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新しい視座への移行 〜3 「世界はひとつだけ」で、見えてきた世界

この記事はこちらの続きです。

こちらの記事を読んでいただいて、コメントもたくさんいただいたおかげで、新たにまた多くのエッセンスを受け取らせていただきました。
ありがとうございます〜✨




「世界はひとつだけ」

という言葉は10月24日の瞑想で降りてきました。

生命の数だけ、たくさんの、無数の宇宙=世界が存在している。
そう思って、それを反芻していたのに、いきなり「世界はひとつだけ」
と言われて

ええっ?


でした。


そしてまた、しばらくその言葉について、意味について考えていたんです。
「世界はひとつ」ではなく、「世界はひとつだけ」って?と。


そして数日、考えを巡らしていた時に、ふと目にとまった風の子さんの記事

そしてここの文章がやけに私の中に入ってきたんです。

太陽が私の一部?私が太陽の一部じゃなくて?
と聞くと
太陽が私の一部。
と返事が返ってきて。

この世界そのもの、何もかもすべてが自分で、
この時間と空間、流れのすべて、それこそが私そのものだってことに
ここ最近気がついて、いくつか記事を書いてきましたが
(関連記事を最後に貼っておきます)

「太陽が私の一部」。
ああ、そうだった抜けていた視点だった。と気がつきました。
太陽さえも月さえも、惑星も恒星も、自然に含まれるすべてもまた、
私なんだった。と。


ーーーー
昔、ほーーんのちょっとだけかじったヌーソロジーの中で
「観ている世界が私そのもの」で「私はここに存在しない」という話や
「私が動いているのではなく風景(景色)が動いている」という話が
あって。まーーーったく意味がわからなかったんです。当時。
その感覚が1ミクロンさえも掴めない。

本当に、それがどういうことなのかが、まったくわからないまま、
その言葉が何年も私の中に残っていたのですが。


今回の「世界はひとつだけ」という、このメッセージについて考えていて、
その感覚が、意味が、なにか、めちゃめちゃわかったんです。


それは、こうなったんです。


私が「観ている」この世界は、この世界そのものが「私」。
そして、私自身が創造主であり、ある意味、
私の意識が「観ている」ことで、この世界が現れている。
と、いうことは、
私が消えたら、この世界は完全に消える。んだけど。

でも。あれっ?

私の「意識」は消えることはないよね。って思ったんです。


人は死んで、肉体を脱いでも意識はあるのですよね?!
それは、人が「魂」と呼んでいるものです。

私が死んでも、魂は死なない。
肉体を脱いだら、もっと自由に時間の制約もなく
瞬時にいろいろな人のところに行ったりできるとか、
よく言いますけれど。
もし本当にそうなら、私が消えることは、ない。

ということは、
私は在り続ける。永遠なんだ…。ということに、愕然としたのです。


だから
この世界は消えることはないんです。
なぜなら、私は消えることがないから。

これ、これこれ…ちょっとよく考えてください。
かなりホラー、恐怖じゃないですか?


そしてさらに言うなら、
私は「自分のこの世界しか観ることができない」わけです。
なぜなら観ているこの世界そのものが私であるから。
私以外の「観る者」に、私は絶対になれない。

『君の名は』という映画で、
主人公ふたりの魂が入れ替わりますよね。
入れ替わったらお互いが住んでいる世界も時空間も
全部入れ替わってしまいますけれど、
でも、それを体験しているのは「魂」の方であり、
「魂」が主体なんですよね。

肉体という入れ物が変わっただけ。時空間という外側が変わっただけ。
でも魂自体は主体だから動かないんです。

と、いうことは?!

人はそれぞれ自分の宇宙を生きていて
生命の数だけ無数の宇宙が存在している。けれども。
私にはこの世界しか「永遠に」存在していない。んですよ。


と、するとー?!

やっぱり「世界はひとつだけ」なんだ!と。


だってですよ。
もし肉体を脱いで、他の星で生まれ変わったとしても
それは「私」なんですよ。
虫に生まれ変わったって、動物に生まれ変わったって
シリウス星人に生まれ変わったって、
プレアデス星人に生まれ変わったって
過去に転生したって未来に生まれ変わったって、それも全部、
「私」のままなんですよ。
どこに行こうが、何をしようが「私」。
私は私の観ている世界しか体験できない。
私以外の人の魂が観ている世界は絶対に体験できない。


つまり、
この世界すべてが私であり、私以外の何者にもなれない。
そしてこの世界すべてが私であるなら、
ここには私しか存在していない。

これに気がついた時、私はかなり「愕然」としました。
この「愕然」、なんとなく伝わりますかね…。

そして愕然としたのと同時に
私はこの「永遠の私」という中に閉じ込められているような
息苦しさを感じました。

私は私から逃げることは、永遠にできない。


ーーーー
確か、神は、自分の姿を知るために人を作った。
というような話がありますよね。
何の神話でしたっけ???

ひとりぼっちじゃ寂しいから分身を作った。って、それ、なー。です。

この時、それを思い出して、
もう、めっちゃ神の気持ちに共感したんです(泣笑)。


いや、もうほんとに。マジで。
「私」しかいないなんて、寂しすぎるやーーーん!!!と
かなり泣きそうになったんですけど。

でも、そう思ったら、ですね。
ちょっと高次に興味がなくなってしまって。
(まぁ、最近うっすらとその傾向があったんですが)

それと同時に気がついたのは、
私は、高次意識と繋がると、どんな世界が見えるんだろう。
と、これまでずっと、その景色を追いかけてきて
もっともっと、と、上ばっかり見ていたなぁ…。と気がついたんです。

でも、ずっと自分は消えなくて、自分は永遠に自分で。って
そもそもがもう自分、高次存在や〜ん。と。

本当、マジで「神」なんですよ。自分。

ーーーー
ずっと上ばかりを見ていて、
おかげで天使たちの存在も感じるようになったし、
メッセージも聞こえるようになって。

見えなかった存在が、見えなかった世界が、どんどん現れてきて。

それまでまったく知らなかった天使や高次存在たちが
私の「認知」に入ったら、それは3次元に降りてきて、
もうあたりまえのように、
周囲のみんなも感じることができるようになって。

チャネリングは誰でもできる。と、周囲の人たちのおかげで
理解できるようになったんです。

これって逆を言えば
私(の意識)がそうした私の世界を創っているし
チャネリングがあたりまえの世界になったら、
目覚めているとか、いないとか。
高次の世界を感じているとか、いないとか、
今どんなフェーズにいる、どんな人も全部、本当はチャネリングしているし、私の世界の登場人物、もれなくすべての人が私の天使であり私である。
って。

そうしたらもう、「この世界そのもの=私」だという感覚からしたら、
この3次元で、何者にもなる必要がない。とわかって。
(というか、永遠に何者にもなれないわけですよ。全部自分なんだもの。)
自分と他人を、分ける必要もなくて。
(だって全部私で私しかいないんですもん〜(泣))



そしてずっと、上ばっかり見ていたと気がついたら、
前回の記事でテルさんがコメ欄にこんな形を送ってくれて

ああ、これは上に上に行こういこうとしていた
私の宇宙のカタチだなぁ。って思いました。

だから、いったん上方向ばかりみるのはやめて
(実際そこにはあまりワクワクしなくなっちゃっていて)
今度はエネルギーをもっと横方向にどんどん広げていって
(横方向に広げるって具体的にどんなだかわかりませんが
とりあえずは横軸を意識することにしました。)
この「私という世界」全体のカタチをまぁるく、
愛で満たしていきたい。と感じたのです。



私も私以外の人も動物も植物も、
あらゆる生命体も地球もこのユニバースも
認知している世界の全部が自分なわけですから。
もう、私というこの世界をめちゃめちゃ楽しんで
びったびたのひったひたのフルメタルの愛で満たしてあげるしかない。
と。

新しいフェーズです。


でも、まだ、こなれていないこの新しいフェーズは
まだちょっと浅くて、まとまっていない気もするので
ひきつづき、くどいくらいにこのフェーズの探求記事を
書くことになるかもしれませんが(笑)

きっとまた、やまびこが何度もこだましてくれて、
ゆっくりであっても私の中にちゃんと落ちてくれるのだと思います。

なので、このフェーズを楽しみながら
また次の螺旋を上がっていこうと思います。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

感じたことなどあれば、忌憚なくコメントいただけると、
やまびこるので(笑)嬉しいです。
いつも、どうもありがとうございます。




私たちは空間そのもの、流れそのものであるという考察の関連記事


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