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オタクはなぜ、魔法少女を愛するのか?

こんにちは。
フォレスト出版・編集部の美馬です。

以前の投稿で、人生を変えた作品をテーマにいくつかの漫画やアニメを紹介しました。

休日の過ごし方と言えば、ろくに外にも出ず漫画、アニメ、ゲームで1日が終わってしまうような(もっと外に出なければと思いつつも……)自堕落な生活を送っていますが、いわゆる二次元の作品から考えさせられることも非常に多いものです。

これら日本のポップカルチャーを宗教的思考で紐解いた1冊があります。
石井研士・著『魔法少女はなぜ変身するのか』(春秋社)

魔法、神・聖地、異世界・転生……。
いつの時代もアニメや漫画と言えば、で登場するワードだと思います。本書では、昔懐かしいものから最近話題となったものまで多くの作品を分析し、現代人とこれらのワード、そして宗教的な関係まで考察している、知的好奇心をくすぐられる1冊になっています。名作に隠された宗教的背景を知れば、まんまとその策略にハマっている私たちオタクの考え方も少しは変わるかもしれません。

今回は、先日20周年を迎え話題を呼んだ「プリキュア」シリーズについての考察を簡単に紹介していきます。

今月19日まで開催されていた「全プリキュア展」、多くの人が足を運び大反響だったようです。子連れよりも、初代プリキュア世代の20代女性たちが多かったとかなんとか。

日曜朝8時半、女の子向けアニメの魔女っ子シリーズ枠で放送された初代「ふたりはプリキュア」。その第3シリーズにあたる「ふたりはプリキュア Splash Star」の視聴率が伸び悩み、その後の命運をかけて背水の陣で制作されたのが「Yes!プリキュア5」だと言います。その時の発想、いわばコンセプトになったのが、驚くことに『湘南暴走族』という暴走族マンガであったとのこと。

もう一つ裏話として興味をそそられたのが、当時のプロデューサーはプリキュアを語るにあたり、一貫して「魔法」について言及しなかったということです。のちに「『魔法』は排除した」とまで指摘しています。魔女っ子シリーズ枠で制作されたプリキュアですが、なぜ魔法を排除したのか。本書では以下のように明かされていました。

 これまでみてきたように、シリーズをリードしたプロデューサーの鷲尾天は子ども向けの番組であることに十二分に留意して制作している。しかし「魔法」についてはほとんど語らないのである。鷲尾は『プリキュアシンドローム<プリキュア5>の魂を生んだ25人』の中に頻繁に登場する。声優や美術へのインタビューにも同席し、自分も会話に加わっている。六〇〇頁近い「プリキュアシリーズ」だけの著作の中で、鷲尾が「魔法」に言及しているのはきわめてわずかである。その際の鷲尾は「魔法」を忌避するような発言を繰り返す。「「プリキュアは魔法じゃありません!」って。変身すること自体がファンタジーなので、魔法は組み込みたくなかったんです」と述べるのである。

『魔法少女はなぜ変身するのか』(石井研士/春秋社)
制作者にとっての「魔法」より

ここで「変身」がキーになることがわかりましたが、プリキュアの「変身」は従来の魔法少女のものと比べても大きなコンセプトの違いがあるようなのです。

 プリキュアの変身シーンは従来の魔法少女ものとは異なっている。一人で変身することができず、手をつないで初めて変身するのである。見方を変えれば、「ふたりいないと変身できない、という枷」ともなる。鷲尾が「友情ということばは大きかった。……ふたりの友情の物語からはじまり、人気になった」と述懐しているように、性格も関心もまったく異なる二人の友情、絆を表現するために取られた方式である。
 「Yes!プリキュア5」ではプリキュアの人数が一気に五人になる。変身も一人に一話を使い、さらに五人目の水無月かれんは変身に失敗する。最終的に六話目で変身が可能になるように、「変身」に力点が置かれていることはよく理解できる。

『魔法少女はなぜ変身するのか』(石井研士/春秋社)
プリキュアの「変身」より

これは私個人的な解釈ですが、製作者は「魔法」ではなく「変身」で非日常を作り出していたわけです。「魔法が使えたらどんなに良いか」と考えることはありますが、「変身できたら良いな」とはなかなか思わないものではないでしょうか。しかし「プリキュア」という作品は「変身」に意味付けをして私たちにこれまで感じたことのない非日常を体験させてくれていたのです。

ここまでプリキュア制作の裏側を探ってみましたが、「魔法少女」の類では多種多様な関連グッズが発売されるものです。工作ものや着せ替え人形然り、コスプレ衣装などもこれにあたるでしょう。ほとんどが幼稚園から小学校低学年向けになりますが、俗にいうオタクが買い求めるグッズとしては、キャラクターが実寸大で描かれた抱き枕やアクリルスタンド、タペストリーなどが挙げられるでしょうか。小さい子どもから大人まで、魔法少女に夢中です。これには、現代人の神社や寺などとの関わりが軽薄化していることが絡んでいると言います。

 神社や寺と関わって行われてきた様々な行事が縮小し、家庭の宗教性が希薄化している現代社会において、メディアが「身近な不思議」や「魔法」を継続的に表象する媒体となっていることは十分に意識すべきと考える。
(中略)
深夜アニメ枠で放送される「魔法少女」アニメは、最初から「大きなお友達」を想定した作品である。一九六〇年代に始まった「魔法少女」アニメのジャンルは、視聴者の年齢の上昇に伴って、また我々を取り巻く情報環境のメディアミックス化の中で、どこにでもある存在へと変わっていったのである。私たちはメディアで自生する宗教の中にどっぷりと使って日常生活を送っているのである。

『魔法少女はなぜ変身するのか』(石井研士/春秋社)
魔法は解けるのかより

テレビの画面越しで魔法少女が煌びやかに使用している魔法に、現代の私たちは魅了され、知らず知らずのうちに教祖を拝めるような感覚に陥っているのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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