遊びと熱狂の作用について〜小高満月相撲祭に寄せて〜
ごきげんよう。
最近コーヒーメーカーをゲットして、QOLが高まりました。
職場ではハンドドリップの所作によるリフレッシュ作用、家では作っている途中で家事をシュバっと済ませる、というようにうまいこと使い分けてます。
小高満月相撲祭の第1回を開催します。
ニュースポーツの可能性について。
最近、遊びを大切にしています。
地域での暮らしは、待っていても楽しいことがやってくるわけじゃない。
ならば、DIO(ourselves)してやろう、とういことでスポーツコミュニティを立ち上げてフットサルやモルックをやったり、DJイベントをやったり、ピックルボールをしてます。#OdakaWorkoutClubで検索してみてください。
スポーツをやっている中で一つ悩ましいことが。
サッカー、バスケ、バレー、テニスなどメジャースポーツはやはり経験者が活躍できて、実力差が生まれてしまうこと。
人間はヒエラルキーを無意識に作る習性があるので、フットサルをやっていると、経験者たちが「良い」と評価され、未経験者が「悪い」とされます。
部活やプロにおける競争・勝利への指向性があると、それがよりわかりやすい。大谷翔平はよくて、野口福太郎は無価値。
遊びではいくらか緩和されていますが、それでもかけっこがうまい子、バスケが上手い子、卓球が上手い子、やはり競争が生まれます。
それに対して、「ニュースポーツ」にポテンシャルを感じてます。
そもそも知らない、ということがもっぱら。いわんや経験値は基本的にゼロ。すなわち「よういどん」なのです。
それが故、ヒエラルキー構造を壊すことができるのです。
例えばボウリング+ダーツ+ゴルフみたいな感じのモルックは、シンプルでいながら意外と戦略性が高く、それでいて全年齢で遊べるものです。
前なんか足怪我してた大学生も一緒にやってたことも。
また一つピックルボール。
テニス+卓球(コートはバトミントン)というニュースポーツで、アメリカの競技人口が800万人を超え、AppleWatchのワークアウト時間の合計がテニスを超えたという、人気沸騰中のスポーツです。
Appleの統計ニュースリリースはこちら
その熱はシェアハウスでも御多分に洩れず、朝10分ぐらい家のまえで遊んだりしてます。
また先日はラケットを10本持って大学生に初めてプレイしてもらったら思わぬ才能の開花が見られたり、素人でもラリーが続きやすい性質がゆえにテニスのようなワンサイドゲームにならずに楽しんでいただけました。
一方でテニスとは微妙に打ち方が違うので、意外と経験者が打ち抜きすぎてネットに引っ掛けるというシーンも。
見事にヒエラルキーを「ぐちゃぐちゃにする」という目論みは成功したわけです。
じゃあ、なぜ相撲なのか?
さて、長ったらしい前置きで恐縮ですが、本題の相撲です。
突然ですが、相撲知ってますか?
バカにするなよって話ですよね。
じゃ、相撲やったことありますか?
多分、9割の人はない。これを読んでいる人はもっぱら力士ではないしぎりわんぱく相撲とかの経験があるか?てなところでしょう。
もうちょっと平たく
人生において、本当の本当にフルパワー(物理)をだしたことはありますか?
意外と、それもない。
そう、ないんだ。人は脳みその力を10%程度しか使ってないというけど、物理的な力は一体何%だろう?わからない。
実質ニュースポーツじゃね?
ルールが簡単で、みんなんの経験値が平均的にゼロか低い。
あれ、相撲やん。
力と力をぶつけ合う、極めてシンプルなのが良い。
(もちろん本当の相撲の世界においては身・技・体どれもハイレベルなものが必要なのでしょうが)
それでいて、特に現代においては対人で全力を出したことがない。
というわけで先日開催しました。源流となる、砂浜での戯れ。
小高満月相撲祭。先月の満月の夜、色々あって海岸に行ってテンションが上がり相撲を取ったらめちゃくちゃ楽しかったんです。
満月の夜でハイになっていたのかわかりませんが、月明かりの素敵さと、砂浜でやるという痛くない感じと、いい感じに拮抗したパワーバランスが良かったんだと思います。
ここで大事だったのは、全力を振り絞ったこと。
サッカーでもポジションどりでの力の勝負はあるものの、本当のフルパワーとはちょっと違う。
肉体と肉体のコンタクトは、とても良い発散の機会だったんだと思います。
拳を交えるならぬ、体を交わしたことは、千の言葉を交わすよりも、熱い。
そうときたら、浜通り最強を決めようということで、発起しました。
世界観はバキのように、どこからともなく東西南北から界隈の奴らが、強者を求めて引力のように出会い、戦いが始まる的な。
そして開かれた第0.5回。(雨天のためエキシビション化)
先日の満月は残念ながら雨。
よって近場の小高交流センターで開催されました。
土俵はお手製トラロープ。
今回のスタイルは、日本のはっけようい残ったスタイルではなく、沖縄相撲というもの。
お互いの帯(もしくはズボンの腰らへん)を持ち合い、がっぷり四つに組み合った状態から行事の掛け声でスタートです。
一般的な相撲とは違い、手や尻餅をついても負けではなく、背中をついたら負けというもの。(モンゴル相撲にだいぶ近いですね)
そのため、ただの押し出しや足掛けではなく、もっと純粋な力と力のぶつかり合いが楽しめます。
組み合わせはその場でセッション的に「やろうや。」の声かけのもとどんどんと試合が行われていく、某格闘番組のような形式。
あまりの激しさに、全員僧帽筋(ドラゴンボールとかでよく見る首と方の間の盛り上がり)から右腕にかけてが激しい筋肉痛を報告いただきました。
ここからが蛇足、それでいて本題:熱狂と縛りが土俵を立ち昇らせる
遊びというものは、一般に時間と空間の限定性があるものだと言われています。
その瞬間だけは没頭し、夢中になり、熱狂する。
僕が取り上げたいのは、その「深度」に関して。
一人での遊び、二人での遊び、5人での遊び、10人での遊び。
相撲は二人でもできるのだったけど、そこに行事がついたり、オーディエンスが増えたりして、どんどんと本格化していく。
その時、本来的には離脱も参加も自由な遊びというものに制約が生まれてくる。
没頭により、離脱が難しくなってくるのだ。
このライブ感に乗ってこない者はシケたやつという扱いになる。
ここで許されるのは、熱狂するか、無視、不干渉により完全なる域外に出るかだ。
まさしくこの催しの原点となったネットフリックスのドラマ「サンクチュアリー聖域ー」なのである。
今、この世界には土俵しか存在しないかのように皆がそこに熱い視線を注ぐ。
蛇足その2:相撲が巻き起こすソーシャルキャピタルの無限増大という仮説
シンプルに、遊び仲間が増えることは自分も周りも豊かにできるよねという話。ビジネスパートナーや名刺交換する人が増えても、「友達」と表現するには難しいことが多い。
特に仕事・ビジネスは少なくからずとも能力があるなしのヒエラルキーの概念があってしまうし、よっぽどの機会がなければ組み合わさることがない。
さらに言えば、どうせポストはもっと色々と生まれていく。
地域で人と人が関わる時、オルタナティブとしての「遊び仲間」を増やすことは、何かの時に助け合えたり、そこで生まれた信頼が時々仕事などを介して経済的なメリットに転嫁することがある。
ここで重要なのはあらかじめ仕事としての関係性デザインではなく、遊びの中で生まれる新たなPJや、信頼関係「つながり」の資産が偶然的に生まれていくこと。
お金は使ったら減る。通常はそうやって経済が回るけど、人間が減ってるこのエリアでは小さいし、滑らかとは程遠い。
一方で信頼→社会関係資本=ソーシャルキャピタルは取引記録こそが重要で、貸し借りを返したとしても頼ってくれた、きちんとそれに報いたという情報が資産として溜まっていく。
それもGive&Takeの「交換」 ではなく、Give &Giveの循環になった時、加速度的に取引先・取引量が増えていく。
僕は全部それでいけという社会学者ではない。けど、資本主義OSで限界がきていたり、それしか知らない物差しの余白としてのソーシャルキャピタルがパラレルに走っていくことがOSのバックアップとして実装された地域・社会は今よりは少なくとも「豊か」と言えるのではないか?と思っている。
その上で「俺とお前は相撲をした仲」というのは普通のスポーツでは生まれない、数値ではとても測れない濃いつながりを生み出してくれそう。
そんな仮説も裏で走らせて、満月の夜に、海岸で、相撲をやるということを通じた社会実験をしていくのです。
いつか人生において「あの夜は一体全体なんだったんだべなぁ」「でもなんか熱かったなぁ」とでも飲み語ったり、走馬灯にカットインしてくるぐらい濃い夜にしたい。
そんな思いと、とはいえシンプルに相撲楽しもうぜってことで筆を置きます。
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