見出し画像

【離婚後共同親権】「こどもまんなか」政策論は、議論の打開策になるか?

君子豹変

人を偏見で見てはならない。
と改めて自戒したいと思いますが、これにびっくりしましたね。

<参照記事①>
末富芳「【論点整理】親権問題「こどもまんなか」で考えようー子どもの最善の利益のために #共同親権 #単独親権 」(Yahooニュース個人2022年9月1日)

びっくりしたのには、ちゃんと理由があります。

昨年夏、フランス人男性が、東京オリンピック・パラリンピック開催にかこつけて、自分の子どもに会いたいと、千駄ヶ谷駅でハンガーストライキを行い、共同親権界隈でちょっとした話題となりました。

この年の11月、フランス人男性は暴挙に及びました。

明らかに日本の刑法が適用となる地において、フランスの裁判所が逮捕状を出すことは、立派な内政干渉ですが、末富氏は、このようなコメントを記事に寄せていました。

<参照記事②>

ハーグ条約が親のためではなく子どもの利益を守るための条約であることは日本では軽視されています。
また共同親権という日本語=明治以来変わらない親の支配を認める日本の民法親権と、ハーグ条約含め国際条約・法で規定される親権(custody)の間には隔たりがあります。
大切なのは子ども自身の最善の利益の擁護と実現です。片親の連れ去りが緊急避難である場合やそうでない場合も含め、子ども自身のケアや権利擁護や意見表明を支える仕組みは、日本は未整備でフランスとは比較になりません。
2023年発足予定のこども庁では子どもの権利擁護の仕組みも検討されており、ハーグ条約問題含め子どもを大切にした支援体制の構築が急がれます。日本人親が安易な連れ去りをしなくて済むようそもそも相談体制の充実、日本でも子どもの最善の利益を実現する大人の意識・行動変容が急がれます。基本法制である子ども基本法の制定も急務です。

(参照記事②より)

まず、このコメントは初歩的な間違いがあります。
引用元の記事の事案は、日本国内で成立した婚姻であり、妻と子は、日本国内で子連れ別居しています。
つまり、ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)の適用の余地は全くない。

次に、「片親の連れ去り」「日本人親が安易な連れ去り」と元妻を非難する言辞を弄していますが、引用元の記事は、よくある「連れ去られ被害者の言い分」のみを一方的に掲載しているものであり、一方的で不公平な内容です。
第二段落では、親権についてかなり正確な理解をされていますが、「連れ去り」という推進派ワードに明らかに毒されている。

こんな人物が、「こどもまんなか」とか言い出すんだから、眉唾なのではないかと思っても無理がないと思いませんか?
実際に、ゴリゴリネトウヨ議員・小野田紀美氏が絶賛。

ところが、ろくなもんじゃねえだろと、腹を据えて読んでみたら、意外にまともだったのが、冒頭の記事です。

素通りの人

末富芳(すえとみ・かおり)。
日本大学文理学部教育学科教授です。
もともと、京都大学出身で、ご専門は教育行政学、教育財政学。
国会や政府の仕事をよく歴任されており、参議院文教科学調査室客員調査員、内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議委員、文部科学省高校生等への修学支援に関する協力者会議委員などを歴任されています。

最近話題になった本に、こんなものがあります。

末富芳・桜井啓太/子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには (光文社新書) 

様々なデータを駆使して、子育てがまるで「罰」であるかのような育てづらい国、日本を活写した本は、話題を集めました。
最近話題の、EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)ってやつですね。

悪いとは言いません。
しかし、こうしたアプローチの学者さんあるあるですが、思想的な議論を意図的に素通りする。
いわゆる「空中戦」批判てやつですね。
この国の子育ての貧困は、いったいどんな思想的な背景があるかについて、決して深く踏み込んでは来ない。
問題解決だけにしか興味がないタイプの学者です。

誤解に基づく正論

だから、末富教授は、法制審議会家族法制部会の議論を、次のように批判します。

子どもの最善の利益のために養育費確保をはじめとする制度の在り方を検討していたはずの法務省・法制審議会ですが、いつのまにか「共同親権を推進すべき」という自民党保守派の議論に焦点を置いて報道されています。

もちろん離婚後の親権をどうするかも、子どもたちのために重要です。
共同親権は子ども自身にとっても選択肢の1つです。
しかしそれだけが重要な論点ではありません。

こども基本法の成立に関わり、子どもの権利・子どもの貧困対策や教育費問題を専門分野とする研究者として、親権にばかり焦点があたる報道の中で、子どもたちの最善の利益の実現が置き去りにされているのではないかと懸念しています。

(参照記事①より)

…主要報道社も法制審議会の検討事項や親権問題への理解が一部正確ではなく、自民党保守派が問題提起する「親権問題」を中心とした報道となっています(時事通信8月30日)。

もちろん親権問題は、重要な論点です。
いっぽうでこのまま親権問題が重点化されすぎた場合、法制審議会が目標としている「子どもの最善の利益」のための、養育費確保、離婚後の面会交流、特別養子縁組制度の改善など「こどもまんなか」の議論が置き去りにされてしまう懸念を持っています。

(同)

このご指摘は正論だと思います。
ところが、

親権については「親権」・「監護」などの概念・用語の整理や、「親権行使のほとんどの場面において,子の意思や意見を反映するための具体的な規律はなく,離婚時の親権者の指定や面会交流,養育費に関する取決めといった離婚後の子の養育の在り方を決定する場面においても,子の意思や意見を反映させるための規律は設けられていない」ことを改善していこうという、やはり「こどもまんなか」の視点が設定されています。

(同)

というのは、誤解があります。

論旨自体は、審議会等の政府の仕事の進め方を熟知した、末富教授ならではの議論展開ですが、部会の議事録を隅から隅まで読んでみた私からすると、部会のメンバーが、末富教授のいうところの「こどもまんなか」の視点で議論をしていたかというと、かなり疑問があります。

正直、かなり我田引水な印象を受けます。

末富教授は、ご自身の主張として、子の意見表明を強く擁護されますが、そのような共通理解は、部会メンバーにはありませんでした。

また、末富教授は、部会の主要検討項目として、「養育費確保・特別養子縁組制度・財産分与制度」の3つを挙げられていますが、特別養子縁組制度と財産分与制度は、18回にわたる議論で取り上げられたのは、数回程度であり、主要な検討項目とはとてもいえません。

注文を付けるべき相手を間違えている

末富教授は、「2.「こどもまんなか」日本のために養育費確保は急務」という項目の中で、「厚労省・法務省ともに迅速な取り組みをしているが国策化には自民党や与野党の後押しが必要」という主張を立て、その下に詳細なデータに基づく、説得力のある主張を展開されます。
それは正しい。

が、私には違う景色が見える。
家族法制部会の議事録を読んでみると、むしろ、家族法制部会の運営メンバーの方が、民法改正の範囲をこえる法制度や社会保障制度を議論することを、積極的に回避しています。
本来、後押しを務めなければならないのは、政治サイドではなく、政府上層部(おそらく首相官邸)の意向を忖度した法務省、そして家族法制部会の運営側だ、というのが実態だと思います。
注文を付けるべき相手が違う。

あなたが置き去りにしているんですよ

そして、「素通り」論法を繰り出してきます。

離婚世帯の場合には、養育費確保制度を政府として強力に推し進めていただかなければ、子どもの貧困問題の改善はあり得ません。

共同親権か単独親権かで政治家同士でいがみあっている場合ではありません。
また報道もおもしろおかしく、その対立に焦点を当てるべきではありません。

旧統一教会系とされる自民党議員の関与を焦点化しようとする取材もありましたが、当然ですがお断りしました。
そのような報道は離婚によって時には悩み傷つき、貧困化してしまう子どもたちを置き去りにするものです。

(同)

まず、いがみ合っているのではなく、問題は、政治家ではなく、別居親団体とそれと結託した保守政治家たちの不当干渉です。

"報道もおもしろおかしく"というのは、今の民主政治の深刻な病理を意図的に回避するという、無責任な態度です。

「そのような報道は離婚によって時には悩み傷つき、貧困化してしまう子どもたちを置き去りにするものです。」というのは、いったいどういう意味なのか?と思います。
「宗教2世」という言葉を知らないんでしょうか?

要するに、末富教授は、見たい被害者しか見たくないし、考えたい問題しか考えたくないのです。

それは、エビデンスベースで政策を論じるには、あまりに不誠実であり、単なるエゴイストではないか。

ただ、評価できる部分もある。

修正された共同親権の見方

「3.単独親権/共同親権と養育費確保・面会交流は別問題」という項目の中で、「取材を受けて心配な点」として、

共同親権=養育費確保+面会交流

という正確さを欠くイメージが刷り込まれているとし、次の3点を指摘されます。

(1)共同親権でも養育費が払われなければ子どもが貧困化
(2)親権があっても子どもに会えない親もいる
(3)単独親権でもすでに面会交流できる日本

という3本立ての論旨は、まったく当然の内容であり、これまで離婚後共同親権反対派の識者が指摘してきたことと大きく重なっています。
しかも、これらの論旨に最新のエビデンスが付されており、非常に参考になると思います。

しかし、問題もある。

面会交流は「こどもまんなか」ではない

報道関係者にすら知られていないのではと懸念していますが、単独親権の現行法制下でも、子どもへの面会交流はできます。

現行の民法766条が、面会交流について規定しています。「子の利益を最も優先して考慮すべき」としており、まさに「こどもまんなか」の規定となっています。

(同)

そして、こんなくだりが続きます。

共同親権でなければ子どもに会えないわけではないのです。

夫婦の葛藤が大きい場合には、支援団体が子どもと別居親との面会交流をアレンジする仕組みもあります。

利用料金が高いですし、法務省の認証システム等はなく、面会交流支援団体の基準も大まかなものにすぎません。

法務省が、面会交流支援に取り組んでいる個人や民間団体を紹介しているにすぎないなどの課題もありますが、子どもにとって安全・安心な面会交流の手段を確保しようとする努力は重要です。

(同)

このくだりから、末富教授は、いわゆるプロコンタクトカルチャー(理想的にはいかなる制限もなしにコンタクトするべきである、そして離別後の子どもの処遇の理想は共同養育であると想定する。)を支持していることがうかがえます。

上記引用箇所の論理を敷衍すれば、葛藤度が高いケースにおいても、面会交流を実施すべきだ、という欧米流の考え方になるからです。

とすると、末富教授は、悪名高い「面会交流原則的実施論」を支持しているのかというと、そうではないことが読み進めるとわかります。

「4.子どもの生命と安全を守る仕組みが脆弱なままの共同親権・面会交流は危険」の中で、次のようなくだりが出てきます。

ところで、共同親権・面会交流については、法制審議会の委員だけでなく、困難な状況の親子に関わる子どもの支援団体からも不安の声があがっています。

いまの日本では、子どもの生命と安全を守る仕組みが脆弱なのです。

(同)

…裁判所が関わらない協議離婚の場合、養育費とひきかえにDVや性暴力の加害者親が子どもを面会させることを要求してくるケースがあります。

虐待加害者の親であっても「もうやりません」と言えば、親同士の弁護士の合意で面会交流を認めてしまうケースもあります。

子ども自身が面会の際に、暴力・暴言、虐待や性暴力などのリスクに晒され続けるリスクは変わらない状況もあります。

(同)

しかし、その弊害の対策については、「(2)子どもの法定代理人選任制度、子どものカウンセリング経費支援、離婚を経験した子どもの相談支援体制の整備も急務」とされ、次のようにも述べます。

家裁調査や面会交流によってフラッシュバック等を起こしてしまったDV・性暴力・虐待等の被害者の子どもが必要なカウンセリングを受けられるような経費の公的支援も必要になります。

(同)

そして、子どもの人権110番やソーシャルワーカーのサポートなどを提言し、面会交流のリスクから子どもを守るべき、と論じられます。
が、面会交流そのものは決して否定はされない。

この後には、別居親による殺人事件が起きていることも指摘されます。しかし、次のように述べられる。

共同親権先進国の経験からは、「子どもの安全第一」のルールや支援策を整備・運用したうえで、「親の関り」を丁寧に作っていくことが重要であることが把握できます。

(同)

それでも「関わる」ことが前提なのです。

なぜ、そこはこだわるのか、次のようなくだりからうかがえます。

うかがえる片親疎外論の影響

なにより離婚とは、子ども自身にとっても大きな変化です。

法務省の実施した調査や法制審議会の当事者ヒアリングでも、離婚によってつらい思いをする子どもたちの存在があきらかになっています。

また共同親権だろうが単独親権だろうが、子どもの成長の途上では、同居親や別居親に新たなパートナーや家族が表れたり、いずれか(もしくは両方)の親が子どもに丁寧に関わってくれず子ども自身が孤立してしまうこともありうるでしょう。

(同)

末富教授は、片親疎外論を正面から認めてはいません。
「共同親権だろうが単独親権だろうが」ともことわっており、より一般論として離婚の子どもへのマイナスの影響を指摘された、というのが穏当な評価でしょう。

しかしながら、害のある親との関係が遮断されることによる、「プラスの影響」は、末富教授は可視化されない。
このくだりからわかるように、離婚した子どもは「かわいそう」というのがありきなのです。

9/2になって、末富教授は記事に加筆されますが、それがこんな見出し。
「(4)同居親による児童虐待も相談・見守りの強化は必須(9/2追記)」

なんなんですかねえ、これは。
別居親のことばかり書いちゃったから付け加えたのでしょうか。
この"バランス感覚"には失笑を禁じえません。

児童虐待については、離婚の前後にかかわる起きる弊害であって、離婚後の子の養育の法制度とは、直接的には関係がありません。
法制審議会の諮問の趣旨すら逸脱しています。

そして、「まとめ」ではこう切り出す。

結論:無邪気な大学の先生が書いた「こどもまんなか」論とは

ここまで述べてきたことは、自民党保守派で共同親権に関わってこられた議員も、よくご存じのことだと思います。

(同)

もはや呆れるばかりであります。
末富教授は、信濃毎日新聞のこんな記事はどうお感じになられるのでしょうか?

「この議論は法制審に反映されるのか。何のための法務部会だ」「法制審はこんなことしか決められないのか。半端な議論をしているんじゃないんだ、われわれは」。自民党本部で26日あった法務部会。会議室内の議員の怒号は、閉められた扉越しに廊下まで響いた。

(上記記事より)

こんな自民党保守政治家の言動も、「おもしろおかしく」報道されているだけなんでしょうか???

末富教授の記事に戻りましょう。
次も酷い。

また共同親権は、性的多様性のあるカップルに子どもがいたり、特別養子縁組をしたりするケースでも、子ども自身を支える制度としても注目を集める仕組みです。

せっかく親権問題に注目が集まっている今こそ、「こどもまんなか」の養育基盤を国をあげて作るチャンスだと考えています。

(参照記事①より)

冒頭で、親権の議論ばかりで「こどもまんなか」の議論が置き去りにされている、という問題提起はどこに行ったのでしょうか?

最後に、こんなくだりが来たのにはぶったまげた。

虐待被害者で離婚した親に「二度と会いたくない」という学生もいました。このようなケースでは共同親権や面会交流が子どもに押し付けられることのない日本でありたいものです。

(同)

論旨が破綻していると評価せざるを得ません。
「押し付けてはいけない」ならば、面会交流ありきの今までの論旨は、いったい何だったのでしょうか。ブレブレです。
ご自身で書いていることを見直されるべきだと思います。
末富教授の論旨は、面会交流の「押し付け」と評価せざるを得ませんが。


一読した私の感想は、「大変無邪気なお人だな」です。
出来の悪いコンサルティングファームのプレゼンのような記事です。

ご自身のテーマの問題解決論にしか関心がない。
政治家のリアルな政治的欲望が視野に入っていない。
切り捨てられる「離婚によってプラスの影響があった」子どもたち。
結論ありきの「面会交流」「共同養育」論。
途中、面会交流や共同親権の弊害について、相当正確な理解をしている学者ですら、このレベルなのです。

こういう人でなければ、「こどもまんなか」なんて言えないか。

(了)



【分野】経済・金融、憲法、労働、家族、歴史認識、法哲学など。著名な判例、標準的な学説等に基づき、信頼性の高い記事を執筆します。