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航海日誌

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読書とは、本という無数の寄港地にしばし停泊するようなもの。その場合、海とは人生である。そして読書そのものもまた、凪があれば、嵐もある、難所を越えることもあれば、座礁することもある… もっと読む
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航海日誌♯2「井伏鱒二『普門院さん』試論、あるいは縁の下の神様」後編

航海日誌♯2「井伏鱒二『普門院さん』試論、あるいは縁の下の神様」後編

 改稿後に世に出たのが昭和六十年で、作家御年八十七歳ですから、もはや多少の混同や矛盾は許される境地ではあったでしょう。私もそう思いつつ、こんな飄々とした語りをいつか手に入れてみたい、しかしまたいっぽうで、仮にこんなふうに私が書いたところで、編集者に無惨に校正されるのがオチだろうなどと砂を噛むような妄想をしたものでありますが、この度、ちょっとした偶然から昭和二十四年の初出稿を目にする機会を得て、私に

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航海日誌♯2「井伏鱒二『普門院さん』試論、あるいは縁の下の神様」前編

航海日誌♯2「井伏鱒二『普門院さん』試論、あるいは縁の下の神様」前編

 岩波新書から出ている大江健三郎の『あいまいな日本の私』を読んでおりましたところが、それに収録された井伏鱒二についての講演が出色でございまして。触発されて久しぶりに井伏鱒二の短編を二、三読むうちに、これが止まらなくなった。なるほど、大した作家だと改めて痛感させられた次第なんです。
 新潮文庫の『かきつばた・無心状』をまずは書棚から引っ張り出してきて読んだんですけど、我ながら驚いたことに、これが初読

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航海日誌 #1「出港地ボルヘス、あるいは引用の海」

航海日誌 #1「出港地ボルヘス、あるいは引用の海」

 ボルヘス(Jorge Luis Borges 1899-1986)は生涯長編小説を物さなかった。彼の創作はすべて『伝奇集』や『砂の本』といった短編集にまとめられ、創作といっても、そのほとんどが世界各地から掻き集められた故事や伝説、史実のこぼれ話がベースで、どこまでが引用でどこからが虚構か、その淡いはいずれも巧妙にぼかされている。あるいはボルヘスの物語群については、次のように言うべきかもしれない。

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