幼児向けTV番組に見入る小学5年生に思う。
#20240510-394
2024年5月10日(金)
ノコ(娘小5)は幼児向けのTV番組を好み、よく見る。
朝、登校前に見た番組が宿題を終えた夕方に再放送をしていても構わず見る。
「朝、見たばかりでしょ」
「それより録画番組を消化してくれないと、HDの残量が足りなくなるんだけど」
思わず、そういいたくなる。
幼稚園児、小学校低学年のうちはなにも感じなかった幼児向け番組が学年が上がるにつれ、違和感を覚えるようになった。
口をぽかんと開け、じっとTV画面を見入る。
そうかと思えば、TVの声かけに元気よく返事をする。
「なにかな、なにかな」なんていうクイズ形式のものには、挙手して大真面目に「○○! ○○!」と叫ぶ。
おいおい、幼児向けだよ。小学5年生がわからなくてどうする。
思わず突っ込みたくなる。
ダンスがはじまるとソファーから立ち上がり、一緒になって全力で踊る。
小さな子どもならほほえましい姿に心がざわつく。
ノコは情緒面に幼いところがある。
里子として我が家に委託されて4年。
ともに過ごせなかった年齢を里親のもとでやり直すというエピソードは、研修や先輩里親の体験談によく登場する。そういうものか、と漠然と聞いていたが、委託年数を重ねれば重ねるほどその言葉の重みが増す。
つまり、ノコの精神年齢はまだ4歳なのだ。
意識しているわけではないが、学校や習い事先では小学5年生らしくあろうとしているのだろう。その反動もあって、家庭では頻繁に4歳児が顔を出す。
小学5年生であり、同時に4歳児。
そう考えれば、ノコが幼児向け番組を好むのは自然だといえる。
ノコのなかの4歳の心が楽しんでいるのなら、それでいいではないか。いいはずなのに、私は落ち着かない。
「そんな小さい子向けの番組見て、ホントにおもしろいの」
ケタケタと腹を抱えて笑うノコを批難したくなる。
日頃、人の好みはそれぞれだと思っているのになぜかノコには手厳しくなる。実は、口先だけなのだろうか。心の奥では、私は私が理解できないものを好む人を蔑視しているのだろうか。
「こういうときは、どうしたらいいんだっけ?」
「ーーごめんなさいっていう」
「そうだねぇ、じゃあ、一緒にごめんなさいをいいに行こうか」
耳に飛び込んできた番組内の会話に私は顔を上げた。
幼児向け番組を稚拙なものだと思っているわけではない。
ノコが接する子どもたちの精神年齢との違いに私が勝手に気をもんでしまうのだ。
同学年の子どもだけではない。習い事先には、年上の子どもたちもいる。些細な違いを鋭く嗅ぎわけて、グループ分けをする年頃だ。その心は複雑さも増している。幼児のようなやりとりでは適応できない。
ノコがTV番組を真似て人間関係を構築しようとすると、ずれが生じる。
ノコは何を思って、幼児向け番組に見入るのだろう。
かつて過ごしていた世界を懐かしんでいるのだろうか。
その展開や番組のわかりやすさに安心しているのだろうか。
尋けば、おそらく鬱陶しがられる。
「おもしろいし。それじゃ、ダメっていうワケ!」
あぁ、問う前からノコの返しが聞こえてしまう。
それならば、ノコがどんな番組を見れば私は安心できるのだろう。
もしそれが健全な番組というのなら、幼児向けの番組はかなり健全な部類に入る。暴力や殺人、裏切りも卑猥な言動もない。バカにすることで笑いを得ようともしない。
ノコがどんな番組を好んでも、結局私はやきもきするのかもしれない。
ノコはTVが大好きだ。
TVというより、動画ならなんでもいいのかもしれない。
電車に乗れば、ドア上にある液晶ディスプレイの映像広告に見入る。車内がほどよく混んでいて、座るとディスプレイが見えないとなれば迷わず立つことを選ぶ。ディスプレイではなく、文字が流れる電光掲示板の車両だとため息さえつく。
ドラッグストアやスーパーでも小さなディスプレイ広告があれば足が止まる。
店内でノコを見失ったときは、ディスプレイを探すと見付かる。
冷静に日頃のノコを思い返せば、見入るのは幼児向け番組に限ったことではないことに気付く。
ノコは動画なら内容問わず、のめり込むじゃないか!
そのなかでも、本当に幼児向け番組が好きなのかもしれない。
そうかもしれないが、人の好みはそれぞれだ。私がざわつくことはなし。
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