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好きなもの#5 村田紗耶香

初めての出会いは大学生の頃。
当時芥川龍之介賞受賞で話題になっていた”コンビニ人間”を拝読したのが、村田紗耶香さんとの初期接触。その時は、諸々変化の流れが速い現代ならではの作品だなぁと思ったくらいで、正直あまり心に残るような作品ではなかった。実際どこでどうやって読んだかとかもあまり覚えていない

そんな自分がクレイジー沙耶香にどハマりしたのは社会人になりたての秋、六本木の蔦屋書店で”地球世人”を読んだ時。

なんだこれは、と思った。
文章として理解は出来るけど、あまりに突飛なストーリーに頭と心が追い付いていなかった。「あれ、途中読み飛ばした部分あったっけ?」と即読み返したくらい諸々が整理できていなかった。

小説を読むとき、読者は主に2パターンに分かれると思っている。
 ・登場人物に自分を投影し、物語の中に入って読むパターン 
 ・第三者視点に立って、外から物語を傍観するパターン
だけどこの物語を読み終えた時、自分はどちらでもなかった。いや、途中までは前者のパターンだったにもかかわらず、終盤に差し掛かったタイミングでその物語から強制退場させられた気持ちになった。

村田紗耶香さんの物語に出てくる登場人物は、一般的に人に相談しづらい”マイノリティ”価値観を持った人物が多い。性欲に嫌悪感を持っていたり、世の中の仕組みに上手く馴染めなかったりする主人公が、突飛な世界観の中で悩みながら生きていく様を通して、読者の価値観を揺さぶってくる。

この地球星人に出てくる奈月も、社会や家庭内のストレスから”人間の存在意義”について日々問いただしており、背景は違うものの似た考えを持った自分にとって、自己投影する存在として物語を読み進めていった。
しかしその価値観が話の終盤、あまりに早いスピードで暴走していく。自分と同じ考えを持った菜月が、その考えを持ったまま一行ごとにどんどん遠のいていく。途中まで同じ足並みで歩いていた(と思っていた)菜月は、物語が終わった時にはどこか別の場所に行ってしまい、自分は作品の世界から追い出されてしまったような感覚に襲われた。

ただ決してネガティブな読了感ではなく、むしろ「なぜ自分は置いていかれたのか?」と頭の中でぐるぐる問い続けるのが、有意義で、自分にとって必要なことのように思えた。

近年”多様性”の考えが社会にも浸透したことで、自分とは異なる考えに対しても「まぁ多様性の時代だしね」と脳死で受容することが増えた。理解しようとしたり共感しようとする労力を怠け、ただ「そういう考えもあるよね」と自分と関連付けず、放置するようなことも少なからずあった。村田紗耶香さんの作品にもあるように「多様性の外にいる人」たちのことなんて考えずにこのワードを使うこともあった。

村田さんなりの多様性について書かれた
”気持ちよさという罪”が収録されている信仰

村田紗耶香さんの作品を読むときは、ある種の覚悟を持って読むようにしている。”価値観”に対して逃げず怠けず考え抜くぞと心してページをめくり、物語から置いてかれないような胆力を身に着けていく。

#わたしの本棚


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