見出し画像

18歳の私と海外


(*:20歳の私によるコメント)

自分と「海外」という存在は切っても切り離せない関係にある。「海外」というと他の物事では感じられないような複雑な気持ちになるので、少しずつ18歳である私の現時点での思いと考えを言語化していこうと思う。そこら中に転がっている安っぽい言葉で消費されてしまわないように、時間をかけて書いていくつもりだ。

1 小学生まで

まず、自分と「海外」が関係する出来事を述べていく。
自分は外国人として日本に生まれたため、周りの日本人と違って生まれた時から「海外」と関わる必要があった。
「自分は中国人である」というのは常に頭の中にあったものの、自分のことを日本人または外国人のどちらかに分類して認識していたわけではなかったと思う。
親が中国人なので小さい頃は将来中国人と結婚すると勝手に思っていた。一方で、学校ではほとんどの友達が自分の国籍を気にせず仲良くしてくれて、私は日本人同然に振る舞った。自分の性格上その環境に溶け込みたかったので、日本人よりも日本人らしくなった。お母さんが美味しい和食を作ってくれて、日本語が通じるおじいちゃんおばあちゃんの家が近くにある日本人の友達が羨ましかった。でもクラスメイトや街中の演説している人に中国人の悪口を言われた時は胸糞悪い気分になったし、社会の授業で日清戦争をやった時は泣いた。
中国に行った時はネイティブである家族のように中国語がうまく話せないことが恥ずかしくて、自分のことを内気で話すのが好きではない性格に仕立て上げた。時々親戚が「小日本」などと冗談で日本の悪口を言った時は、日本人として悲しい気持ちになった。
中国語教室にいた日本に住む中国人の子供たちは皆年下なのに中国語が上手だった。クラスでは1番か2番目くらいに年上で読み書きは他の子よりできたが、スピーキングに関しては学ばずとも自然とできている小さい子たちが羨ましかった。お母さんが「この子日本に住んでるのにこんなに中国語喋れてすごいね」と中国語スピーチの動画を私に見せる度に、その子に対する嫉妬と自分に対する諦めが混ざった気持ちになっていた。

この頃は、自分の周りには「日本人」「中国人」または「日本に住む自分より中国語が上手い中国人」しかいなかったため、自分のように日本人と中国人が同時に存在し、どちらの要素も微妙に欠けているというのを認められなかった。アイデンティティを見失っていた。

2 中高生

自分のアイデンティティへの見方が変わるきっかけとなったのは、中学3年生でオーストラリアのホームステイをした時である。移民が沢山いるため複数の文化が共存していて、両方の文化を学んでいけば良くて別にどちらかを選択する必要はないという新たな選択肢に気づいた。この時点である程度自分の中のアイデンティティ問題は解決した。

しかし正直なところ、中国の文化に興味なんてなかった。「興味を持たなきゃ」という意識はあって、何度も中国語や中国の歴史を学ぼうとしたものの、必ず途中で(または始める前に)挫折した。小さい頃から高校生まで、絶対に住みたくない国ランキング1位は堂々の中国だった。理由はきっと、経済が発展する数年前の中国の汚いイメージがいまだに残っていたというのもあるし、一番は自分が中国に連れて行かれた時に(特にコミュニケーションにおいて)何度も辛い思いをしたのが心の奥ではトラウマなのだろう。

そんな中国に対する見方がほんのちょっと変わったのは、高校2年生で友達に誘われて日中青年会議に参加した時だった。今の中国の若者は昔と違ってもっと世界に対して柔軟で、私たちと何も変わらない存在だと分かった。こういう系のイベントでは冷めてしまって滅多に泣かないが、この時は「日本人と中国人って仲良くなれるんだ」という事実に泣いた。

ただこの時でさえも、自分にとっては日本の環境が一番だと思っていたし、中国はもちろんのことわざわざ海外なんて行く必要もその勇気もなかった。英語なんて日本で学んだ方が成績は上がるし、表面上では「え、すごーい」と言いながらもむしろ海外に留学する人を蔑んでいた。(* 今考えると、自分が目を背けていた新しい環境に対してポジティブに挑戦する彼らへの妬みでしかなかったと思う。)

3 受験期

そんな奴がなぜ突然アメリカに行くことにしたのか、実のところはよく分からない。海外に対して苦手意識があったため、アメリカンドリームのようにアメリカという国に対して憧れたのではないのは確かだ。自分の運命からして他の日本人と同じ道を歩むことは不可能だと悟り、その逃げ道としてたまたまアメリカという道を知ったからだろうか。とにかくいつも重要な時に自分を助けてくれる私の勘が働いたのだ。
最初の方で周りに合わせて日本人らしく振る舞おうとしていたと言ったが、実は心の奥底では「人と違うことをしなきゃ」という気持ちが常にあった。それは国籍によるものかもしれないし、単に私の性格なのかもしれない。だからいつも人が頑張らない時にやる気が出て、みんなが自分と同じことをしていると新たな選択肢を見つけに行った。(* この頃の私は人に嫌われるのが怖くて相対的な価値観しか存在しておらず、自分自身が何をやりたいかを考える余裕などありませんでした。)
それが今回の場合はたまたま国内に無く、アメリカにあったというだけだ。というとかっこよく見えるが、とにかく今の状況から逃げたかったのが本音かもしれない。(海外大に行きたいと高校の先生に言った時は「東大行けば良いじゃん、なんでわざわざ海外行くの?」と全然理解されなかったのだが、そりゃあ育ってきた環境が日本人とは違うから理解できないのは当たり前だ。) (* なのに沢山サポートしてくださってありがとうございました。)

海外大を志望し始めてからは、自分の国籍にまつわる出来事がいろいろあった。
そもそも外国籍の人は有名な日本の奨学金に応募すらできなかった。修学旅行でシンガポールに行くにも友達の数百倍の協力と努力が必要だった。社会を少しでも良くしたいという純粋な気持ちで身を削って行動を起こしても、「中国籍の女子高生」とラベリングされ転売ヤーとして叩かれた。
だがこの時の私は、日本の若者を支援したいから外国籍の私は応募できないと言われても、アンチから自分の存在を貶されても平気だった。
「よくあることだし仕方ない」
「その分日本人にはできないことを経験してるから大丈夫」
「私には応援してくれる人がいる」
と自分に言い聞かせ、実際にあまりくよくよせず(落ち込んだ所で何も変わらないので)自分の運命を受け入れていた。(* というと強そうに聞こえますが、本当は傷つきすぎていて高校生の私は認識を無理やりポジティブに曲げていくことしかできなかったのだと思います。)

話が逸れるが、自分が今まで成し遂げてきたことは絶対に自分のお陰ではなく周りの人のお陰であると思っている。世間ではこれをインポスター症候群と言うらしい。でも実際に上記のことが結果的に上手くいったのは全て周りのお陰なのだ。私自身は誘われない限り意識高い系のことなんて自分から探しに行かないし、そんなことをやるのに自分が値しないのは自分が一番よくわかっているし、たまに挑戦する気が起きた時もいつも周りが手を差し伸べてくれていたので正直すごいことは何もしていない。むしろ迷惑ばかりかけている。唯一自分の中で誇れるのは、勘がいいことくらい。(* 大学に来てから自分について少しずつ分かるようになって、インポスター症候群がなくなったのも大きな変化。)

海外大受験の過程も結果も悲惨だった。
(* 諸事情により中略。努力では越えられない壁を悟ってうつになり、「ここまで過程も結果も辛いと最初から分かっていたらアメリカ受験なんてしなかった。これ以上挑戦なんてしたくない!!」と戦友たちにLINEした痕跡があります。)

4 大学生

真っ暗だった受験期とは打って変わって、アメリカに来てからはポジティブになった。
中国が自分の中での「海外」の基準だったということもあり、正直アメリカという国自体に対しては何も期待していなかったため、留学経験者によくあるらしい「現実を突きつけられる」みたいな経験は無かった。むしろ思っていたより断然過ごしやすくて驚いているほどだ。
ここでまたちょっと話が逸れる。死んだ方がマシだと思っていた受験期の私の状態からは信じられないことだろうが、辛いことの後には良いことがあるというのは嘘ではなかったんだな、と感じる。でもこの「良いこと」が長続きしないという私の無駄に鋭い勘も働いている。それに死ぬリスクを考えると、ここまで辛いことを乗り越えてまでこの一瞬の幸せを掴む必要があるのか?と言うのも自分の中での最近の疑問だ。あまり無闇に後輩に海外大を勧められない理由もここにある。(* この後たくさん泣きながら成長して、今では来られて本当に良かったなと思っています。だけど無闇に後輩に海外大を勧められないという考えは変わりません。)

そしてこの国に来てからの大きな収穫は、「自分のような人が存在していてもいい」ということに気づけたことだ。ルームメイトも韓国人だけど全く韓国文化に興味がなく、小さい頃から自分のことを白人だと思っていたので鏡に映る自分の姿に驚いたらしい。親は中国人だけど中国語が全然話せない子も沢山いる。逆に複数ヶ国語喋れる人も沢山いるがあまりステータスにはならず、ここでは英語さえできれば残りはお互いあまり興味がない。中国人なのに中国語ができないからと言って恥じる必要はないのだと分かった。(しかもこの国ではアジアは一括りにされる。)

一方で中国語の必要性も感じた。中国人はどこに行っても中国語ばかり話すので外から見ると怖いが、中に入れてもらえると実はとても優しいことが多い。本人たちも不安だから結局中国人同士で固まってしまっているだけで、中国語さえできれば仲良くなれる。しかもアメリカに来ている中国人は皆私を「日本から来た人」と定義してくれるので、上手く話せなくても恥ずかしがる必要がない。

今だに長期では絶対中国に住みたくないけど、短期留学くらいなら中国に行くのもアリかな、くらいの気持ちに最近は変わってきている。やっと自分の背景と向き合う準備が出来てきたような感じだ。

18歳現在の私はまだ、「私と海外」の関係性への明確な答えは出ていない。けれど確実に答えに少しずつ近づいてきている。私と言う存在が生まれてきた以上はきっとこれからも人生をかけて取り組んでいかなければならない話題だろうし、前向きに取り組んでいきたいとも思う。

(* ここから1年後、「日本人」としての私に向き合うことになってまた苦しむけれど、心の友や素敵な日本のひとたちに出会って希望を持ち始めるのはまた別のお話。)

2021/9/22

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?