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サターンリターン 〜森へ帰ろう

こんばんわ、kaloです。

昨日、とってもなつかしい記事にスキ❤️をくれた方がいらして、
あれ?これどんな記事だったっけ?って、読み返していたら
なんだかいい記事だったので、貼ってみます。(笑)


「迷路を全部解いたら帰っていい」

このセリフは映画「プリズナーズ」に出てくる言葉なのですが、
実はつい最近ご紹介したハリウッド俳優のテレンス・ハワードさんは
この映画に出演していました。

不思議と細い糸が繋がっている感じ。



ーーーー
私は先の記事の中でこんなことを書いていました。

「迷路を全部解いたら帰っていい」って...。
と、この言葉が妙に意味深で、何かの暗示のような感じがして、なんとなくアタマの中に残っていた。まるで、今生きている、この宇宙の真理、人生の迷路のようなものが解けたら、次の世界に行けるよ。と言われているようなそんな気がして...。

「迷路を全部解いたら帰っていい」より




先日の遠隔セッションで、とある方のご感想の中に、
「占星術における、これから29年のタームのスタートのタイミング」
という言葉があって。
占星術に疎い私は、「あれ?29年周期の惑星とかってあったんだ。」と、それを読んで気がつき、調べてみたら土星の周期が29年でした。

そしてなんと、今年の私はサターンリターンの年だと知りました。

なーるーほーどー!!!
と、心当たりありまくりで、びっくり。


ということで、今日は私の人生振り返り。みたいな記事になります。


まず、サターンリターンについて、ご存知ない方もいらっしゃると思うので
ググった内容を書いておきますね。

サターンリターン(土星回帰)とは、出生図上の土星がホロスコープを一周し、元の位置に戻るタイミングのことです。
サターンリターンでは、出生図上の土星トランシットの土星が重なります。

土星の周期は、約29.5年です。つまり、すべての人が29.5年ごとにサターンリターンを迎えます。
1度目のサターンリターン:29歳ごろ
2度目のサターンリターン:59歳ごろ
3度目のサターンリターン:88歳ごろ

西洋占星術では、サターンリターンの時期には人生の転機となる出来事が起きると考えます。

土星は自分らしい人生の到達点を示しています。
サターンリターンの時期に起きる出来事は、人生の到達点と現在地のズレを修正する出来事。そのため、土星は、ときに人生を軌道修正するための試練をもたらします。

どんな試練であるかは、その人のそれまでの努力の結果によっても異なってきます。ですが、のちにサターンリターンを振り返ると「あれは転機だったな」と感じられると思います。

なお、人生到達点と現在地が離れていれば離れているほど、現実を軌道修正するために起きる出来事のインパクトが大きくなります。

また土星に対するアスペクトが多いほど、サターンリターンの影響は大きくなります。ハードアスペクトがあると、より困難さを伴う「試練」が訪れやすいでしょう。

HOROMOMさんのサターンリターンの記事より抜粋させていただきました


サターンリターンは人生の転機となることが多いのですね。
そして生まれた時にどのハウスに土星が位置していたかによって
その転機となるテーマは違うそうです。
なのでホロスコープで私が生まれた時に土星がどこにいたのか調べてみると
第7ハウスにいました。

第7ハウスに土星を持つ人は、サターンリターンの時期にパートナーシップに関する出来事を経験するでしょう。
結婚、離婚という象徴的な出来事や対人関係での衝突を経験するかもしれません。たとえば、長年の友人と決別することもあれば、新たな友情が始まることもあります。
「自分の人生において、誰と生きることを選ぶか」という決断が突きつけられる時期でもあります。
7ハウスの土星の人は、パートナーシップを大切に人とともに生きる人です。この時期を乗り越えるには、相手に対して誠実に振る舞うようにしてください。

これを読んで「占星術あなどれない」って
今更ながら思ったわけですけれど。



私29歳の時に結婚しているんですよね。

確か…ちょうど私の29歳の誕生日に結婚式をあげて、クリスマスあたりに入籍したような記憶なんですけれど。(あいまい(笑))

そこから本当に劇的にいろんなことが変化した29年間でした。

東京以外での初めての場所で結婚生活がスタートして、震災やら
いろんなわちゃわちゃを経験して元オットと別居して東京に戻ってきて
その間にバシャールやら中村天風やら足立育郎さんの波動の本やら…とにかく、当時まだ少なかった精神世界系?の本をたくさん読み始めて。
今考えると、本当に嵐の中で渦巻き状の風に巻き込まれてどんどん人生が変わっていくような。そのくらい仕事も生活も変化の激しい29年間でした。

でもまぁ、この29歳から58歳までって、誰でも、人生において一番変化の大きいお年頃だとも言えるのですけれどね。

ただ、心当たりありまくり。と最初に書いた、その心当たりというのは。

実は私、サターンリターンの今年、3月に正式に離婚をしまして。

(へっ?!って声が聞こえそう)

私の本名の苗字が最近変わったんです。(笑)


ーーーー
うちの元オットと別居をしたあとに、
元オット本人が「離婚したい」という希望だったにもかかわらず、
離婚届になかなかサインしないと言う状況や、彼がその後、どこに住んでいるのかさえよくわからない。行方不明という状況があって。

別居数年が経った後、私が30代で会社を辞めて独立した時に、
新しいスタートで始めたいと思い、籍もちゃんとしよう。と、旧姓でたくさん名刺を刷って。その時に友人の紹介で弁護士さんまでお願いしたにも関わらず、なぜか上手くいかず…。(オットの居所はとりあえずわかったけど)

どうしようもないし、もう、そこにいつまでも意識を持っていかれるのも嫌だったので、結局、いろいろな都合上、仕方なくオットの姓のままで仕事をスタートすることになり、(刷った名刺は全部無駄になりました。)
それからは、ずっとオットの姓(=戸籍はそのまま)だったのです。

まぁ事実上は何年も会っていなかったので、離婚していたのと同じで。

私にはその間、おつきあいする人もできたりしていて、
気分的にも状況的にも書類以外はバツイチ独身でした。
(お付き合いした人たちには、毎度、その状況の説明はしていました)

その後、元オットともいろんな巡り合わせで、会う機会ができはじめ、
会った機会にチャンスとばかりに2度ほど、離婚届を渡していたのですが、
「わかった、書く書く。」と言って持ち帰ってそのまま会わずに数年経つ。
みたいな状況で。
私も独立した後、仕事がどんどん忙しくなって面白くなっていた頃だし、もういいかな〜?と半分どうでも良くなっていて、もし再婚とかなにかそんな状況になったら、その時は勝手に書類出そうかな〜?とか思ったりして。
あ、でも住所知らないから住所は聞き出さないとなぁ…。とうっすら意識はあって(笑)、ゆるーく、何かのついでにあやしまれないように住所を聞く。とか、やっていましたが(笑)。

まぁそんなこんなで、書類上だけの夫婦状態が29年も続いていました。


ーー
元オットとの関係がちょっと変わったのはコロナ直前の2020年1月。

結婚していた頃に働いていた会社で、オットの元部下だった男性が
白血病に近い血液の癌のような病気になって(詳しい病名は忘れました)。
なぜか私をずっと「姐さん」と慕っていてくれていた彼は、LINEで新年の挨拶と一緒に、その病気に罹った知らせをくれて、あわてて電話で話をして。
その時に元オットとも「会いたいなぁ」というので、私から元オットへ連絡をとって彼の状況を話す。ということがあって。
それで元オットは彼に会いにいくことができて。
もうほとんど歩くのも困難だった彼と呑むことができました。

そのあとに日本はすっかりコロナの嵐の中にハマってしまい、
彼はコロナの最中に天逝されたそうで。
(私は随分経ってからそのことを知ったのですが…。)

そこから元オットとは、たまに連絡を取るようになり、
何度か昼飲みしてそのたびに7時間ぐらいしゃべってたり、
困った時に助けてもらったりしていて、
すっかり「仲のいい友達」の状態になりました。が、
書類の件は私の頭の片隅ではずっと引っかかっていました。

もうこの歳になると、再婚うんぬんとかではなく、
自分の財産を誰に残す?みたいなことになってくるので、
私は財産はないけれど、せめて唯一のこのマンションは兄の息子、
甥っ子たちに残せるといいなぁ〜。って漠然と思っているので、
そういう意味で、書類はちゃんとしなきゃなぁ〜。と。


ーー
そして昨年、何がきっかけだったか忘れましたが
元オットが箱根へ日帰り温泉へ行くドライブに誘ってくれて

「バリバリ伝説」読みなおしたら、
サーキット行きたくなってそれ用にバイク、じゃなくて
何故かクルマを買いかえたという元オットにつきあって
箱根の峠を攻めてきた😁

実はこの時にも、離婚届の書類を持って行こうか迷っていました。(笑)

でもこのドライブがめちゃめちゃ楽しかったので
「なんか、もうどうでもいいかぁ〜〜〜。」と、
アタマに残っていた最後の欠片が、ぽろっと落ちた感じだったのです。

もっと歳を重ねて彼が先に逝く時には、私が看取りしてもいいなぁ〜。(←自分の方が絶対長生きするって思ってる(笑))というくらいの気分にまでなっていました。

考えてみれば「なるようになるし悪いことなんて一つも起きないよね。」
みたいな、根拠はないけど、そんな気持ち。


ーーーー
そして今年の2月。
燕三条に向かう新幹線の中で、元オットから「相談したいことがある」
とLINEがきました。

箱根ドライブ以来会っていなかったので、久々。
「お金はないよーー!!!」と冗談で返しましたが(笑)。
翌週の雨の降る日に新橋のお寿司屋さんで昼から会って。

そうしたらなんと。
「書類をちゃんとしようと思いまして」と言う。

ええええーーーーーっ?!

理由を聞けば、
ひとつは私と同じように自分のマンションを姪っ子(一緒に住んでいる)に残せるようにしたい。という話と、もうひとつ。
彼女ができたそうなーーー!!!
それも随分、年下の彼女。まだ数ヶ月のお付き合いだというので
あの箱根ドライブ以降に出会ったようなのですが。

ええ、ええ〜〜〜。なんだか随分と都合いいんじゃないですか?
と、一瞬ムカ入りましたが(笑)、
元オットが話している顔を見て、ふと、気がついたんです。
あれ?前歯が白くなっているなぁ〜。と。

元オットはほんとーーーーに歯医者が嫌いで。もう子供レベルで。
どんなに虫歯があって、顔が腫れていますよー。という状況になっても
「怖くて行けない」と歯医者に行かなかったんです。
だから久々に会ってしゃべっていても、歯、綺麗に治せばいいのになぁ〜。
って、いつも思っていたんです。が。
前歯が、新しくなってるーーーー!!!

それをみたら、本人には言っていませんが、もう、なんだか微笑ましいというか。まぁ、書類をちゃんとしたい。って言い出したこと自体もそうですが、「これ、本気なんだなぁ〜。」って思って。
よくみたら、同い年の元オットは、昨年までは上野とかで転がっていそうなおじさんに見えていたんですが(失礼)、ちょっと小綺麗になっていて。
なんか、もう、めちゃ、「がんばれーー!」って思ったんですよね。

で、根掘り葉掘り聞きつつ、「いつまでに書類出したいとか、あるの?」と聞いたら3月中という。うっそ、すぐじゃん???はよ言えや〜(笑)。

で、書類はもう2回ほど渡していますけれども、、、と、話したら
「多分とってあると思うから探してみる」と。


ーー
そうして、たらふくお寿司をゴチになって、別れてから、
私は、苗字どうしようかな〜?って思っていて。
女性は旧姓にも戻せるし、そのまま元オットの姓も使える。
どちらも選べるんですよね。

でもとにかく、一旦落ち着こう。と、スタバでお茶をしながら、このびっくりを誰かに伝えたい。と思ったら、ちょうど友人からLINEがきて、話をしたら、さらにびっくり。

今、別の友人(私と共通の友人)と話していて、なぜか名前の話になって
「たとえばKaloが離婚したとして、旦那の苗字を変えないまま使っていて、別の人と再婚して、また離婚したとしたら、もう2つ前の元の苗字には戻せなくなる。っていう法律になったらしいよ。」と、
彼女が私を例えに出して話していたんだよ。って。

なにこの、すごいシンクロ。(笑)

この時に友人が「名前が変わるってすごい変化だよねー」と言ってくれて
ああ、そうか、確かにすごい変化かも...。
ってなんだか変化を楽しみたい気分になりました。


ーーーー
そしてそれから元オットからは、しばし音沙汰がなく、
3月に入った頃に「書類ちゃんととってありました」という
LINEが来ました。

その頃もまだ、私は、苗字どうしようかな〜?って思っていて。
とはいえ、まぁ、ほぼほぼ旧姓に戻す気分ではあったのですが
全ての苗字変更手続きを想像するたびに「どこまで...」と、
かなりゾッとしていたんですよね。

で。なんとなーーーく、字画でも調べてみるか。と調べたんです。

そういえば、元オットの苗字は、一般的な姓名判断によると、
旧姓よりも運勢が良かったのでした。実際に良かったと感じてもいました。

でも、あらためて旧姓で字画を調べてみると。なんと、苗字が3、名前が6、総画数が9になる(それぞれの画数を一桁になるまでたした場合)ことに気がついて「きゃ〜!369になるー!」とちょっと興奮(笑)。
もはや一般的な姓名判断よりもこっちが嬉しいかも〜。と、気分も上がり、

こうして、瑣末な手続きへの嫌さ加減も、徐々に払拭していくことに。


ーーーー
とりあえず、「書類があった」と元オットから連絡が来た時に、
3月だったら、いつ出すのがいいかな〜?と考えていて…。
そのころ、私の中では春分の情報が真っ盛りの頃だったので、
あ、春分に新しいスタートになるようにしたらいいかも!!!と、
3月19日に離婚届けを提出しよう〜。って思いつきました。

元オットには理由を言わず「3月19日までに出したいから、書類記入して送ってー。保証人2人もそっちで記入して。ちなみに保証人のハンコはいらなくなったみたいよー。」とLINEで伝えました。
「了解!」とその時には、元気よく返事が返ってきましたが、
それからまた音沙汰がない。
まぁ、もともとそういうタイプなので気にしていませんでしたが
あれっ?19日の朝になっても連絡がないから、どうなってるかな?と思い
「書類はどうなっていますか〜?」とLINEを入れてみたら
「今、〇〇区区役所にむかっているところー」と元気よく返事が。
「なんか奥さんの住所のある区の区役所がいいよって聞いて」って。

?????

全然意味がわからないぞ。
っていうかーー。おいおいおいおい。何、勝手に出そうとしてるの。

「えーーーーーっと? 私、区役所の人に相談して苗字を選んだりするから
私が出したいんですけどー?!こっちに届けてくれるんじゃなかったの?」

と聞いたら、
「そうですか、じゃあ、一旦帰って、車でそちらに行きます」と。

びっくりしたーー。(笑)

そして1時間くらいで、うちに車でやってきました。

書類を受け取るだけだと思っていたら
「一緒に出しに行く?!」というので、「ああ、なるほど、それもいいね。」
と、何かあった時のために、と、ハンコだけ持って、元オットの車でうちの近所の区役所に行くことにしました。


ーーーー
ものすごく近い区役所でよく私は自転車で行っている場所なのですが、
車で行ったことがなくて、隣のビルの駐車場にぶっこみそうになったりしながら(私のナビ力ゼロ(笑))なんとか区役所にたどり着き、ご案内のお姉さんにこそっと「離婚届出したいんですー」といったら、お姉さんもなぜか小声で「はぁ、わかりましたー」と整理番号を出してくれて、窓口を教えてくれました。あれ?元オットどこに行った?と思ったら、書類記入用のテーブルの前に座ってカバンから書類を出してモゾモゾしています。

ん〜?とのぞくと….何も書いていないーーーー!!!(爆笑)

半ば呆れて「うっそ、保証人2人書いてもらってって言ったよね?」って言ったけど、そもそも本人の欄も、何一つ書いてないやん〜。

すぐに窓口のお姉さんから番号を呼ばれたけれど、
あまりに二人であたふたしていたので「準備ができたらよんでくださーい」
と言われました。(苦笑)

「え、保証人どうする?とりあえずお互いの父親にするかね?」と
元オットは姉に、私は実家に連絡して、父親の本籍地とか誕生日とかを確認し「え、これ勝手に書いていいのかね〜?」と言いながら、
なんとか書類を埋めて、窓口のお姉さんを呼ぶことに。

もう、苗字を選ぶとか、相談するとか、そんなレベルじゃないわ。(笑)まぁ、旧姓にすることはほぼ決めていたのでよしとして、、お姉さんの確認やら質問にふたりで一つ一つ答えて「しばらくお待ちください」となった。

書類記入の机の前に呆然と座る元オット(おもろ)


そしてこのあと、かなり待たされて
途中「これってー...何待ち?もしやお昼ご飯食べにいってもいいのかね?」と聞いてみるとまだ、そこで待っていてください。と。

結局、1時間弱くらい待たされて、呼ばれたら、離婚届けに赤字添削されていた(笑)。まず、私の父の誕生日が違います。と言われて、へ???と思ったら書き間違えている(笑)。そのあと元オットの住所の郵便番号が違うとか、番地が違うとか…私の新しい本籍地の番地がどうとか…なにやらもう、間違いだらけだった箇所をひとつひとつ潰していって赤字修正だらけの離婚届となったけれども、ようやく「受理いたします」と受け取ってもらった(笑)。

面白すぎる。

元オットにプロポーズされた時の記憶は皆無で、まったくないけれど、
離婚届を出したこの日は多分、忘れないわ。というほど面白かった。


このあと区役所の食堂で、お昼ご飯を食べて、車で送ってもらう時に
「え、あの状態でよく一人で書類提出に行こうと思ったよね〜。」と言うと
「いやほんと、無理やったわ」と言う。
そもそもなんで朝から一人で出しに行こうと思ったのか。
話を聞いていたら、私が3月19日と指定したから、「これはきっと、大安とかなにかわからないけど、意味があって、この日に出すのがすごく大切なんだろう。」と思ったそうで。そのために会社をわざわざ休んだそう。

え、会社休んだの???

で、あまりに緊張して、とにかく、今日出しに行かなくちゃいけない。と思って朝から私の区のある区役所に向かったそうで。


ーーーー
それを聞いていて、ああ、この人はずっとそうだったなぁ〜。と思った。
めちゃ子供で、めちゃ素直だけど、やってることが理解不能。(笑)

特に、結婚していた当時の私は「目に見えるものしか見れていない」人だったから、オットの行動が理解不能すぎてよくわからなかった。
なんというか、気持ちから行動が、普通の道順を通っていないというか、
行動の表現が裏目に出ているというか(笑)。

私が結婚していた当時はテレビ全盛期で特に月9といわれる恋愛ドラマが本当に面白かった時代で、ドラマを観ながらよく思っていました。
恋愛相手が一人の時に、実はこんな事情があって、こんな気持ちがあって、だからこんな行動をしている...。ってドラマでは裏まで全部描かれているから、そこには愛があるんだよー!ってわかるんだよなぁ。
現実でもそんなふうに裏側が見えたらいいのに。って。


ーー
今はお互いの距離があるから、元オットをこんなふうに俯瞰して見られるようになって。だから理解不能な行動も相変わらず謎ではあるんだけれど、
でも面白がれるし、本当、いい奴なんだよなー。って。そう改めて思えた。

それまで3回くらい、離婚届けを渡してきたのにそうならなかったのは、
多分そのどれもが「その時」ではなくて、3月19日の今日が「その時」だったんだと、帰ってきてつくづく思いました。

そのくらい良き日でした。


ーーーー
そして、帰ってきてから、古くからの友人たちに、LINEで
離婚届を出してきて旧姓に戻った報告をしていて、
書きながら、あ。って気がついて。

29歳で結婚して名前が変わって
58歳で離婚して名前が変わって、ダブルスコアだ。
29年周期で元に戻った!!!と。
ということは次は87歳でまた名前が変わるのかも〜。
というオチにしていたんですが、

その時にはこのサターンリターン、
土星の29年周期はまったく知らなかったのですよね。


ーーーー
先に書いたように、29歳から58歳までの29年は、
それ以前、とは本当にまったく違う世界に来たくらいに
意識の変容が起きた長いタームでした。

「迷路を全部解いたら帰っていい」って...。
と、この言葉が妙に意味深で、何かの暗示のような感じがして、なんとなくアタマの中に残っていた。まるで、今生きている、この宇宙の真理、人生の迷路のようなものが解けたら、次の世界に行けるよ。と言われているようなそんな気がして...。

迷路は全部解けた訳ではないのでしょうが、
でも、「人生は迷路のようだ」とは思わなくなった。
そして、次の世界へ行ける。と思えるくらいに、
学びがぎっしりと詰まった29年だったと言えるから。

私はある意味、このタイミングで「(旧姓に)帰れた」のかもしれません。

そして、3クール目に入ったここからの29年は、
もっともっと、知らない世界の扉が開いていくのでしょうね。

めちゃ楽しみです。



…と。以上、私の人生の珍道中(笑)の一部でした。
すっかり長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。

聖アウグスティヌスは、迷宮は基本的に11周の円から構成されるとしている。その理由としては、「11」は「三位一体」の「3」で割り切れず、12使徒の「12」には1足りない不完全な数であるからだという。
不完全な数をたどりつつ、神がいる中心にたどり着く。                

「迷路を全部解いたら帰っていい」より



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noteをはじめたばかりの頃に書いた懐かしい記事です😅

いろいろあったなぁ…。




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