見出し画像

noteを始めて変わったこと①

やっほーみんな元気?

最近書いてるものたちが人に伝わらなさすぎる自覚があったので、たまにはわかりやすめの文章を書いてみます。いぇーい。


そもそもなんでnote始めたんだっけ


約4ヶ月前に私は当時の「ゆーちゃん」監修の元、noteを始めました。
(詳しくは「自己紹介と目的」のnoteへ)

当初の一番の目的は、「ほんとうの自分のための居場所をつくること」でした。

私たちは、学校やSNS上で人と関わっていく時、基本的に「見せたい自分」を場所ごとに選んで見せにいきます。

「いい人」であろうとする自分、
集団において「〇〇キャラ」と認定された通りにふるまう自分、
目標に向かって頑張る自分、
ちょっといつもより盛れた自分、
そして、友達からのいいねによって形作られた自分。

世界に対して自分を良く見せようと日々努力を積み重ねることは、自分磨きになるし、より社会から認められて他人と仲良くなることもできます。

しかし同時に、人からの期待に合わせれば合わせるほど、私の中で何かが削れていっている感覚がありました。

それがおそらく、「いい人じゃないクソな自分」だとか、「人からの言動に傷つく自分」といったものなのだと思います。

その場所で求められているわたしになろうとすればするほど、社会によってつくられた「ゆーちゃん」はどんどん友達が増えていくけれど、社会から求められない要素の掃き溜めである「私」はひとりぼっちになる。
昔定期的にSNSのアカウントを消したくなっていたのは、置いていかれそうになった「私」からのSOSだったのだと思います。

ほとんどの人はこの2つの切り替えを自然にやっていけるのかもしれませんが、私の場合は気づいた時には溝が深くなりすぎていて、「私」のいる向こう岸に渡るのに10,000キロもかかってしまいました。

そして、海を越えて「私」に出会った私は、ほんとうの私のための居場所をつくることを決意しました。

こう書いた方が喜んでもらえるかな、とか、こう書いた方がいいねがもらえるかな、みたいなサービス精神をできるだけ取り除いて、そのままのちぐはぐな自分を他人にみてもらおう。

それが私のnoteの始まりです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?