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ヴァンピールの娘たちⅠ-1

Ⅰ-1. 人は生まれながらに亡命者エグザイルである


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 娘たち二人に対する二親の教えとは、「人は生まれながらにエグザイルである」というものだった。
「エグザイル」と文字通りにいわれた姉妹は、かなり大きな勘違いをしばらくは生きることになる。彼らが幼少の頃、歌って踊れる同名の人気男性グループを、テレビで見ない日はなかった。だから姉妹は、歌って踊れることが、ヒト生まれながらの本性と心得たものだった。

 遊びをせんとや 生まれけむ
 遊びをせんとや 生まれけむ
 ……


 テレビでくだんの男性グループを見かけると、姉妹はテレビの前に立って見よう見まねに歌い、夢中になって踊った。両親がそんな光景を目のあたりにして「そういう意味ではない」と修正する機会は、ついに訪れなかった。父親も母親も、いわゆるプライムタイムと呼ばれる時間帯に、子どもたちといっしょにテレビ室で過ごすことなど皆無だったからである。


「エグザイルであるからには、一所不住であるのもあたりまえ」とも両親はことあるごとに娘たちにいって聞かせた。「イッショフジュウ」とは、幼い姉妹にはさらに理解しかねるコトバだった。しかしそのことの意味をいやでも知らされる機会は、遠からずやってくる。
 姉妹は年子だった。姉が幼稚園の年中で、妹が年少、ただでさえ人見知りの激しい二人がようやく園の人や環境に慣れ始めたという頃合いに、こともなげに二親は娘たちに向かってこう告げた。
「引っ越すことになったから」
「いつ?」
「今日」
 今日? 引っ越すって、この家を出るってこと? 荷物は? タンヌは? ……娘たちのこうした矢継ぎ早の質問に、両親とも微笑を返すのみだった。幼稚園の迎えのバスがそろそろ指定の場所に来ようという朝の時間、取るものも取りあえず、着の身着のまま娘たちはモスグリーンのジムニーの後部座席に押し込まれ、どこぞへ逃げるようにして一家は旅立った。薄三毛のタンヌを収納したキャリーケースが助手席の母親の膝の上にあるのを認め得たのが、姉妹にとってのせめてもの救いだった。


 姉妹が生まれ育った土地をこのようにあわただしく発って以来、北は北海道から南は鹿児島まで、一家は半年と一所に滞在することなく各地を転々とした。それこそは、姉妹が「エグザイル」より先に知る「イッショフジュウ」の意味だった。お陰で二人とも、新たな人間関係が芽生えそうになると、相手に関心を寄せるのも、相手から関心を寄せられるのも、極端に避ける子どもになっていった。
 子どもたちにとって、互いの氏素性を深く探らずに済む関係を取り結ぶ最適な方法とは、すなわちごっこ遊びに没入することだったろう。姉妹はだから常に、同じような年嵩の園児とは別のなにかであり続ける必要があった。そしてまた、自分以外のなにかを演じることほど、彼らにとって得意なこともまたなかった。
 たとえば幼稚園バスは、彼らによって駆逐艦に変貌した。彼らはその艦長となり、副艦長となる。園内にあっては、あるときは文部科学省から派遣された覆面の査察官であり、あるときは某国の産業スパイであり、またあるときは芸能プロダクションのスカウトマンだった。

「最近幼児虐待がはやっておるようだが、この幼稚園はいかがかな」
「マユミ先生もコナラ先生もみんなやさしくて、いい人たちです。こないだマユミ先生に、クゥちゃんはずいぶん変わった頭の形をしているねといわれました」
「たしかにキミの頭の形は変わっているよ!」


 工作の時間には、孤高の匠を演じ、次々と前衛的な作品を世に送り出しては、保育士たちの舌を巻かせた。動物の子どもを紙粘土で作りなさいといわれて、無数の勾玉状のものを作り、これはあらゆる生き物の子ども、すなわち胎児であると言い張ったのはほかならぬ我らが姉妹であった。

「君にはね、この勾玉の、すなわち胎児の形の意味がわからぬのかね。西洋文字でいうところのカンマ、あるいはアポストロフィではないか。区切りと省略。生命とはそういうものではないのかね!」

 お歌の時間には、絶頂期に突然表舞台を去った伝説のオペラ歌手を演じて、童謡『こがね虫』を歌うのをかたくなに拒んだのだったが、ほんとうのところは、姉妹にとって『こがね虫』の歌詞とメロディこそは子殺しの隠喩にほかならず、「子どもに水あめなめさせた」という、あの最後のリフレインがどうにも子を毒殺する鬼親の光景を彷彿とさせ、怖気を振るわずにはいられなかったのである。また昼食時に姉妹はたまさかビーガン戦士になることもあり、動物を食べることの罪悪を諄々と説いて聞かせて子どもたちの食欲を減退させることも一度や二度でなかったし、牛の屠殺される場面を姉妹で熱演して見せて、子どもらの一部に泡を吹かせることだってなくはなかった。


 周囲の子どもたちはといえば、概して姉妹の企てるごっこ遊びに巻き込まれるについて好意的だった。好意的どころか、むしろ積極的に彼らは魅了され、嬉々として仮想の敵と戦い、仮想の戦死者のために涙を流し、仮想の勝利に歓喜した。しかしいっぽうで、奇行というほかない姉妹の言動が、遠からず大人一般の寛容度を超え、教育上の害悪として認定され始めたのも無理からぬことであった。園児らの保護者のうちには、姉妹の両親との面会を求めて家まで徒党を組んで押しかける者らがあったが、姉妹の二親はこれを拒まなかった。辛抱強くその抗議に耳を傾け、いっさいの反駁を挟まず、最後には深々と頭を下げて、娘らの蛮行とみずからの教育の不行き届きについて、二つながらに謝罪した。謝るときの父と母が放つオーラといったら、娘らがこれまで目にしたことのない、厳粛そのものであった。
 なにかを演じるのはやぶさかではないが、じっさいのところはやるせないのだといった趣旨のことを姉妹を代表して姉が訴えると、
「それこそはね、エグザイルであることの宿命なのよ」
 と母は微笑んで、二人の娘をさも愛おしげに抱き寄せて頬擦りをするのだった。


つづく


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