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ドライバーを自由にさせるが、脇が甘いエンストンのチーム

アロンソのアストンマーチン移籍の記事で、私は「トールマンの流れを汲み、エンストンに拠点を置くアルピーヌは、個性の強いドライバーがいてこそ輝くチーム」と書いた。しかしながら、ピアストリの来季契約拒否に至る混乱を見て、「ドライバーを自由にさせるあまり、契約面での脇が甘い」点を書き足さなければならないと感じた。

以下、8月1日のアロンソ移籍発表記事で書いた内容を下敷きに、今回のドタバタにまつわるアルピーヌチームへの見解を記しておきたい。

個性的なドライバーがいてこそ輝くエンストンのチーム

アロンソ移籍とピアストリの契約問題で揺れるアルピーヌ。このチームは1980年代のトールマンの流れを汲み、ベネトンがチームを買収して英エンストンに拠点を移してからは、ベネトン⇒ルノー⇒ロータス⇒再びルノー⇒アルピーヌ、と名前を変えてきた。

このチームは個性あるドライバーがいてこそ輝く。古くはセナ、ピケ、シューマッハ。近代ではアロンソ、ライコネン。彼らより若干小粒だがベルガーやクビサもそうだ。ドライバーが好き勝手行動してもうるさく言わないし、ライコネンが一番生き生きとドライバー生活を送ったのもロータス時代だ(「Leave me alone」の無線が有名だ)。

アルピーヌの源流をたどると、80年代の「トールマン」にたどり着く。84年のモナコでセナが2位に入る快走を見せ、関係者を驚愕させたときのチームだ。

16年にルノーがチーム運営に復帰したものの、チームを引っ張っていく核が不在の状態だった。アロンソが昨年チームに復帰して、メンターの役割を果たした意味は大きかった。

チーム関係者もドライバーの檄に応える度量があった。94-95年と05-06年の黄金期はドライバー以上にアクが強いフラビオ・ブリアトーレがチームを引っ張ったことも大きい。ロリー・バーン時代の吊り下げ式フロントウィングや、超広角バンクのV10エンジン、13年の前方排気、昨年の特徴的なPU配置など、技術的挑戦も怠らなかった。

ドライバー管理の脇が甘く、幾度も凋落を招く

一方で、カリスマ性のあるドライバー不在の状況ではあっという間に戦力を失うのもこのチームの特徴だ。シューマッハが去った96年、アロンソ不在の07年、クビサが重症を負った11年、ライコネンがいなくなった14年は見るも無残な成績に終わった。

このチームはドライバーに好き勝手やらせる半面、ドライバーを自由にしすぎて移籍のリスクを軽視しすぎる、という問題があるように思える。

例えば95年末のシューマッハ移籍にあたって、当時の監督のブリアトーレはアレジ、ベルガーの獲得で戦力の穴は塞がると息巻いたが、彼らではシューマッハの代わりは務まらなかった。ライコネンに至っては給与問題で13年のシーズン中に離脱してしまった。移籍問題とは異なるが、クビサのラリー事故もマクラーレンなら契約の禁止事項で縛り付け、問題となる可能性自体を摘んでいた案件だ(だからこそクビサは自由に行動できるルノーと契約したのだろうが)

95年にベネトンに乗るシューマッハ。彼は翌年フェラーリに移籍し、ベネトンは暗黒時代に入ってしまう

今回のアロンソとピアストリの件も、ベネトン時代から続く「ドライバー管理における脇の甘さ」がモロに出た案件だと思われる。 かえすがえすも、なぜこのチームがオコンと24年までの3年契約を結び、シートを1つ埋めたのか理解できない。ガスリーやピアストリの契約を逃し、アロンソが去る一因になったように思える。

中途半端なルノーの立ち位置も要因に

この「ドライバーのカリスマ性に依存し、妙に脇が甘い」性格は、80年代より培われたチームの文化に加え、はっきりしないルノーの立ち位置に要因があると思える。

06年にルノーを駆るアロンソ。2度目のタイトルを獲得後にたもとを分かつが、ルノーにとってもアロンソにとっても悲惨な結果に終わった

ルノーは95年に、当時のベネトンにエンジンを供給する形でエンストンのチームとの付き合いが始まった。それ以来、ルノー本社の業績や経済環境に振り回される形で、両者は近づいたり離れたりを繰り返した。

具体的には97年末でのルノーエンジン撤退(メカクロームとしてのエンジン供給は継続)、⇒00年にベネトンを買収し02年から「ルノー」としての活動開始、⇒09年末に投資会社に株式売却、翌年いっぱいでワークス活動撤退、⇒16年ルノーワークス復帰、⇒21年チーム名を「アルピーヌ」に変更、といった具合だ。07年のアロンソ離脱もルノーのF1関与が不透明となるなかで、マクラーレンに将来を託したことが要因だった(現在に至るアロンソの受難はこの判断ミスから始まる)。

ルノーの手を離れた期間の経営陣はレース成績よりもチームの売却額にしか関心がなく、ルノーが関与してからはレースの現場を見ているのか、本社の方しか見ていないのかがわからない上層部も多くなった。

ロータス時代のライコネン。特にF1復帰初年度の12年は変なしがらみもなく、自由にレースをしていたと感じる

ルノーのF1活動は70〜80年代のワークスチーム(※このチームは現在のアルピーヌとは源流が異なる)、ウィリアムズへのエンジン供給のころより「インターナショナルチーム」を目指すのか「オールフレンチ」を目指すのかが揺れ動いてきた。オコンと3年契約を結び、チーム名も「アルピーヌ」に変えた現在が、今世紀で最も「オールフレンチ」を志向したチームに映る。

「勝つ」ことよりも、「チームの体裁」にこだわる。いかにも危なっかしい状態に思える。

「勝つこと」に集中させるにはドライバーの力が必要

このエンストンのチームが「なぜドライバーのリーダーシップに依存するのか」を考えると、次の結論が思い浮かぶ。

チームスタッフの意識をサーキットに集中させ、本社のお褒めにあずかることではなく勝つことを至上命題にするには、ドライバーの強烈なリーダーシップが必要だから』だ。

大メーカーが絡むチームの上層部はどうしても本社の意向が気になるし、上層部と現場のメカニックとの間にはすきま風が生まれがちだ。そんな資本関係やチーム体制などお構いなく「勝つ」ことを至上命題とし、「勝てるのか」「勝てないか」だけを判断基準に周囲を巻き込めるのは一流ドライバーの特権だ。

このチームがアロンソという核を失ったとき、2020年以前のグダグダなチーム運営に戻らないか大変不安である。

後編「F1チームのドライバー管理とリーダーシップ」に続きます。


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