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出来事は遠ざかり、感情は醗酵する。
時々、ありがたいことに「noteに書いていたあれ、よかったね」なんて言ってもらえることがあります。それから、自分でも「うん。これはなかなかうまく書けたかも」なんて思うこともあります。
どういうわけか、それって、過去のことについて書いたものが多いのです。最近の出来事や感情ではなくて、10代や20代の頃の物事について書いたもの。
若い時代の物事の方が、ポップでカラフルだからかなあと、最初は思ったり
エネルギーがない人が新しいことをはじめる時のコツみたいなやつ
昨日書いたブログが思ったよりもよく読まれました。ありがとうございます。
簡単にいうと「今がこれからの人生で一番若いんだから、今から何か行動するとよくなる可能性ってまだまだあるよ」的な感じです。
で、いろいろな反応を見させていただいたんですが、出てきた話として、「人生詰んだと思っちゃう人は、新しいことをするエネルギーが足りていないため、何も始められないのでは?」という指摘です。
これはその通り
どんなふうに、大切な人とやりとりしている?──君のいまがより良くなるように。
11:20 [PM]
「拓郎くんと全然コミュニケーションとれてないね」
突然の彼女からの連絡に、共感した。
チャットツールを使ったコミュニケーションはこれまでと変わらないくらいしているにもかかわらず、どうして不足感があるのだろう…。
正直に言うと、今のままでもこの関係に変化はないと思うが、「別居婚」をはじめてお互いが物理的に離れたことで、むしろ彼女のさらなるおもしろい一面を見られたら……と
安定しない書き文字と、ホルモンバランス
女性の心とからだというのは、本当にうつろいやすい。
気圧の高い低いとか
季節がスライドしていくその隙間とか
生理が近づいているかその最中か
などなどのいろいろで感情もゆさぶられるから
「世界よ、いますぐ爆発しろ」と身の回りの全てを破壊したくなる衝動にかられたり
「世界よ、優しさをありがとう」と感謝のあまり天を仰ぎたくなったり、とかく忙しい。
外的要因やからだの変化によって、気分のアップダウ
必要なのは、ガマンじゃなくて想像力。
先日、ほったらかし温泉で富士山を眺めながら温泉に入っていたら(最高)、職場の同僚らしき二人組の女子(推定20代後半)がおしゃべりをしていた。要約すると「結局仕事は、楽だけど薄給か、つらくて高給かのどちらかでつらい。せめてやりがいのある仕事をしたい」という話だった。
わかる、わかるよ。わたしもそう思ってた!と思いつつ、そういえばその考えからどうやって抜け出したんだろうと思い返してみた。
わたしは
「正しい家族」神話が崩壊した世界で
誰かと生きていく。
それはなんて、むずかしい、めんどうくさい、ことだろう。
「わたしが言いたいこと、分かる?」
「全然分かってないよ」
「分かってるなんて、たやすく言うなよ」
「そうじゃないのに。何も分かっていないのね」
「ぼくのこと、何も知らないくせに」
「わたしのこと、何も分かっていないくせに」
“くせに”、の後に続くのは、何だ。
言わずに分かってもらおうなんて、怠慢も甚だしい。
で
みんなが良いというものを、わたしは良いと思えなくて、それは天邪鬼ゆえなのかなと一瞬思うけど、そういうわけでもなく本当に特に良いとは思えない、思わない時に孤独だなあと思うし同時にどうやったら良いと思えるかを考える方が、気持ちに任せてdisる5億倍建設的じゃない?
それでも、分かり合えないあなたと生きていく
ここ数年、ずっとずっと。
わたしのなかで繰り返し、声にも出すし、言葉として書き留めていることがある。
それは「人と人とは分かり合えない」という、現実。
初めて、こう思い知ったのは、一人で海外をふらふら旅していた、5年前。
動物的な分類で言えば同じ生き物だとしても、もう人間の力ではどうしようもできない、湿度や雨の頻度や日照時間、植物の種類や空の広さで以って、
何億年もかけて培われた細胞の影
駅のホームで一歩下がる感覚
むかしからの癖というか、習慣というか、とにかく何て呼べばいいのかはわからないけれど、どうしてもしてしまう行動がある。
それは、駅のホームに電車が入ってきたとき、一歩下がること。
それを始めたのは確か中学生の頃。
野沢尚という作家が好きだった。
野沢尚は、享年44歳で自殺をした。才能を惜しまれながらの、突然の死だったという。
遺作である「ひたひたと」の巻末に、告別式での北方謙三の弔辞が載っ