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「細々としたタスク」は細かくないし軽くないって話

ここ最近は「さて、今日は何からやろうかな」という一言から一日が始まる。朝に考える時間をたっぷりとるようにしているのだ。やっぱり僕は口を動かしながら考えるのがいちばんはかどる。

ここ数日、noteの連続更新をやめてじっくり自分と向き合っていた。以下はその日々で試行錯誤していたことの一部だ。



某日。起きて入浴する。しゃべりながら思考を練った。

いま、いちばん力を入れたい「音声配信」を最初にやる
その後に細々としたタスクをやる
夜ご飯を食べたらnoteを書く

という一日の戦略ができあがった。

しかし実際にちゃんとできたのは音声配信の収録だけだった。「だけだった」という感想はよくない。いちばんやりたかったことができているのだから上出来だ。

それにしても思っていたより「細々としたタスク」たちが全然進まなかった。いや、多少は進んだ。全然は言いすぎだ。noteのほうも進まず。いやまったくやらなかったわけではない。手はつけた。

あ、めんどくさ……「できなかった」と感じていることをポジティブな言い回しに変換するのめんどくさくなってきた……

試合に負けて「でもいい経験になった」って言い聞かせている気分だ。試合に勝ちたいのだから素直に「できなかった」でいいのに。いまは勝つために戦略を練っているのだ。失敗を失敗と認めて対策を考えていい。これは自己肯定感とか人生観とは関係がない。

翌日は作戦を変更した。この日は散歩をしながらプランを考えた。音声配信がいちばんやりたいというのは昨日と同じ。でもそれより先に「細々としたタスク」をやることにした。

散歩から帰ってきてすぐにタスクにとりかかる。昨日よりは進んだ。しかしそれでも手応えがない。「細々としたタスク」は自分が思っているよりはるかに重い。

そもそも「細々としたタスク」なんて名前で扱っているけれど、ひとつひとつの作業は決して細かくもないし軽くない。それらを十把一絡げに扱うことで、タスクから個性が剥ぎ取られ、ただの作業になってしまっている感じがする。この呪いを、ひとつひとつのタスクと向き合いながら解いていかねばなるまい。

しかしこの呪いをほどくにも高い集中力が必要だ。やはり起きた直後くらいに頭が冴えているときでないと難しい。

ということで今日は、起きてすぐに「細々としたタスク」にとりかかっている。3時間ほど経つが、いい集中力で進められている。ようやく重いタイヤが少しずつ動きはじめた感じがする。

そしてようやくnoteも書けた。

CM

今週の日曜日、久々に現場のイベントやります。

2023年は「創作」に生きる人たちとのつながりを深めていきたいと思っています。

日頃、僕が書かせてもらっているような文章、そしてこちらのLPになにかしら感じるものがありましたらば、ぜひ18日に渋谷まで足を運んでいただけたら嬉しいです。


読みたい本がたくさんあります。