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F1チームのドライバー管理とリーダーシップ

(本記事は「ドライバーを自由にさせるが、脇が甘いエンストンのチーム」の続編です)

アロンソ移籍とピアストリの契約問題を受けたアルピーヌチームの混乱を分析するにあたり、リーダーシップの所在を縦軸に、ドライバー管理の厳格さを横軸に見立ててアルピーヌと各チームの位置づけをチャートでまとめてみた。ビジネススクールの先生であればもっと厳密なものが作れそうだが、上図は完全に主観的なお手製である

なお、アルピーヌは「エンストン拠点のチーム」として、ベネトン、ルノー、ロータスと一括りでまとめている。

チームがドライバーに求めるリーダーシップと、ドライバー管理の相関関係

メーカーワークスだからこそ、ドライバーのけん引力が必要

メーカーワークスのフェラーリ、メルセデス、アルピーヌが大なり小なり中心線より上にあるのは偶然ではない。チームを本社の雑音からシャットアウトし、サーキットでの成果に目を向けさせるにはドライバーのリーダーシップが必要だからだ。(ただし、ブリアトーレやトッド、ウォルフのような外部人材がその役を担えるならドライバーの負担は軽くなる)

このチャートで唯一ドライバーの顔が描かれているのは96〜06年のフェラーリで、シューマッハの独裁体制ともいえる強烈なリーダーシップで引っ張った。一方で現在のフェラーリにはドライバー管理なんて言葉はなく、首脳陣はリーダーシップに欠け、ドライバーが笛を吹けども一向にチームが踊らない悪循環にはまっている。悪い意味でドライバーのリーダーシップが役に立たないチームだ。

メルセデスはトト・ウォルフを中心とした組織力の強いチームだ。しかし、ハミルトンの求心力に頼るのも確かで、彼が不在の2020年サヒールGPでタイヤ交換ミスにまつわるドタバタを演じたのも記憶に新しい。ハミルトンが抜けた場合にどこまで競争力を維持できるかは不明だ。組織の強さとドライバーのリーダーシップのバランスが程よく取れている、という点ではレッドブルも共通する。

真逆に位置するエンストンのチームとマクラーレン

アルピーヌをはじめとするエンストンの歴代チームは「ドライバーのリーダーシップに依存する放任主義」として左上に描いている。有力ドライバーにチームのかじ取りを期待する一方でドライバー管理の脇が甘く、しばしば他チームへの流出を招いたのは前回書いたとおりだ。

育成という考えも弱く、新人ではパーマー、ペトロフ、ピケJrが中途半端な扱いのままチームを追い出され、バトンや09年のグロージャンも危うくキャリアを閉ざされるところだった。

エンストンのチームとマクラーレンは原点を挟んで真反対に位置する

原点を挟んで真反対に位置するのがマクラーレンで、デニス、ザイドルの両時代とも組織が強く、規律を重視してきた。チームに忠実な優等生タイプを好み、個性が強すぎるドライバーが入った場合は必ず問題が起きる。80年代のセナ・プロスト時代の混乱のイメージも強いが、チームメイト間の確執が表面化した89年を除けば、両者とも規律に従う組織人として振る舞った。

大器と見込む新人に英才教育を施すのもこのチームの特徴で、ハッキネン、ライコネン、ハミルトン、ノリスはここで新人時代を過ごして力をつけた。サインツは中堅に近い年齢ではあるが、このチームの走りで実力が認められたドライバーの1人だろう。ピアストリがマクラーレンでデビューしたがるのは理解できる。

ライコネン(左)とハミルトン。いずれも新人時代をマクラーレンで過ごし、チャンピオンドライバーへと成長していった
先ごろフォーミュラEのチャンピオンに輝いたバンドーン。マクラーレンでデビューを飾るも不遇のままF1を去ったが、パワーユニットにまつわるチームの混乱期と重なったことに加え、比較対象とされるチームメイトがアロンソだった、という不運が大きかった

新人教育に向くチームと、向かないチーム

マクラーレンに加え、新人教育に定評がある旧ザウバー、アルファタウリも右下エリアに位置する。ザウバーはライコネン、クビサ、ペレス、ルクレールらを育て、ベッテルもBMWザウバー時代のこのチームでデビューした。チーム名がアルファロメオに変わってからは資金面の不安が減ったからか、「ベテランが羽を伸ばして走れるチーム」に位置づけが変わった感がある。

数々の新人を発掘してきたペーター・ザウバー(右)と、小林可夢偉

左下は「放任主義で、ドライバーのリーダーシップに非依存」のチーム。ここに入るのは下位チームが多く、「そもそもリーダーシップの才能に溢れた有力ドライバーを獲得できなかった」事情もある。

なかでもハースは創設以来、ドライバーのコントロールに悩まされ続けたチームで、ここに放り込まれたミックが1年間でほとんど成長できなかったのも理解できる。今年マグヌッセンが復帰してようやくドライバーによるリーダーシップが根づこうとしている。

「超・放任主義」だった80年代〜00年代のウィリアムズはチャートの左下に位置する

ウィリアムズをどこに位置付けるか迷ったが、結局、80年代〜2000年代のフランク・ウィリアムズ、パトリック・ヘッドの時代と、現代とを分けることにした。

フランクが健在のころはドライバーに介入しないかわりに、守ってもやらない「超・放し飼い主義」で、チーム内対立も日常茶飯事。プライドが高い技術陣はドライバーの意見に耳を貸さなかった(ただし92、93年は若干、管理体制にシフトした)。

ここで新人として勝ち抜くには、ヒルのようにテストドライバーとしてチームと密な関係を築くか、ヴィルヌーヴやモントーヤのような個性と図々しさがないと不可能だ。

マンセルとパトレーゼが組んだ時代のウィリアムズ

ウィリアムズは最近になってマッサやアルボンらベテランドライバーの経験も頼り、ボッタスやラッセルのような新人を育てるようになった。以前とは若干位置づけが変わったと感じる(そのため、現在のチームロゴを右寄りに置いている)。

F1チームにおけるドライバーのリーダーシップは、かくも重要で、かくも最適解を見つけるのは困難だ。

失敗続きの「プライベーターのワークス化」

アルピーヌとアストンマーチンには気になる前例がある。

21世紀初頭のF1は大メーカーによるプライベーターの買収が相次いだが、「そこそこ好成績を挙げたプライベーターを買収によってワークス化しても、ほぼ空中分解に終わる」という呪われた法則があるように感じられる。ジャガー、第3期ホンダが具体例だ。BMWザウバーも1勝は挙げたが、ウィリアムズにエンジン供給したころと比べて戦力は大幅にダウンした。

メーカーによる既存チーム買収の失敗例が2000年代初頭のジャガーだろう

プライベーター時代のチーム代表は多額の売却益を得てモチベーションを失い、入れ替わりでメーカーから派遣された首脳陣は本社の方しか見ていない。外部から人材を招聘してもピント外れな人選が多く、しょせんは「雇われ監督」に過ぎない。彼らは人材を育ててチーム力を底上げするよりも、手っ取り早く大物ドライバーとデザイナーを引き抜き、華々しいプロモーションイベントを開く考えに陥りがちだ。

F1チームを「他人事」で扱ったジャガーやホンダが結局はチームを手放し、売却先のオーナーが「自分事」として競争力を強化した結果、皮肉にもチャンピオンに上り詰めたのがレッドブルとブラウンGPだ。そのブラウンを引き継いだメルセデスも初期はぱっとしない成績で、最強チームとして君臨するのはハミルトンをチームに招き入れ、現行パワーユニット規定となって以降となる。

アルピーヌも一時プライベーターとなったロータスを買い戻してワークス化したチーム。アストンマーチンもフォースインディアを買い取った、名義上はメーカー直営のチームとなる(実態はストロール家の大資本をバックにしたプライベートチームかもしれないが)。

フォースインディアやレーシングポイント時代は時折表彰台に立ち、20年のサヒールGPで優勝も経験したのに、チーム名をアストンマーチンに変えてベッテルを招聘した瞬間から不振が始まったのは偶然ではない気がする。「ワークス化」の呪縛にはまったように見えるのは気のせいだろうか?

アストンマーチンも「チームにメーカー資本が入り、大物ドライバーを招聘すると失敗する」という「ワークス化の呪縛」にはまったように見えるのは気のせいだろうか?

この2チームの未来はどこへ向かうのだろう?ピアストリは無事F1デビューできるだろうか?そして、アロンソはアストンマーチンを立て直すべく檄を振るえるだろうか?

長くなってしまったが、アルピーヌチームを題材としてF1チームのリーダーシップの類型をまとめてみた。

アロンソが少なくともあと2年は現役を走れそうなのは嬉しいが、なにしろこの人はチームを見る目がない。40歳を過ぎて、選択眼が改善したことを切に祈りたい。

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