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哲学とコピー③-プラトンのイデア論とコピー-

すべての西洋哲学はプラトンの注釈に過ぎない。

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
『過程と実在』(1929年)より



今回紹介するのは、前回紹介したソクラテスの弟子で西洋哲学の祖といわれるプラトン(紀元前427年~紀元前347年)です。

ソクラテスの記事はこちら



冒頭の言葉にあるように、今日までの様々な哲学の根幹にはプラトンの思想が根付いていると言われるほど大きな影響を与えた人物で、その思想の中で最も重要なのがイデア論です。

そして、おそらく世界史や倫理の授業で習って「哲学ってよくわからない」と敬遠する大きな理由のひとつになるのもこのイデア論だと思います。

今回は、そんなプラトンのイデア論をなるべくわかりやすく説明した上で(それでもわかりにくい気もしますが)、コピーライティングとの親和性を模索していきたいと思います。


イデアとは?

例えば、僕らは三角の形に似た石を見たときに「これは三角形だ」と認識します。だけど、石はあくまで三角の形に似ているだけで、厳密には三角形ではありません。
定規できちんと描かれた三角形にも、実は同じことが言えます。
先程の石よりもより確実に三角形に近いものではありますが、線を拡大してよく見てみると人が描いたものなので線は純粋なまっすぐの線とは言えず、どうしても歪さを指摘できてしまい、完全とは言えません。
ではコンピュータで描いたものはどうか。これも線を際限なく拡大していけばドットで表現されていて正確な線(そして三角形)とは言えなさそうです。

じゃあ、正確な、真の、完璧な三角形なんて存在するのかと言ったとき、この世界には存在しないと結論づけたのがプラトンのイデア論です。

では僕らがこの「三角形に近いもの」を見たときに、どうして「これは三角形だ」と認識することができるのか、そして「三角形とはこういうものだと説明できるのか」というと、この世界ではない、イデア界に存在する完璧な三角形(三角形のイデア)と、現実に目の前にある「三角形に近いもの」を、頭の中で照らし合わせることで、「これは三角形だ」と認識しているとプラトンは言います。

三角形のようなモノやカタチに限らず、「愛」「美」「正義」など、あらゆるものにイデアがあり、僕ら人間はそのイデアを知っているからこそ、現実世界で愛や美について語れるのです。

(古代ローマ、神様が信じられてきた時代の思想なので、スピリチュアルで胡散臭く感じるのであれば、人間にはそういった「個性に由来しない人間共通の認識機能が存在する」と考えると少ししっくりくるかもしれません。余談ですが、カントはこれを悟性と呼びました。)

つまり、イデアとはなんなのか。
それは人が共通して認識できる「あるべき理想の姿」と考えるとわかりやすいと思います。


うまく説明できたか心許ないですが、以上がプラトンのイデア論です。
僕が哲学を勉強し始めていちばんコピーライティングに影響を受けた思想でもあります。 

コピーを書く上で、

what to say 〜(何を言うか)

を考えるとき、それ以前の僕は、「◯◯(商品やサービス)のコピー」を考える上で、今まではその特長や独自性を細かく出すようにして、それに対応するコピーを考えるようにしてましたが、哲学を勉強し始めてからは、まず「◯◯のイデア(その商品、サービスの理想の姿)は何か」を考えるようにしています。

例えば銭湯のキャッチコピーなら、「温まる」「脚が伸ばせる」といった細かな切り口からではなく(もちろんそれらも大切ですが)、「銭湯に行ったことによって変わった自分」だったり、「みんなが銭湯に行くことによって世界はどう変わるか」「究極の銭湯とは何か」といったことを、大げさでもいいのでまず最初に考えるようにしています。

そこから生まれたコピーももちろん、大げさ過ぎると感じれば、そこからだんだんと小さく、細かな特長に落とし込んでいくことで、以前より骨太なコピーが書けるようになってきた気がします(あくまで個人の感想ですが)。

以前、こちらの記事で紹介したローラーさん「社員全員、グビ」も、クラフトボスのイデア(あるべき理想の姿)として、「働く人みんなに飲んでもらう」と想定して考えれば、このコピーに少し近づける気がします。


コピーを考える上で、「◯◯のイデアを考えてみる」

一度お試しいただければ幸いです。


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