イギリスで見たヨーロッパ人のエピソード
私はイギリスのブライトンの語学学校に一年以上いた。そこでいくつもヨーロッパ人たちの行動やエピソードを目撃した。
その記憶は、イギリス在住5年を経て、日本に移住して5年経っても、なぜか色褪せることはない。
やはりそれらの出来事はイギリスの語学学校だったから目撃できたことで、日本ではまずあり得ないので、記憶が更新されることはないからである。
1、ちょっとした時に描く絵がリアル
授業の時に、ホワイトボードに絵を描くゲームがあったのだが、ヨーロッパ人は基本的に図工の時間に先生が教えてくれたような、リアルな顔を描きがちだった。
そこは適当にイラストっぽいやつでいいんじゃ…って思う時でも、彼らはあくまでリアルだった。
仲良くなった友人の絵を見てもやはり同じだ。そうか。みんな漫画に慣れていないから「絵を描いて」と言われると、真面目にリアルで描くんだな、と気付いた。
私は日本人なので、気が付かないうちに漫画やイラスト、漫画に出てくる効果音などにすっかり慣れきっているのだ。
それが全部なくなると…確かにヨーロッパ人の描く絵が普通なのだと思った。
2、同じティッシュを何度か使っている
何人もの人がそうしているのをこの目で見た。
一度使ったティッシュをもう一度ポケットに入れて、また次に鼻をかむときに再利用しているのだ。
そしてガサガサした紙ナプキンのような素材のティッシュだから、皮膚の弱い白人の人達の鼻の下は真っ赤になっていたりする。
日本の柔らかくて高品質なティッシュを教えてあげたい。
私も最初は日本に帰るたびに保湿された高品質な日本のポケットティッシュを大量に買ってイギリスに持ち帰っていたが、何年も経つとガサガサしたタイプにも慣れ、どちらでもどうでも良くなった。
パンドラの箱は開けてもまた閉じることができるらしい、と思うとなんだかこれからの人生気が楽になったものである。
3、古風なペンや鉛筆使い
「こんな古いタイプのペンは日本ではなかなか使っていないよ。」と思うような、古風なペンが大きな顔をしてその辺を網羅している。
日本なら100円ショップに行けば5本セットとかで売っているかもしれない。繰り出し式ではなく、キャップが取れるタイプのやつだ。
鉛筆を使っている生徒もたくさんいた。ちなみに一緒に使う鉛筆削りは、剥き出しでキャッチするケースとかないため、削ったものが机の上に放置されることもあった。
日本の文房具はヨーロッパよりかなり先を行っていた。ゆうに10年は先を行っているのではないか。
使いやすさやデザイン性、サイズ感、感触にまでこだわられたもの。全てにおいて日本の文房具の方が優れていると思った。
フリクションペンを日常的に使っていた私は、クラスではもう未来人扱いだった。
どう答えても上から目線みたいになってしまうが、いつもこう答えていた。
「日本ではこれ普通だよ」と。
4、美人が爪を噛んでいる
イタリア人が多かったような気がするのだが、振り返るような美人が思いっきり爪を噛んでいることがあった。最初見た時は衝撃で、ギョッとした表情を隠せたかどうか自信がない。
それもだいたい、人の話を聞いている時、ほとんどの場合においてその話がつまらない時にやっているらしかった。年齢とか聞いたりしないので定かではないが、まあ20代前半とか若い人に多かっただろうと思う。
私が話している時に何度がされたことがあるが、驚きで気が散って、そのせいでうまく話ができなかった。(話はいつもうまくはないが、それ以上にという意味である)
最初びっくりしたが、しばらくすると慣れてきて「けっこうな数の人がやっているな。」と気がつき、もう動じなくなった。
もし日本の女性が顔をしかめながら爪を思いっきり噛んでいたら、「大人なのに⁉︎」と声に出してしまいそうである。︎
5、イギリス人の先生の人間味がある
イギリスの語学学校の先生はもちろんイギリス人一択である。その性格はもちろんさまざま。
面白い先生もいれば説明が下手な先生もいるし、経験が多くある先生もいれば新米の先生もいる。
マナーを大切にするイギリス人だけど、わりと本能に忠実なんだな、人間味があるな、と思ったエピソードがいくつかある。
夏のブライトンは生徒が多すぎて…
私が留学していたイギリスのブライトンは夏が本場のリゾート地だ。東京に住んでいる人なら「ブライトンって湘南みたいだね」と言う。ロンドンまでは電車で1時間。
そんな楽しい場所なので、夏には学生がたくさん押し寄せるのだが、その夏はフランスの高校生が団体で私の在籍するクラスに入っていた。
悪い子たちではないのだが、とにかくやかましい。
「なぜそうなるの?」「僕は違うと思います!」など、意見と称してちょっとめんどくさい生徒も多かった。もちろんそのたび授業は中断する。
「子どもが生まれて毎日寝不足だ」と言っていた先生は、にこりともせず真顔で頷きながら、フランス人のティーンネイジャーたちの話に耳を傾けていた。
この先生は普段から、面白いリラックスした良い先生だ。
けれど次の日、いきなり先生の交代を知らされて、別の男性講師がやってきた。
どうして先生が変わったのかと騒ぐ彼らに、「君たちうるさすぎるから、代わってほしいって頼まれたんだよ。」とハッキリ告げる先生。
まさか〜!とまた騒ぐ彼らに「いやマジで本当に。」となぜか笑みすら浮かべながら言い聞かせていた。
「それで今は、僕も誰かに代わって欲しいけどね。」と早口でサラリ。
聞き取れなかったフランス人ティーンネイジャーたちは、みんなキョトンとしていた。
オーストラリアの話…
イギリス人の先生は、オーストラリアの話になると、
「オーストラリアという地は、昔イギリスが犯罪者を島流しにする場所だったんだ。」と言う。
知らない生徒は心底驚いていた。
「本当だよ。ずーっと昔の話だけどね。」
私は長く語学学校にいたので、先生のこの話を別のクラスで二度聞いた。そのたびにクラスの生徒何人かが「本当に?」と驚きざわついていた。知っている生徒は黙っていた。
そしてその度に、「ずーっと前の話だよ。今は全然関係ないよ」と言うのだが、意図的にその歴史的事実をさりげなく生徒たちの脳内にすべり込ませていたような気がする。
それも今考えると、なんだか面白かったと思う。
自分も含めて、先生という仕事が楽しいな、と思うのは、自分が伝えたいことを自分の言葉で自由に(常識の範囲内で)伝えることができる点だ。
先生は自分の思うことを語る権利があるし、生徒は先生の話を話半分に聞く権利があると思う。
語学学校でのその経験は、今も私の仕事の役に立ち、さまざまな局面で支えになっている気がする。
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