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本当の異文化交流とは何か

I hate you、とかつて私に真顔で放ったクラスメイトとは今、路面電車のプラットホームでアホみたいに笑いながら、思いつく限りのクリスマスソングのメロディーを口ずさみ3月の雨粒一個一個に溶け込ませにいく仲になっている。
時折変なダンスも挟みつつ。


見せ物に用はない

きれいごとが嫌いだ。

外から来た人に見せるためにきれいなところだけ切り取ってつくられた観光地、
普段やらないくせにけん玉やだるま落としを我が者顔でプレゼンする異文化交流ワークショップとかいうやつ、
会って2週間しか経ってないくせにお別れの時涙しながらハグし合い、3日後にはやっぱセブンのおにぎりしか勝たんわ〜と日本でぬくぬくしてる私たち。

どうせすぐその場を離れるって分かってるから、表面的な優しさで氷山の頂上だけを見せ合う。よく分からない文化に一瞬出会っても、「おもしろいね〜」って受け入れたふりだけしてその場をやり過ごせば結局他人事で済む。
だってその後の私の生活には関係ないもの。

そして帰国した時の土産話へとパッケージされ、みんなに笑い飛ばされて終わる。
だって関係ないもの。


理解して受け入れ合うなんて無理

彼女との出会いは意味不明だった。
息を吐くようにネガティブな言葉を使い、よく話しかけてくれるかと思いきや挨拶を無視される。かと思えば突然スペイン語で私に向かってペラペラ喋り出す。

彼女と会話すると言葉が全く出てこなくなる。
普通の人と会話する時はある程度相手の反応を予想しながらキャッチボールをしていくが、彼女の場合予想外の変化球を投げてくる。
ブラックジョークとして笑っていいのか同情すべきなのかわからないまま、毎回2択のコインを頭の中で投げ続ける。よく外れる。


なんやねんこいつ、と思いながら、彼女の発するn個の言葉のブラックさに上塗りするように笑い飛ばし続ける確率は1/2^n。


変な人

なんやねんこいつ、と思っていたのは私だけでなく相手もだった。

出会って最初は私のことをクソ無愛想な人だなと思っていたらしい。
変なところで笑うし、変なところで同情するし。

でも毎週会い続けるうちに、お互い表面が多少お互いにとって「ひねくれている」だけで、根はいい人なんだとわかるようになってきた。

いまだに2択は外し続けるが、たまに答えを教えてもらえるようになった。

予想外の反応が自分に新しい視点をもたらしてくれることもある。

真の異文化交流とは(2023春版)

お互いにひねくれてんなぁ、変だなぁ、って思いながら、時には笑い飛ばし、時には同情したり励まし合ったりし、
違いを受け止めているようで受け止めていないような微妙なラインで適当にわいわいする。

相手のよく分からない部分を否定もせず、完璧に理解しようともせず、意味不明だけどおそらく内面はいい人なんだろうと信じ続ける勇気を持ちながら時間を共にする。

これが本当の異文化交流なんじゃないかな、と今の私は思う。


こちらの今まで社会的に良いとされてきたものが全く通じないことに対して戸惑いながらもちょっと気楽さを感じる。
そして、わからない私だからこそ彼女のダークさを純粋に笑い飛ばすことが許されるのかもしれない。

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