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『カードキャプターさくら』が好きなかつての少年少女たちへ

マンガ家集団・CLAMPが手掛ける『カードキャプターさくら』。2024年4月1日をもって「クリアカード編」の最終巻が発売された。1996年に連載が開始して、実に28年後のことである。わたしもファンのひとりとして、感慨深い気持ちで最終巻を購入し、読了した。

『カードキャプターさくら』と出会ったのは5歳のときだった。ぽやぽやの少女だった私にとって、同作が”マンガ”との原体験であったからか、おぼろげであるけれど当時の記憶が残っている。

今回は、28年前の『カードキャプターさくら』との出会いとこれまでを文字にしたためたいと思う。1990年前後に生まれたマンガ大好きなかつての少年少女たちと、想い出を共有できたらうれしい。


『カードキャプターさくら』との出会い

もともとは同じCLAMP作品の『魔法騎士レイアース』が大好きな子どもだった。アニメを見始めてハマり、1995年の月曜日19時30分から20時まではテレビに釘付けだった。えぐめ激重ストーリーの本作だが(大人になって改めてマンガを読んでびびった)、当時4歳の私にそんなことが分かることもなく、きらきらした瞳の魔法戦士たちと美しい異世界の描写、そして突然始まったロボット同士の戦いに釘付けになっていた。

母は『魔法戦士レイアース』が好きな私に、主人公の獅童光ちゃんが描かれた“そばがら枕”を買い与えた。今となってはなかなかお目にかかることのないそばがらの枕だが、未就学児が持つにはなかなか重い。それにもかかわらず、その枕が大層気に入った私は、家中どこに行くにも両手に抱えていた。

実家にはほどよく急な階段が設置されているのだが、当時、枕を抱きしめながら2階から1階まで盛大に転げ落ちた記憶がある。泣きわめく私に母親が投げかけた言葉は、「そんなもの持っているから階段から落ちるんだよ」。そんなものとはなんだ、と幼心に思った。

しかし、『魔法戦士レイアース』との蜜月はあっという間だった。アニメが終了してしまったのである。私は大切な枕を抱きしめながら、ひとり悲しみにふけっていた。

そんな様子を見かねたのか、ある日、母がプレゼントをくれた。表紙に可愛い洋服を着た可愛い女の子が描かれている、ピンク色の小ぶりな本。中には絵と文字がモノクロでびっしり描かれている。マンガ『カードキャプターさくら』の第1巻だった。

これが『カードキャプターさくら』との出会いだった。

カードキャプターを自称する少女、爆誕

母にマンガの読み方を教えてもらい、きれいな絵を見て、すてきな台詞を読んで(当時はほとんど理解できなかっただろうが)、迫力のある描写を夢中で追いかけた。気づけば『カードキャプターさくら』が大好きになっていた。

あっという間に生活が一変した。それまで、動物の絵を描き散らしたり、おままごとで犬の役をやったり、お姫様ごっこをしたりしていた私だったが、「カードキャプター」を自称し始めるまでに時間はかからなかった。

「カードキャプター」に憧れる少女の私は、言うまでもなくさくらちゃんの持つ魔法の杖を欲しがった。しかし、連載当初は魔法の杖など商品化していない。仮に商品化していたとしても、『魔法騎士レイアース』の枕でさえ肌身離さず持ち歩くような子どもである。親は杖を与えるのを危惧したに違いない。そんなものを与えてしまったら、どこに行くにも持ち歩き続け、そして何かしらの事故につながるのでは、と。

その結果、母はチラシを丸めて作った棒に、マンガを模写した絵を貼り付けた「母お手製・手作り魔法の杖」を与えた。母による渾身作を気に入った私は、それを四六時中振り回し、封印解除の言葉を詠唱しまくった(おかげで今でもそらんじることができるし、この年にしていつでもカードキャプターになれる準備ができている)。

「母お手製・手作り魔法の杖」は、そうは言っても紙で出来ているので、すぐふにゃふにゃになる。壊れたら母にお願いして、何度も作り直してもらった。チラシを幾度となく丸めさせ、杖ができたら大声で呪文を唱えまくる娘を前に、母は根気よく付き合ってくれたと思う。

さらに、マンガを覚えたての幼児は、自分もマンガに参加したいと思ったのか、『カードキャプターさくら』の1巻に落書きをし始めた。確か、第一話でクロウカードの封印が解けて、ケロちゃんが幻想的に出てきたところに「ふにゃあ」的な効果音を、第3話で「水(ウォーティ)」のカードが氷漬けになったシーンに「パキン……」的な効果音を描いていた。意味もわからず三点リーダーを使いこなす少女。私だ。

マンガに落書きをするなんてご法度中のご法度だが、マンガ初心者の少女にはそんなことは分からない。そしてそのことを、少し成長した私は後悔していたようだ。以降はマンガに落書きをすることはなかった。

落書きした1巻はもう手元にない。それでも、新たに購入した新装版の1巻を読み返すと、そこにないはずのたどたどしい文字が、ぼんやりと浮かびあがってくるような気がする。

アニメとビデオと最終回

小学校にあがると、両親は私に500円のお小遣いをくれるようになった。その500円を握りしめ、私は『カードキャプターさくら』が連載されている雑誌「なかよし」を毎月発売日に購入した。そして残った百数十円を大切に1か月間かけて使った。

この頃になるとアニメの放送が始まった。NHK・衛星第二テレビ(BS2)での放送である。

しかし、当時の私は絶望していた。その頃、我が家は衛星放送を受信しておらず、BSチャンネルを見ることができなかった。さくらちゃんが動いてお話しするところを見れないなんて。おぉ、神よ。いったい私が、どんな悪いことをしたって言うんだい?

そんなときに救世主として私に手を差し伸べてくれたのが、隣に住んでいたIさん一家である。Iさんは、父・母、それに頭の良い中学生のお姉さんと活発な小学校高学年のお兄さんの4人家族。我が家とは家族ぐるみで仲良くしていた。

Iさんの家は衛星放送を受信していて、しかも私のために『カードキャプターさくら』の録画をしてくれるという。私は狂喜乱舞した。何度もお礼を伝えて、放送日を楽しみに待った。

放送翌日、Iさんからビデオテープ(!)が手渡され、ご飯を食べながらアニメ版『カードキャプターさくら』を見た。嬉しい。楽しい。Iさんありがとう。ときどきIさんのお宅におじゃまして、リアルタイムで見ることもあった。Iさんには本当に感謝しかない。

今の若者たちからすれば信じられないことだが、当時のビデオデッキは、番組を視聴しながらでないと録画ができない。そう考えると、当時のIさん一家は、隣に住むがきんちょに録画したビデオテープを提供するために、『カードキャプターさくら』を流しながら、家族全員で無言の夕ご飯を食べていたのかもしれない。すでに大きいお姉さん・お兄さんがいるにも関わらずだ。

その光景を想像すると、なんだかとても申し訳ない気持ちになるが、今となってはどうしようもない。いや、今度帰省するときに、Iさん一家にお土産を買っていった方がいい。かなり今更だけど。

そんなこんなで、私は家族やお隣さんに支えられながら、『カードキャプターさくら』をたくさん楽しんだ。2000年、『カードキャプターさくら』は最終回を迎え、当時小学校4年生だった私も、さみしい気持ちで本誌を開いた。でも、さくらちゃんが小狼くんに想いを伝え、そしてふたりが再開する最終回にとても嬉しくなったのを覚えている。

大人になって、改めましての出会い

さて、時は進んで私は大人になった。義務教育を終え、大学を卒業し、就職して一人暮らしを始めた。

マンガ好きが高じ、実家にある私の本棚には入りきらないほどのマンガがあった。一人暮らしをするにあたり持っていくマンガを厳選する必要があったのだが、『カードキャプターさくら』はそこに入っていなかった。というよりも、「手元になかった」という表現が正しい。

なぜ、10代後半になると幼少期の想い出の品を、「もう子どもっぽいからいらないよね」という思いからあっさり手放してしまうのか。当時の私はそうやって、セーラームーンのコンパクトや、ヘレン・ケラーの伝記、シルバニアファミリーやポケモンカードなどに別れを告げていった。

今なら、私を形成してきた大切な品だと分かるけれど、だからといって過去の自分を責めるわけにもいかない。その当時の私は、目の前のもっと夢中になっているものを最優先していただけで、10代ってそういうものなんだろうと思う。

『カードキャプターさくら』の単行本もご多分に漏れず、いつの間にか手放してしまった。いつ、どのタイミングで、どのようにして別れたのか、もう思い出せない。

あるとき、『カードキャプターさくら』の新装版が発売されることを知った。社会人になって少し金銭的な余裕もでき、天井まである大きな本棚を買ったタイミングだった。

毎月2冊ずつ発売される新装版を、発売日に欠かさず買い、一人暮らしでなじみきったマンションのワンルームで読む。新装版の表紙を飾るさくらちゃんは、相変わらずかわいくて笑顔がきらきらしている。

ケロちゃんの大阪弁に顔がほころび、落書きをしてしまったあのページのことを思い出し、母が作ってくれた魔法の杖が記憶の彼方から呼び起こされる。なんだか、懐かしい気持ちにになった。

そんな懐かしむ気持ちから時間をあけずして、なんと『カードキャプターさくら クリアカード編』の新連載がはじまった。新装版刊行の翌年であった。その情報を前に、自分の両目を疑ったのは言うまでもない。もしかしたら私はまだ、平成一桁代を生きているのだろうか。いや、そんなわけはない。

「クリアカード編」は、まさに私が大好きだった最後のシーン、「さくらちゃんと小狼くんの再開」から始まる。『カードキャプターさくら』に出会って約20年後、こんなふうに改めましての出会いがあるなんて。当時の少年少女だって信じるまい。でも、『カードキャプターさくら』大好きっ子の元少女が、二人の再開が尊すぎるあまりベッドの上でバタバタしていた事実があるので、これは間違いのない真実である。

「絶対だいじょうぶ」という魔法

2024年4月1日、最終巻発売日に無事読了し、その結末にしみじみと浸りつくした。感想を語ってしまうと更に追加で3,000字以上必要になるので、また別の機会にしたい。

少しだけ語るならば、さくらちゃんが大切な人たちの想いを尊重するラストは、大変な選択だと思うけれど、とても「さくらちゃん」らしいと思った。審判の日、あれだけ一生懸命に頑張ったさくらちゃんだものね。そして、さくらちゃんと小狼くんの関係が好きすぎる。小狼くんは本当に成長したな……。ふたりとも一生幸せでいてくれ……。

『カードキャプターさくら』と出会って四半世紀以上が経つなかで、ずっと変わらずに魅力だと感じているのは、さくらちゃんの「絶対だいじょうぶだよ」という言葉。

リアルタイムで読んでいた少年少女から、大人になった元少年少女まで、たぶん、ものすごく多くの人がこの言葉に助けられてきたんじゃないかと思う。

物語の展開がどんなにハラハラドキドキするものであっても、さくらちゃんが「絶対だいじょうぶだよ」と言ってくれれば、幼心にも「絶対だいじょうぶなんだな」と安心して、次のページがめくれた気がする。毎日、新しい出会いや発見、学びがある子どもにとって、この言葉は間違いなく心の支えになっていた。私自身、子どもの頃に何度「絶対だいじょうぶ」と唱えたか分からない。

そんな風に人生を共にしてきたマンガと、大人になってから再び出会い、一緒に結末を迎えることができて、本当に幸せなことだと思う。

あの日、『カードキャプターさくら』と出会った少女に、大人になったかつての少女である私から「その物語は、あなたにとってとても大切なものになるよ」と伝えてあげたい次第である。

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