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真面目で大人しい性格の自分が大嫌いでした

昔から1番よく言われるワードは「真面目だよね」「大人しい性格だよね」でした。

自分はそのせいでイジメに遭ってきた、虚無感に苛まれていたと思ってました。無感覚になり、自我が消えそうな自分と必死で闘ってきたあの毎日は今でも忘れません。でもそれは真面目で大人しいからではなく、自分の考えを口に出して言ってこなかったからなのです。自分を偽っていたからなのです。完全なる偽善者でした。

でも、今は真面目で大人しいと言われることに誇りが持てるようになりました。昔から今でも言われるならそれを貫こう、そう思える様になれたのです。自信ではなく誇りです。自分自身、家族、友人、会社、そして仕事内容にも誇りを抱ける様になれたのです。

それはなぜか。
それは毎日勉強しているからです。
毎日何時間も没頭して勉強しているからです。

人生の先輩方たちに教えていただいてることを、愚直に勉強しているからです。

そして、昔の自分は本当にバカでした。本当に頭が悪くて鈍感で何やってもダメ人間の底辺に住んでる社会のゴミでした。

それがなぜ勉強をし始めたことで、真面目で大人しい自分が、誇りを取り戻せたのか。

それは「言葉」を理解できるようになったからです。言葉に対する自分なりの哲学(定義)を持てる様になったからです。今まで、「真面目」「大人しい」を「なんとなく」で捉えていたのです。思い出したくもない過去なのですから、真面目や大人しいという言葉も大嫌いでした。

真面目な人はなんとなく、根暗な人のイメージで、大人しい人は、なんとなく物静かで寡黙な人のイメージでした。その意味が過去の自分からきていのです。だから本来の「真面目」「大人しい」の意味とはまったく違っていました。

勉強し始めた今の自分なら分かります。
真面目は、本気あり、嘘や冗談がない誠実なこと。大人しいは、穏やかで落ち着いていること。そして大人しいの語源は、「大人」を形容詞化したもので、大人びている、成熟している様子を表す言葉だったそうです。

こんなに素晴らしい言葉を掛け続けてくれていたのかと思うと、少しずつ自分に誇りを守り戻すことができるようになってきたのです。

これを僕は「本来の記憶を取り戻す勉強」と題してやっています。つまり今までの固定観念や常識、こだわりを、勉強によって壊すことで、記憶を蘇らせていくのです。

だから勉強を一生続けます。
勉強は自分にとって誇りになるものだからです。遅いとかはありません。勉強は今すぐ誰にでもできます。本がなくてもネットを使っていくらでも勉強することができます。

勉強すれば人生変えることができる。
そう断言できます。

これからの生き方に誇りを取り戻すため、一緒に勉強していきませんか。

それが自由に哲学しようなのです。

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