世界の見え方とか

自分の見えている世界だけが正解じゃないということを知っている人が好きだ。

だからといって、他人を変えて分かりあうことなんて無理だって諦めるんじゃなくて、一緒に明るく前に進もうとする人は特に好きだし、
自分もそんな人になりたいと思う。

世の中には自分の見えている世界を信じて疑わない大人がほとんどだし、もうマウントおじたんとかその卵とか、自分の定規だけで他人を測ろうとする人に会ってもあまり失望しなくなったのだけど、
たまにプライドのかけらもない人とか、ラベルを必要以上に貼りつけずに他人と楽しく関わってる人とかに出会うと結構嬉しい。

マウントおじさんと旅

旅は人を謙虚にする、
だからあんたはもし男と結婚するなら世界中旅した人とにしなさい、
ってうちのスイートメイトが言ってた。

私より後に生まれてきたとは思えない説得力である。

高学歴とかお金持ちとかになってすごいすごいともてはやされ自尊心が肥大化するが、
どこかのタイミングでふと、褒められているのは学歴やお金を持っている自分の殻の方であり、殻を脱いだ本体の自分は何もないことに気づく。だってそれ以外の努力をして来なかったし、今まではその必要も無かったから。

そんな裸の自分の醜さを認められずに、どこかで人々は本音で褒めているわけじゃないと分かっていながらも学歴金持ちマウントをとり続け、自尊心を表面的に満たし続ける。
自分の外の世界の不快なものには耳を塞ぐ。

愛を持て余した若者たち

日本において、上記のようなマウント孤独おじたん的人間は上の世代に多く見られる。

一方で今の若者世代はなんとなく、自分はこの世で生きる価値のある人間なんだ!って証明したいけどイマイチやり方が分からない、と心のどこかではモヤモヤしながらもとりあえず目の前のライフステージをこなしてる人の方が多いように思う。

異性の人間を好きにならなくても結婚しなくても良くなったし、良い会社に就職したら一生勝ち組!って保証されるとも限らなくなったし、
かつては家族や社会から得られていた所属感とか承認欲求の行き先が失われているのかもしれない。
SNSは一時的に承認欲求を満たしてくれるけど、これまた自分の表面的な一部にしかいいねがつかなくて、スマホの画面を赤いハートでいっぱいにしても現実世界の愛は全然埋まらない。
画面の世界にのめり込めばのめり込むほどむしろ現実の愛の探し方が分からなくなるだけ。
そして抜け出せなくなる。

時代は海馬カメラっしょ

なんでも後回しできる便利な時代になってしまった。

写真撮ってあとで見返そ〜っと、
あとでテキスト/LINEするね!

いつでもどこでも伝えられるからこそ、
あなたの身につけているネックレスがかわいいと思ったその瞬間にかわいいね!と言えるようになりたいし、
思いがけずきれいな景色を見つけた時に、スマホを取り出す前に全身で景色を吸い込んで、脳内の記憶カメラに全力で焼き付けたい。

いろいろな世界の見え方があるからこそ、
今わたしが見えている世界とか、それが人の世界と交わる瞬間を全力で楽しみたい。

たぶんそれが愛への第一歩目だと思う。

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