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われわれの脳が1万年進化してないってマジかと思った話。

フォレスト出版編集部の寺崎です。

これまた、スゴボン(すごい本)に出会ってしまった。

アラン・S・ミラー、サトシ・ナカザワ著『進化史理学から考えるホモサピエンス』(パンローリング)だ。

この本、なにがすごいって、結論からお伝えすると、「人間は1万年前からぜんぜん進化してない」ってことを、ありとあらゆる証拠を挙げて解説しているんです。

ちょっとショックでした。

ショッキングな内容は追々説明するとして、本国でも出版に至るまで、なかなか険しい道をたどったようです。

この本が日の目をみるまでには長い時間がかかった。扱っている問題が一部の激しい反発を招くおそれがあり、「政治的に正しくない」とみなされるような事柄も多々あるため、出版に際しては各方面の反対にあい、壁にぶつかった。三社の出版社から次々にオファーがあったものの、いずれもあとになって契約を解消したいと言ってきた。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』謝辞より

不勉強ながら、「進化心理学」というジャンルの存在を知らなかったのですが、本書では進化心理学というフィルターを通して「人間の本性」を描こうとしています。これがじつにスリリングなのです。

この本で、私たちは人間の本性について述べたいと思う。「人間の本性」というと、誰もがなんとなくわかっているようでもあり、日常会話でも「人間はそういうものだから」などとしたり顔で言ったりもする。しかし、いざ定義しようとすると厄介だ。

人間の本性とは何か。

その答えは複雑でもあり、驚くほど単純でもある。恋に落ちるときも、夫婦喧嘩するときも、好きなテレビ番組を楽しむときも、夜中に物騒な界隈を歩くのが怖いときも、自分の国に移民がどっと押し寄せることに当惑するときも、教会に行くときも、私たちは(部分的には)進化によって形成された独自の性質をもつヒトという動物として行動している。この独自の性質が人間の本性である。

(中略)

進化心理学は人間の本性を扱う新しいサイエンスであり、その視点は、人間の趣向や価値観、感情、認知、行動に対する生物学的、進化的影響を理解する上で、今のところ行動遺伝学の視点と並んで、最も有効であると思われる。

この本では、できるだけ幅広い読者に進化心理学の成果を紹介したいと思う。進化心理学は社会科学と行動科学に取って代わりつつある分野だというのに、一般向けの進化心理学の入門書で、最近刊行されたものはあまりない。この分野では毎年興味深い研究が数多く発表されており、一般向けの入門書も逐次、内容を新たにする必要がある。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

なるほど、新しい学問分野で、日々更新されているジャンルのようです。

人が考えるうえで陥りがちな2つの誤謬

まず本書では議論を始める前に、「2つの誤謬を避ける」ということを明示しています。そもそも、この考え方自体が新鮮でした。

2つの重大な誤謬とは――
①自然主義的な誤謬
②道徳主義的な誤謬

――です。

自然主義的誤謬とは・・・
「~である」から「~であるべきだ」への論理的な飛躍。「こうなのだから、こうあるべきだ」という論法です。

(自然主義的な誤謬の例)
人には遺伝的な差異があり、生まれつきの能力や才能はそれぞれ違う。だから、差別があるのは当然である。

道徳主義的な誤謬とは・・・
「~であるべきだ」から「~である」に飛躍すること。「こうあるべきだから、こうなのだ」と言い張ることです。

(道徳主義的な誤謬の例)
誰もが平等であるべきだから、生まれつきの遺伝的な差異があるはずがない。

サイエンスライターのマット・リドレーはこれを「逆の自然主義的な誤謬」と呼んでいる。

どちらも誤った論理であり、このような主張は科学全般、なかんずく進化心理学の進歩を妨げる。しかし、リドレーが的確に指摘しているように、政治的な保守派は自然主義的な誤謬に陥りやすく(「自然の摂理では、男は闘い、女は育むようにつくられている。だから女は家にいて子育てに専念し、政治は男に任せるべきである」)、リベラル派は道徳主義的な誤謬に陥りやすい(「欧米のリベラルな民主主義は男女平等を掲げている。その立場からすれば、男と女は生物学的に同一であり、それを否定するような研究は出発点からしてまちがっている」)。

学者、とりわけ社会科学者にはリベラルな左派が多く、進化心理学の学問的な議論では自然主義的な誤謬よりも、道徳主義的な誤謬のほうがはるかに大きな問題となる。大半の学者は自然主義的な誤謬を犯すことはまずないが、道徳主義的な誤謬にはしばしば足をすくわれる。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

この本では、こうした誤謬を避けるために、「~であるべき」という議論を一切せず、「~である」に徹しています。道徳的結論を導き出すことがないため、ゆえに「けしからん!」という内容も含まれてきます。

進化心理学の4つの原則

進化心理学の原則①
人間は動物である

進化心理学には4つの原則があるのですが、そのうちの1つが「人間は動物である」ということ。人間はちっとも特別な存在ではなく、あらゆる生物に当てはまる進化の法則は人間にもあてはまると考えます。

人間はユニークだが、ショウジョウバエがユニークであるという意味で、ユニークなのだ。あらゆる生物にあてはまる進化の法則は、人間にもあてはまると進化心理学では考える。それゆえ人間を別格に扱う標準社会科学モデルに異を唱える。

偉大な社会生物学者ピエール・L・フォン・デル・ベルヘの言葉を借りれば、「たしかに私たちはユニークだが、ユニークであるという点ではユニークではない。あらゆる生物種がユニークであり、置かれた環境に適応してユニークに進化してきた」のである。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

進化心理学の原則②
脳は特別な器官ではない

進化心理学では、脳は手や足や内臓といった器官の一部にすぎないと考えます。これはなんとなく、すんなりと受け入れられる考え方ですよね。ただ、これまでに伝統的な社会科学では、人間の脳は特別視されてきたそうです。

個人的には古代宇宙人が人間を操作してハイブリッドな人間を生み出し、それが我々の祖先であるというトンデモ仮説が好きです。どうでもいいんですが。

進化心理学の原則③
人間の本性は生まれつきのものだ

これは原則①から導き出されるものであり、犬が生まれつき犬で、猫が生まれつき猫であるように、人間も生まれた時から人間である、と。

犬と猫にあてはまる真実は、人間にもあてはまる。人間の場合、社会化と学習は非常に重要だが、人間は文化的な学習の能力を生まれつき備えているのであり、これは生まれもった性質である。文化と学習もまた、人間が進化によって獲得してきたものなのだ。社会化は、すでに私たちの脳にあるもの(善悪の意識など)を再度植えつけ、補強するにすぎない。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

このあたり、こうズビシッ!と言い切ってしまうところが、議論を巻き起こすタネになるような気がします。

進化心理学の原則④
人間の行動を生まれもった人間の本性と環境の産物である

伝統的な社会科学モデルでは「人間の行動はほぼすべて環境と社会化によって形成される」と考えられてきました。

たとえば「男らしさ」「女らしさ」といったものは生来備えているものではなく、社会化によって形成されると考えるわけです。

ところが、進化心理学では「人間の行動は生まれもった人間の本性と環境の産物」だと言います。

遺伝子が何もない状況下で働くことはまずありえない。遺伝子が働き、行動となってあらわれるのは、多くの場合一定の環境下であって、環境がその働きを導く。同じ遺伝子でも、環境が違えば、あらわれ方は違ってくる。その意味で、遺伝子のプログラムである生まれもった人間の本性とともに、人間が成長する環境も、行動に決定的な影響を与える。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

サバンナ原則――石器時代の脳を持つ私たち

いきなりショッキングな事実をお伝えします。

私たちの手や膵臓の基本設計が、およそ1万年前の更新世の終わり(いわゆる氷河期)から変わっていないように、脳の基本的な機能もこの1万年間あまり変わっていない。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

えっ、俺たちの脳って、氷河期の時代のままなの!?

われわれは石器時代の手や膵臓をもっているように、同じく石器時代の脳をもっています。

ところで、約1万年前に人間の世界を激変させる、ある出来事が起こります。それが―――農耕と牧畜の発明です。

ヒト科の祖先はその進化の歴史の99.9%をアフリカのサバンナや地球上の他の場所で、狩猟採集民として過ごしてきた。農業革命が起き、私たちの祖先が農耕と牧畜で食料を確保できるようになったのはつい1万年前のことである。

都市、国家、住宅、道路、政府、文字の記録、避妊、テレビ、電話、コンピュータなどなど、今日私たちの周囲にあるものはほとんど、この1万年間に登場した。

思い出してほしい。私たちの体は祖先の環境に合わせて適応を遂げている。私たちは「石器時代」の体(脳を含めて)をもっているのだ。

それはとりもなおさず、私たちの体は、およそ1万年前の更新世の終わり以降に登場したものには必ずしもうまく適応していないということを意味する。

進化の時間的な尺度からすれば、1万年というのは非常に短い期間である。その間に登場したものに合わせて、私たちの体を変えるには単純に時間が足りない。環境の急速な変化に比して、人間が成熟し、生殖できるようになるまでには長い年月がかかるからなおさらだ(考えてもみてほしい。人間が成熟して生殖できるようになるには約20年かかるが、この20年間に私たちの生活環境はどれほど変わったか。20年前には、アメリカの軍関係者と一部研究者を除けば、まだ誰もインターネットや携帯電話を知らなかったのだ)。

言い換えれば、私たちは依然として1万年以上前の祖先と同じ心理メカニズムをもっているということだ。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

こうした考え方を進化心理学では「サバンナ原則」と呼ぶそうです。

過酷な環境を生き抜いたわれわれヒト科の祖先の適応でわかりやすい例が「甘いものや脂っこいものを好む」という心理メカニズムです。

かつてはこの心理メカニズムをもった人のほうが長生きができたわけです。ところが、現代に生きる我々はどうでしょうか。

甘いものや脂っこいものはどこのスーパーにもあふれています。もともとの適応上の問題(栄養不良など)はもはや存在しないのに、私たちは今でも甘いものや脂っこいものを好む心理メカニズムをもっています。

現代の環境と祖先の環境があまりに違うため、今や私たちは奇妙な問題に直面している。進化的心理メカニズムに従って行動する人たちは、生存という点で、むしろ不利になるのである。甘いものや脂っこいものの食べ過ぎによる肥満は、生存にはマイナスになる。サバンナ原則によれば、私たちの脳は、スーパーマーケットというもの、もしくは食料がふんだんにある状況を、にわかには理解できない。そもそも農耕というものも理解できない。いずれも祖先の環境には存在しなかったからだ。私たちの脳は、食べ物がなかなか手に入らず、いつ手に入るか予測できない狩猟採集生活を今も続けているつもりでいるのだ。脳がスーパーマーケットを本当に理解できるなら、人々は甘いものや脂っこいものをこれほどまでに求めないはずである。

『進化心理学から考えるホモサピエンス』

いや、この話ちょっとショッキングじゃありませんか?

「言われてみりゃ、そりゃそうだよね……」と妙に納得しつつ、「俺の脳は1万年変わってないのか」という絶望と、「だからバカなんだな…」という安心感がないまぜになった感じと言いましょうか。

ここまで書いても、なかなかこの本の面白さを伝えきれないもどかしさがありますが、さらに面白いのは「1章 進化心理学について」「2章 男と女はなぜこんなに違うのか」に続く章の中身がすべてQ&Aになっている点です。

たとえば・・・

Q:息子がいると離婚率が低くなるのはなぜか
Q:女たちはなぜダイヤモンドに目がないのか
Q:ハンサムな男が夫に向かないのはなぜか
Q:なぜ赤ちゃんは「パパ似」なのか
Q:だめな父親は多いのに、だめな母親が少ないのはなぜか
Q:女性のほうが家庭を大事にするのはなぜか
Q:なぜ暴力的な犯罪者はほぼ例外なしに男なのか
Q:ビル・ゲイツやポール・マッカートニーと犯罪者に共通するものとは
Q:なぜ男は結婚すると「落ち着く」のか
Q:妻や恋人に暴力をふるう男がいるのはなぜか
Q:神経外科医は男性、幼稚園の先生は女性が多いのはなぜか
Q:なぜセクハラはなくならないのか
Q:なぜ世界中で民族紛争や独立紛争が絶えないのか

・・・とこんな感じの問いから始まり、進化心理学的観点からの解説が展開されるのです。

原題は『Why Beautiful People Have More Daughters』というもので、直訳すると「なぜ、美しい人々はより多く娘を持つのか」ですが、よくわからないですね・・・。

ちなみに奥付をみると、本書は阪急コミュニケーションズから2007年に出た『女が男を厳しく選ぶ理由』を新装改訂したもののようです。2019年初版、私の手元にある『進化心理学から考えるホモサピエンス』は4刷でした。

旧版タイトル『女が男を厳しく選ぶ理由』(阪急コミュニケーションズ)
新版タイトル『進化心理学から考えるホモサピエンス』(パンローリング)

書籍コンテンツも翻訳の質もとても優れているだけに、もう少し「サプライズ」が伝わるタイトルだったら、もっと売れそうな気がしました。

長くなりましたが、最後に橘玲さんのじつに秀逸な推薦文をご紹介します。

「私たちがどのような世界に生きているかを理解するのに必須な、進化心理学の最良の入門書。『政治的な正しさ』をとりあえず棚上げし、偏見や先入観を捨て、次々におそいかかる不愉快に耐えることができれば、まったくちがう景色が見えてくるだろう。そして、『残酷な世界』を生き延びるための指針を手に入れることができるにちがいない」 橘玲


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