やさしい人。やさしくない人。

おつかれさま。今日はどんな一日だった?

どうも、とある広告マンfreeでございます。

今日はですね、「やさしい人。やさしくない人。」というテーマでお話したいと思います。

今日のテーマはですね、このチャンネルで話したことがありそうで、実は初めて話すテーマではあるんですけども、まあけっこう深いテーマというか、自分的には「話し甲斐」があるテーマだと思っています。

で、今日の話は、テーマ的にはありふれたものなんですけども、今日話す内容的には、僕が個人的にいつも人を見極めるというか、「その人が本当に自分にとって大事な人なのか」っていうのを見極める時の判断基準にしている内容です。
なので、どれくらい共感を得られるかはわからないものの、参考にしていただける人もいるんじゃないかなぁと思うので、お話できればと思っております。

例えば、「好きな異性のタイプ」みたいな話題になると、まず間違いなく入ってくるのが「やさしい人」だと思います。
ただこの時に、「Aさんの言う“優しい人”」と「Bさんの言う“優しい人”」って、おそらく違うと思いますよね。

また、「あなたの言う“やさしい人”ってどんな人ですか?」って聞いて言語化させようとしても、おそらく「誠実な人」とか、「気を配れる人」みたいな、割とざっくりした言葉で返さえれて、「それ満たす人ってけっこういるじゃん」みたいな返答になるのがオチだと思います。

本当の意味での優しい人はどんな人か?

なので、今日話したいのは、そういう「よく言われる優しい人」の中でも、
「本当に優しい人」ってどういう人なんだろうっていうのをお話できればと思います。

これはけっこう難しいかもしれないですが、いわゆる「一見優しい人」と「本当に優しい人」の違いって、グラディエーションのように徐々に分かれるっていうようなものではなくて、
ある一点の明確な分岐点があると思っていて、
で、その分岐点っていうのは「行動に移すか、移さないか」の違いだと思っています。

これだけだと、ちょっと意味が伝わりづらいというか、
少しバクっと聞こえるかもしれないので、例を上げてお話できればと思うんですけども、
例えば、電車の中であなたが席に座っていて、目の前にお年寄りが来たとしますと。

その時に席を譲るべく実際に声をかけるという行動に移す人が「本当に優しい人」で、
声をかけようか迷って、実際には声をかけない人が、「一見優しい人」っていうことです。

で、なぜか、っていう話なんですけども、
それは、実際に「行動に移す」と、リスクが生まれるからなんですね。

今の電車で席を譲るっていう例で言うと、
席を譲ろうとして、でそれを実際に「声をかける」っていう行動に移すと、
「相手に断られる」っていうリスクが発生するんですね。

細かく言うと、親切心から声をかけたのに、相手に断れて、自分の親切心が無駄に終わるっていうガッカリ感を味わうリスクとか、あとは断れられて恥をかくとかっていうリスクですね。

なので、行動に移すとそれに付随するリスクが必ず生まれるんですけど
そのリスクを承知で尚、相手のために行動ができるのを、僕は「本当のやさしさ」だと思っています。

境界線は「声をかける」という行動であって、この時に「どう考えたか」っていうのは正直関係がないってことですね。それは、行動に移さないと、相手に届かないからです。

思いはするけど、行動に移せない人っていうは、
相手に届くか届かないか、とか、相手が喜ぶかどうかってことよりも、
リスクを懸念して辞めてしまうっていうことは、
結局、ベクトルが自分に向いているというか、一言でいうと「保身」なんですよね。

今は、電車の中で席を譲る話をしましたけども、
他にも、
「人を褒める」とかも、実は簡単なようで難しいんですけど、
たとえば、部下や後輩とか、自分よりも下の立場の人に対してとか、
あとは家族とか近すぎる相手に対しては、褒めるっていうのは少し小っ恥ずかしかったりもするんですけども、
その恥ずかしいという「保身」を乗り越えて、「褒める」っていう行動に移せると、
実際に褒められて嫌な気分になる人はいないですし、
相手を嬉しい気持ちにさせたりとか、勇気づける側面もあるので、
相手のそのようなプラスの感情を抱かせられる「本当に優しい人」と「一見優しい人」とでは雲泥の差があるわけなんですよね。

あとは、
好きな人に好きって告白することも、
もちろん失敗するっていうリスクをはらむんですけども、
もちろん伝えられた人って、それ自体が嬉しいですし、それがその人の今後の生きる糧になったりすることもあるので、本当に相手のことが好きなのであれば、保身みたいなことは捨てて相手の為に行動するってことが優しさなんじゃないかな〜と思います。

あと行動に移すことのメリットとして、相手の幸せを考える以外にももう一つのメリットがあって、自分にとっても悔いが残らないとか、晴れやかな気持ちになるとかっていうのがあると思います。

僕ですね、3年前に自分のおばあちゃんが他界しているんですけども、
晩年はけっこう入院生活が続いていたんですけども、当時コロナでけっこうコロナで面会規制も厳しかったんですけども、もうできる限りお見舞いに行っててですね、
当時行くときは毎回花束を持って行って、たまに今までの感謝の気持ちを手紙に書いてプレゼントとかしたりしてました。

正直、親族に手紙を書いて渡すのとかって、かなり恥ずかしいんですよね。
でもその恥ずかしさよりも、相手の受け取った時の嬉しさを優先して、渡しましたし、本当にこれでもかっていうくらい、頻繁にお見舞いに行っていたので、実際に亡くなった時とかも、もちろん悲しさはありましたけども、自分としてはやるべきことはやったかなと、何も悔いはない、と思えるようになりました。

僕もけっこうですね、周りとかで大事な人のお見舞いに行くのを疎かにして、実際に亡くなってから後悔してる人の話とかを聞いてたりもしたんですよね。
あとは、困った人に対して、手を差し伸べられたものを、実際にできなかったとか。
で、そういう人の話を聞くと、もちろんいろいろできなかった本人なりの理由はあったりするみたいなんですけど、ただね、話聞いていると、結論、全部「保身」だったりするんですね。なので、大切な人に対しては、保身の気持ちを捨てて、相手が喜ぶことを軸に行動にして、形にしてあげてほしいなと思います。

で、最後になりますが、冒頭に、僕は人を判断する時の基準にしているって申し上げましたが、誰かとの関係をいざ考える時とか迷った時に、「その人が自分に対してリスクを冒してまで何かをしてくれたか」って考えて、それがYESであれば、絶対にその人のことは見捨てないって決めてます。

話をまとめると、やさしい人と、そうでない人の差は、
相手の為の行動を移せるか否かであって、
行動に移すと何かしらのリスクを伴うので、そのリスクに対しての保身を乗り越えて行動に移せることが本当のやさしさなんじゃないかな、っていうお話でした。

というわけで、本日は「やさしい人。やさしくない人」というテーマでお話させていただきました。

さあ、新しい一日が始まる。キミは何をする?
freeでした。

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