Z世代=コスパやタイパばかり宣う輩という風潮はまだ解像度が荒いのではないか
朝に目覚めて東京に出向く。
しまったなぁ本を忘れていたとプチ後悔。
ならば思考をじっくり深めよう。
電車でPCみて酔わないのか?と聞かれるが、全くない。これは一つの才能かもしれない。
さて、Z世代を表す言葉として「コスパ」「タイパ」という言葉が言われて久しい。
礼儀を知らなく、飲み会にも来ない、的な話。
非合理的なことにとことん無頓着。
よく飲み会論争があるなど、仕事の場で顕著場顕著でもあるが、合理的な選択は複雑非合理な人間が行なっていることを認知できないことへの反感だろう。あーあ、こいつわかってねえなぁみたいな。
では、何をわかってないのだろう。
人生におけるステークホルダーとうまくやっていくにはGive and Takeの足し引き、場合によっては「損して得とれ」的な時間軸をもずらしたものが必要だ。
先達は一見すると非合理で間違っていると言えるそれを体験し、長い時間耐え忍んでいくことで静的組織や環境として暗黙知化してきた。
とはいえ今の時代、それを下の世代に同様にやろうとすると、もうパワハラ、コンプラ問題や、そもそも陰湿な部活みたいでだっせえよという風潮になってきた。
一方で不確実性を大いにはらんだ現代においては、環境や前提の土台が変わりゆくものとして刻まれているが故、「石の上にも三年」と言われるような、時間のかかる「取引」をやることが難しくなってきた。
そうすると、別に友達でもないやつにオールドな根性論や錆びついた知識の講話に3時間と数千円投下すること(あるいはさせられること)を「回収の期待値が薄い」非合理な活動だと、切り捨てる対象になってしまう。
ここからは自分の考え
①やっぱりGiverが強い。
目先の損得ではなくタネを撒き続ける(特に若手のうちは)
②投資回収率の期待値を考える
偶発的な未来に幸運をもたらすことや、一つでも なんか発見があればいいさ。
③仲間意識とはめしとか遊びから始まる
数万年、人間の脳みそは変わってないらしい。
なので火を囲んで同じ飯をくらうということで仲間意識を持つらしい。
これら三点の方針をもとに人に関するものは動いている。
もちろんオールジャンルではない。例えば自分は倍速視聴論者だったり、車は動けばあとはどうでもいいと思っていたり、服に対するこだわりがない。
その代わり体験や遊びとか人付き合いに関してはわりかしどこまでも非合理選択をする。
自分の「労働力」という売り物の顧客は誰か?
Z世代は上記のようなメリハリを持ったコスパ・タイパをしている人が増えてきた。
原因は情報が透明化されすぎて、抜け穴のような稼ぎ方をしている人、働きすぎて心や体を壊す人など「外れ値」の存在をがあまりにも多く知ってしまったからだろう。
ことさら労働においては投下資本を最小化して給料を最大化したいという、ビジネス的な観点で言えばなんらおかしくない先入観を持ってきている。
ところで、労働者にとってのお客様って誰だろう。
前提としては自社サービスを使ってくれるお客様である。
ただ、上司や関係者も捉え方によっては自分の労働力という「サービス」の副次的な顧客とも言えるのではないか。
そう仮定した時、僕は賃金の分だけしか働かないというスタンスの奴に、副次的なクライアントからの評価はどう映るだろう。
そんなことを考えると、コスパタイパの経済合理性だけでしか動かない奴には次なる仕事や昇進などのリターンは巡って来にくいなと思ってしまう。
口を開けばそれ意味あんすか?と無駄っすよねと言ってくる奴が溢れていく時代に、その対極の昭和ァ!な人間の需要と供給は変わりゆくばかり。
総じて、絞るとこは絞って、適度に無駄を楽しみまくる、そうやって僕は生きてきたいっす。
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