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BGM conte vol.12 『カラーフィルムを忘れたのね』

「どうしたんだよ、急に帰るだなんて」
 テントを張る手を休めずにぼくは言った。せっかくの行楽気分に水を差される思いだった。ハナは、また始まったと呆れ顔してミヒャエルを仰ぎ見た。彼女の手には、ナップザックから取り出されたステンレスのフォークやらスプーンやらナイフやらが何本と握られてあって、夏の陽光を贅沢に散らしていた。
 ミシャーはしばしためらったあとで言葉を継いだ。
「いやね、忘れ物をしちゃったんだよ。だからこれから取りに帰る」
「忘れ物って」
「カラーフィルム。モノクロフィルムしか持ち合わせがなくて」
「あら、そんなもの」
「君たちは、持ってないだろ」
「カメラ自体、持って来てないさ」
「そうか。だったらやっぱり取りに帰る」
「今から町に行って戻ったら日はとうに暮れてるぜ。賢明な考えとはとても思えないな」
「ニーナなのね、あなたにまたそんなわがまま言って。あなたを困らせてばかり」
 そう詰ったのはクララで、夏の日差しを片手で避けながら、ミヒャエルの前に進み出て、憐憫の情を隠さずその肩を抱いた。黒のクロップド・トップスを着た彼女の肌の露出は大きくて、ハタから見ていてヒヤヒヤしたが、これも彼女一流の挑発の仕方だった。もちろんミヒャエルにではなく、ニーナに対しての。
「違うさ。彼女はなにも悪くない。約束したのに忘れたぼくが悪いんだ」
「ニーナは」
「車で待ってる。今から帰って戻れば日はまだあるだろうから、この二度と帰らない美しい一日を記念に残せるって、言い出したら聞かないからさ」
「思い出は心に刻むものだ。フィルムに写すものじゃない。そう言ってやれよ」
 ぼくだってちょっとは気の利いたことが言えるじゃないか。内心得意で、ハナのほうをちらり盗み見た。ハナはそんなことにはおかまいなしにぼくに加勢する。
「それに私たちはどうなるのよ。あの娘の美しい一日とやらには、私たちは関係ないのね。失礼しちゃうわ」
「そんなことないさ。とても感謝しているんだ。ただ、ほら、ひとつのことが気になると、ほかのことが見えなくなる性分だから」
「なんだかんだで魔性よね」
「てか、ニーナもあなたと挨拶に来るべきじゃなかったかしら。これからランチにしようってのに、これじゃ台無しじゃない」
「ごめん、ごめん、全然悪気はないんだ。頼むよ。それじゃ」
 そう言ってミシャーは逃げるようにして背を向けて走り出した。
 その背へ向けて、ぼくは叫んでやった。
「君らの戻る頃には、僕らがまだここにいる保証はないよ!」
 ミシャーは振り返りもせず、右手を頭上に振ってこれに応じた。

「やれやれだな」
 誰ともなく言ってため息ついた。
「あれでなんだかやりきれないのはさ」
 口の重いクラウスが言った。
「ミヒャエルがとっても嬉しそうってことなんだ。あんなふうな奴を見ていると、腹も立たんじゃないか」
「ほんと、それな」
 口々に言うと、みんなの笑いが夏空の高みへ放り投げられるのだった。

 ミシャー、ミシャー、とニーナのいつぞやの呼ぶ声がなぜか耳の奥に蘇る。水平線のかなたに視線をやりながら、二度と帰らない美しい一日とはなんだろうと、ぼくは目を細めていた。

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