みんなぬるっと人生終えていいの?

本気で取り組むことの楽しさを知っている若者が減ってきているような気がする。

いろんな生き方があるので別に他の生き方を否定するつもりはない。小さな幸せをみつけながらゆるっと生きるのも時にはすごく大切なことだと思う。

だが、目の前の現実や自分の苦手なことから逃げて、楽な方でたむろしている若者たちを見ると、あなたたちは一生そうやって狭い世界で自分のことだけを考えて、自分の輪の外にいる他人を馬鹿にして生きて死んでいくの?ほんとにそれでいいの?と疑問に思ってしまう。

そうせざるを得ない環境に入れられているだけなのかもしれない。本当はモヤモヤしているけど、何をどう頑張ればいいのかわからないのかもしれない。あるいは、何かを頑張るとかいう次元にいなくて、そんなことよりとにかく死にたいと思っているのかもしれない。

でも、いくら今の環境に不満を言ったところである日突然空から願いを叶えてくれる妖精はやってこないし、イケメン王子様は案外降ってこないし、何回死にたいと思ったとしても意外と私たちは生きている。

そして妖精や王子様の代わりに目の前に立ちはだかるのは、クソだるい課題や仕事とキモいおっさんと、そんな世界で自分が生きているという絶望である。

毎日レンチンナポリタン

もしかしたら私が間違っているのかもしれない。幸せのお手軽調理ができるみんなが正しくて、私の幸せへの基準が高すぎただけなのかもしれない。
そう思って手を抜いて生活してみたりもしたのだが、だんだん上手くいかないことを人のせいにするようになって、そんな何にもできない自分のことが嫌いになった。

確かにお手軽冷凍食品は簡単で美味しいが、毎日レンチンのナポリタンを食べていては飽きて嫌いになってこないだろうか。(毎日平和にナポリタンを食べられる幸せを噛み締めるのも大切だが)
たまには奮発してすっごいおいしいランチをいただきたくならないだろうか。

だから手軽な幸せと、辛いけど本気で頑張って得る大きな幸せのバランスが必要だと思う。

本気って意識高い人だけのもの?

ここでいう「本気」は別に主観でいい。
友達が徹夜で勉強しているからといって自分も徹夜しまくる必要はない。

一つのことに対してだけじゃなくて、生活全般に対してでもいい。
私今日生きるの頑張ったなー!みたいな。

一気に大きなことをやろうとしなくていい。
人の話聞く時いつもよりちょっとニコニコしてみたとか、いつも遅刻するミーティングに今日は早めに着いてみたとか。

本気で真面目に生きるって馬鹿みたいに見えるかもしれないが、
意外とこういう小さな行動の変化で新しい世界が見えてくる。

頑張っても意味ない、辛いだけ?

本気でやればやるほど他人や社会に裏切られた気分になることが多くなるし、そんなつらい思いをするんだったら最初から大変な道を選ばない方が良いのかも、としばらく思っていたりもした。

でも、一度頑張って背伸びをしてみると、元いた世界での行動範囲/しやすさが広がる気がするし、行動範囲が広がるということは幸せのかけらを見つけられる範囲も広がるということである。

あとはクソだるかった課題がちょっと楽しくなってきたり、キモかったおじさんが可愛く見えてきたりする。

妖精の力を借りなくても、本気になれば自分で魔法をかけられるのである。それってすごくない?

どうせ生きないといけないのなら、仕事が楽しくておじさんが可愛い世界線で生きた方が良くない?笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?