見出し画像

岸田 文雄首相

(メモとして残しておく。
内容は、終始、岸田文雄の批判であるが、
現在の日本の政治の構造を十分説明しているので、
自民党の現況が理解できる。

また、解散総選挙の仕組み、最高裁の違憲状態の説明、
選挙システムの説明、特定郵便局・農協・医師会の組織票の説明、
島根・長崎の補選、解散総選挙の展望もよく説明されている。
知らないことが多い。

現在の日本の政治の閉塞状態が分かる。
国家主権をどうしたら取り戻すことができるかの構想はない。

今の、「今だけ・金だけ・自分だけ」の考えが充満している日本では
がんじがらめの状態である。

出口王仁三郎が予言しているように、
天変地異で日本人口が1/3になり、
日本を救う政治家は、東北から現れると予言している:フランク)

2024年05月12日(日) 

佐藤尊徳
1991年、経済界 (出版社)入社。
創業者・佐藤正忠の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。
雑誌「経済界」の編集長も務めるも、22年間勤めたのち経済界を退職。
政界・経済界に詳しい。



岸田文武 家系図
岸田文武 家系図

岸田文雄首相は、祖父の正記氏、父の文武氏の後を継ぎ、
3代続けて衆院議員になった。
父方の叔母の夫は元広島県知事で参院議員、法相を務めた宮沢弘氏。
弘氏の兄が元首相の喜一氏に当たり、
広島県政界きっての政治家人脈を築いている。

岸田首相の妻の裕子は、
岸田首相が父の文武と地元のマツダ本社を訪れたとき、
副社長の秘書だったのを見初めたとされている。
だが、当時のマツダ社長は私の元上司でもある
古田德昌(兄は餃子の珉珉の創業者)で通産官僚としては
文武の後輩だから、偶然の出会いではなかったのかもしれない。  
裕子の実家は広島県三次市の地元の資産家らしい。
メソジスト系の広島女学院中・高から
東京女子大を卒業ののちマツダに入社した。

岸田首相の子どもは男子ばかり3人だ。  
長男翔太郎は、修道高校、慶応大学法学部から
商社勤務を経て父の秘書となった。
政務秘書官は当初、ベテラン秘書がついていたが、
将来に箔をつけるために翔太郎を抜擢したところ、
随行中の観光、公邸でのパーティーなどで袋だたきにあって
辞任することになった。
ややバランスを欠いた抜擢だっただけに、
必要以上に慎重な行動が必要だった。  

次男晃史郎は、日本大学文理学部スポーツ科学部から
広島のバスケットボール製造などで知られるモルテンへ入社した。

三男はまだ早稲田大学の学生だ。

日本の支配構造:李氏朝鮮の末裔『李家』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?