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スピリチュアルと脳科学と生命の在処と


こんにちわ、kaloです。


一昨日、母と電話で話していて。

もう90歳を越える父が、毎朝「新聞を取ってきて」と言うけれど、
もちろんまったく読んでいない。
ちょっと前までは新聞を(読まないけれど)広げていた。
けれど最近は広げもしない。
それでも毎朝「新聞を取ってきて」と言う。

「多分、日付を確認しているんじゃないか。と思う。」

と母は言っていました。



ーーー
先日、脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士のTEDを観ました。

彼女が左脳で脳卒中を経験し、左脳の機能が徐々に失われていく状態になった時に、右脳だけが機能した世界の様子を詳しく語っているものです。

自分の腕を見ると、
もはや自分の体の境界がわからなくなっていることに気づいたんです。

私は自分がどこからはじまり、どこで終わるのか。
わからなくなっていました。

なぜなら腕の原子と分子が、
壁の原子と分子に溶け込んでしまっていたからだです。

そして私が感知できたのはエネルギーだけでした。

(中略)
その後すぐに、私を取り巻くエネルギーの素晴らしさに、
私は魅了されていました。
そして自分の体の境界線がわからなくなった私は、
巨大な広がりを感じたのです。
そこにあるすべてのエネルギーと一つになれた気がしたのです。

【日本語吹替え】脳があなたの世界を作っている、ジル・ボルト・テイラー博士 伝説のスピーチ
より抜粋


ジル・ボルト・テイラー博士は、
(左脳が)常におしゃべりをしていたのが消えて、「静寂」が訪れた。
と話しています。
その(右脳の)意識の空間にいる間は至福の状態だと。

これって、スピリチュアルで言う「覚醒」みたいな状態ですよね。
瞑想中や、キノコや葉っぱなど幻覚作用のあるとされているいわゆる禁止植物を摂取した時にも訪れたりする「あの感覚」です。

ということは、みんなが求めているあの感覚。
高次と繋がったようなあの状態って…右脳の働きなんだ。

って。
なんだか、ちょっと肩透かしを食らったような?感覚でした。




ーーー
昨年、こんな記事を書いたのですが

瞑想をすることが良いと言われるのは、絶えず喋り続けている思考(=自我)を一旦休ませてあげることで、もうひとりの自分の声が聞こえるようになる。ということなのだと思います。
そして、それは、もう一人の自分という「存在に気がつく」ことでもあって。

私のこれまでの体験で言うと
最初は、その、「もう一人の自分」の存在に気がつくことからはじまって、
自分の中に二人の自分が現れてくる感じでした。

よく、
「これは自我の声?それともハイヤーセルフの声?どっちかわからない。」という言葉を耳にしますが。その状態っていうのは、この段階にあります。

もう一人の自分がいることに気がついたけれど、
まだ二人の自分が統合されていないのです。

そして二極や二元の間に立ってゼロポイントを探したり、
三次元的な豊かさだけを求めたり、いいことだけが起きるように願う。
というような状態も、二人はまだ別れている。この段階だと言えます。


その二人が徐々に、重なっていく。

これって、身体的に言えば、ある意味、右脳と左脳が重なっていくような。
相互連絡が密になるような?!そんなことなのかもしれません。

左脳は三次元で時間や空間を認識している「自我」のようなものだと
先のジル・ボルト・テイラー博士は言っていました。

よくスピリチュアルで言われるアセンション。
体を持ったまま高次とつながって生きる。というようなことって、
脳科学的に言ったら、右脳と左脳が仲良く統合していくことなのかもしれない。と。


ーーー
最初に書いた、もう半分ボケている父は右脳の世界にいるのだろうか。
そうしたら至福の世界だなぁ...。確かに平和そうな顔はしている。
でも左脳を活発化させたら、今日が何日なのか?とか、
そうした時間と空間の感覚を取り戻して、
また新聞を読んだりして(新聞を読むことが良い悪いは別として)、
こちらの世界にも、ちょっとは戻ってくるのかな?と思ったりもしました。

でも、それもちょっと近視眼的かな?と思ったりもして。
(ジル・ボルト・テイラー博士が、という訳ではなく、単に私の理解が浅いため)




ーーー
ちなみに私が好きな、
元生物学者で執筆家、『動的平衡』で有名な福岡伸一さんは、
意識はどこにあるのか、と言えば、モノとモノとの間、
その関係性の中にある。と言います。

私たちの身体の中では細胞は常に入れ替わっていて。
食べたモノは、身体に単に影響する。というレベルではなく、
そのまま原子や分子(多分エネルギーも)が、新しい細胞になって、
古い細胞と毎日入れ替わるのです。

(だから本当に食べ物は大事!!!)

そうして毎日のように細胞は生死を繰り返していて、
1年後には、ほぼ、まったく違う細胞でできた自分になっている中で、
じゃあ私が私をたらしめているもの、その意識や記憶はどこに保持されているのか?というと細胞と細胞の間。その関係性の中にあると話しています。

たとえば脳の神経細胞同士がシナプスを介して電気信号を送り合って
私たちの体はこれ以上ないってくらいに精密に働いています。

そうした関係性の中に生まれる電気信号そのものが意識。

言葉はなくても
お互いに電気信号を出していて、それをキャッチしあっている。
そんなことをそう意識せず、私たちは生きているけれど。

人と人。人と動物。人とモノ。
そうした「自分」と「自分以外の全て」が存在することで
はじめて「関係性」が生まれて。
その「関係性」という存在の中にしか「自分という意識」はないのかも。

だから、エネルギーでも言葉でもどちらでもいい。
「伝えあうこと」の中に「私は在る」。


右脳と左脳の関係もそうなのかな。
ふたつが伝えあうこと。そこにヒントがありそうです。


ーーー
福岡伸一さんがよく引用するルドルフ・シェーンハイマーの言葉。

「生命は機械ではない、生命は流れだ。」


人生をよく川の流れにたとえますが、
この世界そのものが川の流れのようなモノであると同時に、
私たち自身の存在として確かだと感じている体もまた
細胞が常に入れ替わっている「動的平衡」の川の流れのようなモノ。

ミクロもマクロも、そのすべての段階において、
その潮流そのもの、流れそのものである。という、掴みづらさ。

アタマで考えるとどこまでも掴みづらいけれど。
きっと先に書いた「関係性の中に在る私」を意識していくと
その掴みづらい「流れ」みたいなものが見えてくるのかもしれません。

それも本音。
自分の本当の音を響かせることで
さらに私自身が、その「流れ」が、クリアになってくるような...。

今はただそれを体感していきたい。と。

最近、そんなことを感じております。


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