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ルビー手芸店の月並みで愛しい日常②(物語)

今日は新しい生地が届く日だ。みすずは朝から店主のセシルに言われた通り、陳列棚を整理しながら新しい生地の場所を作っていた。力仕事だが、時々鼻歌が出るほど楽しみだった。

「カラン」とドアベルが鳴ってお客が入ってきたと同時に、強い香水の匂いが漂ってきた。白いシフォンブラウスにツイードジャケットというクラシックな出立ち、少なくなったショートの真っ白の髪は大ぶりに巻かれ、シワが余計に目立つのもものともせず、アイシャドウもチークも口紅もたっぷりのメイク。みすずは緊張を隠して「ボンジュール」と、にこやかに迎えると、そのマダムは抱えていたジャケットをカウンターへ広げた。
「夫の上着なんだけど、肘が傷んできているのよ。肘当てをつければまだ着れるでしょうからお願いしたいの」
「マダム、恐れ入りますが、もうお直しは引き受けてないんです」
みすずは、背筋を縮めないように気をつけながら言った。こんな場合、言葉は丁寧に、でも恐縮しすぎた態度にならないようにセシルに言われて実践中だ。
「あら、マノンって子、辞めたの?」
「彼女なら独立してお直しのアトリエをやっているので、そちらを紹介しましょうか」
みすずは言いながら、レジの横においてあるショップカードをとって場所を説明しようとした。マダムはカードは受け取らず、
「明後日、必要なんだけどできるかしら?無理ならあそこのクリーニング屋でもお直しをやってるからそちらへ行くわ」
とバイオレットのアイシャドウの強い視線で言った。みすずは内心“じゃあ、クリーニング屋へどうぞ”と思った。が、みすずはマノンをよく知らないにしても、店主のセシルはマノンの独立を応援して送り出したみたいだし、ここは協力するべき場面だろうと考えた。マダムに椅子をすすめて、ショップカードを見ながらマノンに電話した。
事情を話すと、服の状態を見ないといけないし先払いが原則だから来店しないと受けられないとマノンは言い、マダムは歩いて15分かかる店まで行くのは勘弁だわと不機嫌な顔をした。みすずは、肘当てだけのことだから、特別な提案として、手芸店でマダムが肘当てパッチを買い、手間賃を預けることで話がまとまった。
「今日午後から取りに行くわ。ありがとうね」
マノンはそう言いながらも、別に他所へ頼みに行っても一向に構わないという口ぶりだった。

午後になって暇な時間が流れ、みすずが天使の顔がついた掛け時計に目をやると、15時になろうというところだった。店主のセシルも出勤してこないし、生地も来ないなあとみすずが思った途端に、勢いよくドアが開いてセシルが入ってきた。
「ボンジュール みすず!遅くなってごめんね。トラックがそこまで来てるわ」
とルビー色のエプロンをつけて腕まくりをし、また外へ出ると運転手に手を振った。顔馴染みの運送屋で、「美人さんの頼みは断れないなあ」と軽口を叩きながらテキパキと荷物を店の奥まで運び入れてくれた。
セシルは届いた生地を注文書と確認してから、みすずと一緒に陳列棚に並べ終わると満足そうにした。みすずは、生地を運びながらも色や柄を物色し、エメラルドグリーンの綿麻に一目惚れした。生地の厚さも手触りもいいし、今まで選ばなかった色だけれど心に迫ってくるものがあった。パソコンに在庫を打ち込みながら、“よしこれは絶対買おう”と決めた。そこへマノンがお直しのジャケットを取りに来て、午前中のマダムの話題になった。
「マダムデュクロね」
セシルがみすずのメモの名前を見ながら話した。
「時々お直しを持ってくるんだけど、仕上がりにも値段にも厳しい人なのよね。クリーニング屋へ持ち込むってのはハッタリかも。一度持って行って、酷い目に遭ったって結局うちに戻ってきたんだもの。でもクリーニング屋によれば、マダムが自分で測った寸法で、言われた通りに裾上げしたら、仕上がりが短くてマダムがお怒りだったらしいの。クリーニング屋にしたら飛んだ言いがかりよね。まあ、どっちが間違えたのか真相はわからないけどね」
みすずはマダムの濃いお化粧の顔を思い出しながら、そんな状況は自分はまっぴらだと寒気がした。マノンは
「やっぱりその人じゃないかと思ったのよ。今回は肘当てだけでよかった」
と言いながら、みすずが渡したジャケットを確認した。それから店の陳列棚を見て「新しい生地が届いたのね」と目を輝かせると、ひとつひとつ触って周り、エメラルドグリーンの綿麻の生地を見るとすぐに
「これ好きだわ!3メートル買うわ」
と言った。みすずは好みが同じで嬉しくなり、
「いい色よね。私もワンピースを作ろうと思ったのよ」
と言うと、マノンは少し表情を曇らせて
「あなたはグリーンよりピンクの方が似合うんじゃない?」
と違う色をすすめた。みすずはお構いなしに
「さっき見て絶対この色にしようと思ったのよ。あなたの服、出来たらSNSにあげてよ。お客さんに違うパターンを見せられていいじゃない?」
とワクワクしながら頼んだ。マノンは考えるような顔はしたが答えることはなく、生地の棚の続きを見ているだけだった。セシルは、今後二人が仲良くなれるのかどうか少し案じた。でも、一緒に働くわけではないから、それは心配しなくていいんだと思い直した。

「みすずは、このお店に来る前は何をしていたの?」
マノンは生地を見終わると、カウンターにいたみすずに話しかけた。みすずが首に巻いている複雑な透かし編みのショールを見ながら、かなりの腕前だと思った。
「サラリーマンだったんだけど、部署がなくなっちゃって失業中だったところをセシルに声をかけてもらったの」
とみすずは屈託なく言った。そこへセシルが
「みすずはフランスで経営の勉強をしたのよね。ビジネスのことなら何でも聞いたらいいわよ」
と、マノンがあまり数字の仕事に長けていないことを思って横から口を挟んだ。マノンはみすずのガーリーなブラウスにスカートといった姿からは、そんなことは考えもしなかったようで、幾分か驚いたようだった。
「へえ!それなのに手芸店で働いてるって勿体無いみたい。そしたらさ、私がちょうど独立しようとお店を辞める時期で、あなた救われたわね」
と、図らずも自分が関わっていた、みすずの幸運な成り行きに思い当たり、さらに驚いたのだった。
「そうなのよ。今になって考えれば、私ってこの上なくラッキーだったわよね。こんな楽しい仕事に出会えたんだし」
アッケラカンとみすずは答えた。セシルは案外この二人はデコボコでいいコンビなのかもと思いながら、
「マノン、本当にこの生地買うの?3メートル切るの?みすずはどうする?」
と生地をカウンターにあげながら聞いた。
「あ、お願いします。社員割引はもう無理?」
とマノンが懇願するように言った。セシルは
「それはもう終わりよ。立派に独立したんだから」
と受け合わなかった。みすずは、手芸店で働くようになってお給料はサラリーマン時代より随分と下がったが、毎月の手芸の材料代が社員割引で半額になったのと、店のロックミシンを好きなだけ使わせてもらえるのは嬉しかった。
「私も3メートル買います」
とみすずもサイズを決め、セシルが二人のために生地を切って、マノンの分を精算した。
「出来上がったらSNSにあげてちょうだいよ」
とみすずが念を押すと、マノンは根負けした顔で二度頷いて見せ、「明日の昼までにはジャケット届けるわね」と言いながら荷物を抱えて自転車で帰っていった。
見送りながらみすずは、とんがった発言が多いけど、言いたいことは全部言って裏表のなさそうな人だとも思った。そして何より、彼女の着ていた、ハンドメイドと思われる肩や身頃にフリルのいっぱいついたブラウスの可愛さに脱帽して、自分ももっと自由でセンスの光るものを作りたいと大いに奮い立ったのだった。

第二話終わり
この物語はフィクションです。


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