZY:本当に数年前までは、まさか北海道に移住するとは想像もつかなかったですし、人生は何があるかわからない……色んな意味でそうだと思うんです、いつ死ぬかもわからないですし。そういう意味で、綺麗事に聞こえちゃうかもしれないですけど、本当に日々、周りに感謝だなって。めちゃくちゃそう思えるようになりましたね。

Nonkey:いやあ、でも頑張ったな。大したもんだ。

KAYZY:ありがとうございます。こうして立ち直った理由も何となく今思うと自分らしいというか、そう思えるようになりたいですね。

Nonkey:アップダウンはあるからな、どうやったって。

KAYZY:そうですね。こうやって今日お話できてよかったです。本当にこの作品は、色んな人に届いてくれたらいいなと。

Nonkey:よかった本当。無事、生還。

KAYZY:ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。


【RELEASE INFO】
EP『NEVER SAY NEVER』
RELEASE : 2024.5.15

 ラッパー・KAYZYが5月15日、5曲入りのEP『NEVER SAY NEVER』をリリースする。 元々は地元神奈川・相模原でキャリアをスタートさせており、関東近郊でのライブ活動を行いながらEP1作とアルバム1作を発表。その後も制作とライブを続けていたが、ほどなくして心身の不調により全ての音楽活動を休止。そこから約3年にわたる空白の期間を経て、単身で北海道に移り住んだことをきっかけに音源制作を再開した。つまり今作は復帰作となる。

 ビートは全編、かねてより親交の深いNORMANDIE GANG BANDのTOMMY SWINEが手掛けた。制作にあたっては楽曲のイメージやリリックの方向性を密に伝え、一から細部まで二人三脚で作り上げたという。「飾らず自然体のまま、自分らしいスタイルを追求した」と自身で語る通り、今作の聴き心地は全体を通してスムースだ。ここに至るまでの思考の歩みと決意を込めたリリックが際立つ一方で、それらを聴かせるビートとKAYZYのフロウはあくまでも軽やかな響きを保っている。

 北の美しくも厳しい自然に囲まれた暮らしの中で、KAYZYが自らの内なる自然と向き合いながら、一歩ずつ歩を進めて辿り着いたEP『NEVER SAY NEVER』。ぜひ心のままに体感してもらいたい。

All Beats by TOMMY SWINE
All Mixed by トシロ
All Mastered by Yasterize
MV Directed by Yu Shirasawa
Recorded by GOAT studio/DESPERADO STUDIO
Art Work by BORIS/Tatsuya Watanabe(SHADOW POND studio)
LOGO by gam


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