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家族法制の見直しに関する中間試案/18の疑問点

〔写真〕「ゴルディアスの結び目を断ち切るアレクサンドロス大王」ジャン=シモン・ベルテレミー

試案そのものから見えてこない「思惑」

今回も、パブコメ(~2022/2/17まで!!)に対応して、中間試案に関する記事です。

上記HPには、A4サイズに字がびっしりの中間試案本体だけではなく、「補足説明」と題された、A4サイズにして100ページ(!)にも及ぶ資料も公開されています。
主に、これまでの議論の経過を踏まえて、中間試案の考え方が詳しく説明されているのですが、これを読むと、中間試案がいかに危険なものとなっているのかが見えてきます。

今日は、これを読み解いていきましょう。

※以下、特にことわりがない限り、頁番号は「家族法制の見直しに関する中間試案の補足説明」のものです。https://www.moj.go.jp/content/001385209.pdf

1、「大きな異論がなかった」というウソ

まず、中間試案の取りまとめの経緯について。
P.2では、中間試案には、①司法インフラの充実や②税制・社会保障・教育支援との関係整理について指摘があったが、中間試案に盛り込まなかった経緯について、次のように述べられています。

これらの各意見で指摘されている事項はこの中間試案には盛り込まれてい ないが、これは、この部会において上記の各意見が指摘する公的支援等の必要 性を否定することを意味するものではない。中間試案の取りまとめに至る議 論の過程においては、上記のような事項を中間試案に盛り込むべきではない とする理由として、この部会の役割は父母の離婚後の子の養育の在り方に関 連する民事基本法制の見直しをすることであるから、上記のような事項は、こ の部会での調査審議の対象ではないとの意見が示され、その点について委員 の間で大きな異論がなかったためである。

P.2

ウソです。
異論は、何度となく示されていました。
例えば、4/26の部会議事録においては、終盤、赤石委員から進め方について異論が示され、激しい議論が戦わされています。(第14回会議議事録P.46~49)
今後公開する他の記事でも指摘していきますが、自民党の一部議員の動きもあって、今年に入り、議論のスピードが異常に上がっていました。
中間試案の公開にあたって横やりが入ることが予想されたので、議論は強引に取りまとめられているのです。

2、なぜ用語は整理されなかったのか

前記1と関連しますが、P.4の<前注1>は次の通りです。

(前注1)本試案では「親権」等の用語については現行民法の表現を用いているが、これら の用語に代わるより適切な表現があれば、その用語の見直しも含めて検討すべきで あるとの考え方がある。

P.4

この案の(補足説明)は次の通りです。

…部会のこれまでの議論を踏まえても、「親権」等に代わる用語については様々な意見が示されており、現状では1つの特定の候補に絞り込むことは困難であると考えられる。また、用語の見直しをするに当たっては、そもそも「親権」等の内容(概念)がどのようなものであるかという実質的な規
律の内容について整理する必要がある。
そこで、試案で用いる「親権」等の用語については、差し当たり現行民法の
表現を用いることとしており、これらに代わるより適切な表現があれば、その用語の見直しを含めて検討すべきである旨の考え方を前注1で示している。

P.4

しかし、部会の議論は当初からこのような整理であったわけではありません。
離婚後共同親権についての本格的な検討がスタートするのは、2021(令和3)年8月31日に開催された第6回会議からですが、この時は、「双方責任」という用語が用いられていました。
この「双方責任」という用語は、理論的な詰めはともかく、離婚後の共同養育を念頭において、従来の親権・監護権の枠組みを見直す意欲的な内容でした。
ところが、2022(令和4)年2月22日開催の第12回会議において、突如方向転換がなされます。

親の法的地位を明らかにすることを前提として、親権者、監護者とそれら以外の親との関係について、論点の整理を行っている(後記第3)。「親権者」,「監護者」の用語については後述のように見直しの可能性があるが,ここでは,民法第818条等における「親権者」,民法第766条第1項における「子の監護をすべき者」としての「監護者」の用語をひとまず用いるものとする。

(資料12)親子関係、離婚後の子の監護について必要な事項の定めに関する検討(二読)
P.1

この回において、これまでほぼ発言がなかった、金子修委員(法務省民事局長)から、次のような挨拶がなされました。

この部会における検討につきましては、その対象に養育費の確保の問題、それから離婚 後の親子の関わりといった中心的な論点を含めまして、早期実現を望む声が多いというこ とを、皆さん認識されていることと思います。私のところにもそのような声が届いており ます。国民の皆さんが納得することができる案を取りまとめるということは必ずしも容易ではないのですが、しかし、その困難性のゆえに、子の利益の実現という視点で、一歩でも二歩でも前進させることができるよう、この部会における早期の、かつ、実現可能性のある取りまとめが期待されていると、そういう部分が大きいのではないかとも感じているところでございます。

法制審議会家族法制部会第12回会議議事録P.1~2

そして、これまで「双方責任」という概念を用いて、重要決定事項、日常的決定事項、随時決定事項の3つに分解して進められてきた議論が、事実上反故にされたのです。
この方針変更は、中間試案第2の3において、パニックともいうべき大きな混乱を引き起こしています。

3、子の意思は結局尊重されるのか

次に、試案の本体部分です。

第1 親子関係に関する基本的な規律の整理
1 子の最善の利益の確保等
⑴ 父母は、成年に達しない子を養育する責務を負うものとする。
⑵ 父母は、民法その他の法令により子について権利の行使及び義務の履
行をする場合や、現に子を監護する場合には、子の最善の利益を考慮しな
ければならないものとする(注1)。
⑶ 上記⑵の場合において、父母は、子の年齢及び発達の程度に応じて、子
が示した意見を考慮するよう努めるものとする考え方について、引き続
き検討するものとする(注2)。

P.5

この(2)と(3)について、P.7~8に長々と(補足説明)が書かれていますが、重要と思われるのくだりを引用します。

⑸ 注2の考え方について
試案の注2では、父母が、できる限り、子の意見又は心情を把握しなけれ
ばならないとする考え方を提示している。
このような考え方の根拠としては、試案1⑶のように父母が子の意見を
考慮するに際しては、父母が子の意見を適切に把握することが必要となる
との指摘がある。また、子の年齢や発達の程度によっては、子が明確な意見
を示すことが困難な場合もあり得るが、その際には子の心情を把握すべき
であるとの指摘もある。
さらに、子の養育をすべき責務は父母の双方が負うべきであるとの考え
方を重視する立場によれば、子と同居していない父母も、子の最善の利益を
図るため、子の意見等を把握する必要があるとの指摘もあり、子と同居して
いない父母が子の意見等を把握するための方策について検討する必要があ
るとの指摘もある(注3)。
もっとも、子の最善の利益を考慮するに当たって子の意見等が絶対的な
指標となるとは限らないとの指摘があることは上記⑶のとおりであり、ま
た、事案の内容によっては、何らかの決断を求めるような意見聴取をするこ
とが子に心理的なストレスを与え、かえって子の最善の利益に反するよう
な場合もあるとの指摘もある。そのため、どのような場合に子の意見等を把
握するのが適切であるかについては様々な考え方があることを踏まえ、子
の意見等の把握については特段の規律を設けることなく、解釈に委ねるの
が相当であるとの考え方もあり得る。

P.8

子の意思の相対化をやたらに強調する考えは、次の池田清貴委員(東京弁護士会)の考えに如実に示されています。

子どもの意見表明権というものを尊重して,その結果,面会させるべきではないと結び付ける考え方があるように思います。もう一方で,子どもの権利というのをもう少し広く捉えて,自由権的な放棄可能な権利というよりも,子どもが会う権利があるのだから,その実現のために周囲の大人が環境を調整しなければいけないと,子どもが会いたくないと言っていても,別居親あるいは同居親に変わってもらって,会いたいと思えるような環境を作る,あるいは,会ってあげてもいいよと思うような環境を作るというところの大人側の義務を引き出すような形での権利構成というのもあるかなと思っています。佐野先生が今おっしゃったのは後者の方に係る御意見だと思いますけれども,私もそちら側について賛成をしているところです。

法制審議会家族法制部会第5回会議議事録P.22

"子どもが会いたくないと言っていても"という、子どもの明確な拒否権すら相対化可能という、委員たちには、自分たちが子の最善の利益をアプリオリに代弁できるという傲慢さが漂います。

4、"幅広い選択肢"という無邪気な発想

次に、中間試案の最大の争点、離婚後共同親権の導入案についてです。

第2 父母の離婚後等の親権者に関する規律の見直し
1 離婚の場合において父母双方を親権者とすることの可否
【甲案】
父母が離婚をするときはその一方を親権者と定めなければならないこと
を定める現行民法第819条を見直し、離婚後の父母双方を親権者と定め
ることができるような規律を設けるものとする(注)。
【乙案】
現行民法第819条の規律を維持し、父母の離婚の際には、父母の一方の
みを親権者と定めなければならないものとする。
(注) 本文の【甲案】を採用する場合には、親権者の変更に関する民法第819条第6項についても見直し、家庭裁判所が、子の利益のため必要があると認めるときは、父母の一方から他の一方への変更のほか、一方から双方への変更や双方から一方への変更をすることができるようにするものとする考え方がある。なお、このような見直しをした場合における新たな規律の適用範囲(特に、改正前に離婚した父母にも適用があるかどうか)については、後記第8の注2のとおり、引き続き検討することとなる。

P.11

2 親権者の選択の要件 上記1【甲案】において、父母の一方又は双方を親権者と定めるための要 件として、次のいずれかの考え方に沿った規律を設けるものとする考え方 について、引き続き検討するものとする(注)。 【甲①案】
父母の離婚の場合においては、父母の双方を親権者とすることを原則とし、一定の要件を満たす場合に限り、父母間の協議又は家庭裁判所の裁判により、父母の一方のみを親権者とすることができるものとする考え方
【甲②案】
父母の離婚の場合においては、父母の一方のみを親権者と定めることを
原則とし、一定の要件を満たす場合に限り、父母間の協議又は家庭裁判所の
裁判により、父母の双方を親権者とすることができるものとする考え方
(注) 本文に掲げたような考え方と異なり、選択の要件や基準に関する規律を設けるのではなく、個別具体的な事案に即して、父母の双方を親権者とするか一方のみを親権者とするかを定めるべきであるとの考え方(甲③案)もある。他方で、本文に掲げたような選択の要件や基準がなければ、父母の双方を親権者とするか一方のみを親権者とするかを適切に判断することが困難であるとの考え方もある。

P.15~16

一見、離婚後共同親権導入案は甲①~③案まで、現状維持案は乙案、という図式で整理できるように見えますが、この点、(補足説明)では次のように説明され、上記4案に限定されないという趣旨を述べています。

いずれの論点についても、当該論点に掲げられた複数の案の当否を単純な二者択一で議論することができるわけではなく、他の論点と相互に関連付けて検討する必要があると考えられる。例えば、試案第2の1で取り上げた論点についても、父母の離婚後にその双方が親権者となるかその一方のみが親権者となるかを選択可能とする【甲案】と、現行の規律のように父母の離婚後はその一方のみが親権者となるものとする【乙案】の両案の内容のみを見比べて結論を出すのではなく、試案の後記第2の2から4までの本文及び注で提示した様々な考え方を含め、あり得る選択肢(【甲案】を採用する場合の選択肢の中には、【乙案】の考え方から大きく離れたものもあれば、【乙案】に非常に近いものまで、様々なものが含まれる。)を総合的に検討し、子の最善の利益の確保につながる適切な規律の在り方を模索していく必要があると考えられる。

P.12~13

その背景として、(補足説明)では、甲案の根拠づけの文脈の中で、次のような発想を示しています。

【甲案】を支持する考え方の1つとしては、父母の離婚後もその双方が子
の養育に責任を持ち、子に関する事項が父母双方の熟慮の上で決定される
ことが望ましいことがあるとの考え方を肯定しつつも、他方で、離婚を巡る
事情は各家庭によって様々であり、事案によっては父母の一方のみを親権
者とした方が望ましい場合もあることを踏まえ、父母の双方を親権者とす
るかその一方のみを親権者とするかについて、幅広い選択肢を与えようと
する考え方がある。

P.13

紛争性の高いカップルの離婚事案まで含め、この"幅広い選択肢"なるものはなぜ必要なのか?
また、現行法においても、民法766条は解釈上、共同監護を許容していると有力に主張する学説があり、また、紛争性の低い離婚カップルでは事実上行われている例があるにもかかわらず、なぜ甲①~③案まで含めて考える方が選択肢が"幅広く"なるのか?
子の意思の項目でも感じましたが、自明視する説明が多すぎると感じます。

5、「自由な意思」は確保されるのか

上記の甲①~③案については、理論上、重大な欠陥があります。
日本法において、婚姻は夫婦間の合意(契約)と考えられ、その解消(離婚)は、双方合意を基本原則としています(民法763条)。
しかし、共同親権・共同監護・共同養育といった、離婚後も父母双方が関与する法的スキームによる子育ては、本来、解消されているはずの婚姻契約の部分的存続になると、理論的には考えられるのですが、その存続にあたっての「双方合意」が担保される仕組みが、中間試案に何ら用意されていないのです。
一部、甲②案の概要説明の中で、このように述べられています。

裁判離婚の場面においては父母間の葛藤が特に強い場合が多く、父母双方が協力して子の養育に当たる関係性が構築されていないことも多いと考えられることを念頭に、家庭裁判所の裁判により親権者を定める際には、父母間の合意がある場合に限ってその双方を親権者と定めることができるものとする考え方もあ り得る。

P.17

しかし、これは裁判離婚のケースに限定した記述であり、アンフェアな離婚が横行しているとみられる協議離婚にまで、理論的に貫徹する意図はみられません。

なお、双方の合意が担保されない共同親権決定の法規律が、仮に制定された場合、違憲立法の可能性が憲法学者から示されています。

6、"法の素人"への丸投げ

次に、P.18途中からはじまる、「3 離婚後の父母双方が親権を有する場合の親権の行使に関する規律」というカオス解説。

まず、(1)は監護者を定める要否について。
次に、(2)は監護者が指定されている場合の権限行使について。
(2)アは、監護権の範囲を法定するかどうか。
(2)イは、親権・監護権双方の行使方法について。
次に、(3)は監護者の定めがない場合の権限行使方法。

規律案とその解説が、P.18~39まで、ながなが~っと綴られております。

とてもじゃないが、素人に読ませられる内容ではない。
これだけで一記事を書かなくてはならない。

はっきり言いますが、委員の皆さんには、いったい、専門家のプライドってもんがないのでしょうか?
こんな理論的に難解なものを、なげ整理せずに丸投げしたのでしょうか?

実は、専門家同士では、親権・監護権の定義については、ほぼ一致した考え方があり、親権を身上監護権と財産管理権に分解し、前者を特に監護権と分類する学説が圧倒的多数であり、かつ、実務上もそのように取り扱われてきたものです。

ところが、離婚後共同親権となると、上記分類では実際の運用に不都合が生じると懸念されたため、上記で示したように、第6回会議資料では「双方責任」という新しい概念を打ち出し、実際の共同養育の場面を3類型に分けて議論を積み重ねてきたのです。
しかし、中間試案の取りまとめに焦った法務省側が、今までの用語整理で進めると方針を立ててしまったため、このような迷走が生じているのです。
ちなみに、長大な時間をかけて議論された、重要決定事項、日常的決定事項、随時決定事項の3類型は、P.22にぼそっと書かれているだけです。

そして、こんな複雑怪奇な案がなぜ示されたのか。
ここでまた出てきたのが、"柔軟な選択の可能性"というお花畑。

現行民法の解釈論として又は立法論として、父母間の協議により、一定の
事項に関する身上監護権又は財産管理権を父母の一方又は双方に任意に振
り分けることもできるのではないかとの考え方がある。このような考え方
によれば、例えば、上記⑴から⑸までの整理によれば本来は監護者に属する
ものと解釈される事項の一部について、(監護者と指定されていない)親権
者にその権利義務を帰属させる旨を父母間の協議で定めることができるの
ではないかとの指摘があり得る。

P.24

つまり、中間試案は、現行法が柔軟な選択の可能性がある(=解釈上、現行法でも共同監護・共同養育が可能)ことを前提にしているため、現行法の「用語」を踏襲する中間試案は、さらに共同親権が設定されたケースを想定して、様々な行使態様のパターンを示さなければならなくなったのです。

はっきり言ってバカげています。
専門家の責任放棄というほかない。

7、「実子誘拐」プロパガンダに屈したのか

続いて、第2の3(4)は恐怖の規定です。

⑷ 子の居所指定又は変更に関する親権者の関与
離婚後に父母の双方を親権者と定め、父母の一方を監護者と定めた場
合における子の居所の指定又は変更(転居)について、次のいずれかの考
え方に基づく規律を設けるものとする。
【X案】
上記⑵アの規律に従って、監護者が子の居所の指定又は変更に関する
決定を単独で行うことができる。
【Y案】
上記⑵アの規律にかかわらず、上記⑵イの【α案】、【β案】又は【γ案】
のいずれかの規律により、親権者である父母双方が子の居所の指定又は
変更に関する決定に関与する。

P.20

この【Y案】に書かれている、α、β、γの各案は次の通りです。

【α案】
監護者は、単独で親権を行うことができ、その内容を事後に他方の親
に通知しなければならない。
【β案】
① 親権は、父母間の(事前の)協議に基づいて行う。ただし、この協
議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、監護者が
単独で親権を行うことができる(注3)。
② 上記の規律に反する法定代理権及び同意権の効力は、現行民法第
825条〔父母の一方が共同の名義でした行為の効力〕と同様の規律
による。
【γ案】
① 親権は父母が共同して行う。ただし、父母の一方が親権を行うこと
ができないときは他の一方が行うものとする。
② 親権の行使に関する重要な事項について、父母間に協議が調わな
いとき又は協議をすることができないとき(父母の一方が親権を行
うことができないときを除く。)は、家庭裁判所は、父又は母の請求
によって、当該事項について親権を行う者を定める(注4)。
③ 上記の各規律に反する法定代理権及び同意権の効力は、現行民法
第825条〔父母の一方が共同の名義でした行為の効力〕と同様の規
律による。

P.19

いずれかの案が採用された場合、引っ越すときにいちいちやらなければいけないという…。
別居親に監視権を付与するようなものです。

この起案は、これまでの中間試案の方針と大きな矛盾点があります。
現行法上、居所指定権は身上監護権に含まれるところ、上記2で示したように、中間試案における用語等は差し当たり、現行法の枠組みを踏襲することになっている以上、議論の余地なく、監護権者が単独で居所指定することが可能であるべきだからです。

ところが、(補足説明)にはこんな記述が出てくる。

もっとも、このような考え方を前提としても、監護者がその自由な裁量に
よって子の居所を任意に決定することができるわけではなく、試案の前記
第1の1の規律を採用すれば、父母は、居所指定をするに当たっても、子の
最善の利益を考慮しなければならないと考えられる。そして、事案によって
は、監護者と定められた親権者が監護者でない親権者に無断で子を転居さ
せることが、結果的に、監護者でない親権者による親権行使や親子交流の実
施を事実上困難とさせる事態を招き、それが子の最善の利益に反する場合
もあり得るとの指摘もある。そのため、【X案】を採用した場合であっても、監護者でない親権者に無断で子を転居させることが例外的に禁止されるときがあるとの解釈もあり得る。

P.36

この解釈の選択肢はなかなかファナティック(狂信的)といえるでしょう。

8、不毛な親権・監護権分属論

P.39にはこんな案が提案されています。

4 離婚後の父母の一方を親権者と定め、他方を監護者と定めた場合の規律
離婚後の父母の一方を親権者と定め、他方を監護者と定めたときの監護
者の権利義務について、上記3⑵ア(及び同項目に付された上記注2)と同
様の整理をする考え方について、そのような考え方を明確化するための規
律を設けるかどうかも含め、引き続き検討するものとする。

P.39

一時期、共同親権・共同監護が実現するための便法として、親権と監護権をそれぞれ分属させるという親権・監護権の分属という方法が用いられていました。
今般の民法改正でも、これを可能とするかどうかが問われているのですが、そもそも、今回は、離婚後の共同親権・共同監護自体を、正面から規定するか否かが問われているわけですから、このような実務上の方策は不要となるはずです。

大雑把にいうと、中間試案では、

①単独親権・単独監護 ※監護権の"定めのない"パターンも含む。
②単独親権・共同監護
③共同親権・共同監護 ※監護権の"定めのない"パターンも含む。
④共同親権・単独監護

の4パターンが提案されている、と考えて良いでしょう。
これに加えて、⑤親権・監護権分属までが加われば、"多様な選択肢"とやらは実現されるのでしょうが、いったい何のためにこんなに選択肢が必要なのか、さっぱり意味が分からない、というところです。

9、これまた無邪気な「教育は人を変える」という発想

P.42からは、「第3 父母の離婚後の子の監護に関する事項の定め等に関する規律の見直し」という大項目を立て、1では情報提供として離婚後養育講座の受講が提案されています。

部会の議事録も読みましたが、学者の先生方は笑っちゃうぐらい無邪気ですね。良い大人のくせに。
紛争性の高いカップルが、たかが1日だか半日の講座受講で何が変わるというのでしょうか。
日本のアカデミズムのダメなところが凝縮されたような提案内容です。

10、協議離婚の「何を」改善したいのか

続く第3の2。

2 父母の協議離婚の際の定め
⑴ 子の監護について必要な事項の定めの促進
【甲①案】
未成年の子の父母が協議上の離婚をするときは、父母が協議をするこ
とができない事情がある旨を申述したなどの一定の例外的な事情がない
限り、子の監護について必要な事項(子の監護をすべき者、父又は母と子
との親子交流(面会交流)、子の監護に要する費用の分担)を定めなけれ
ばならないものとした上で、これを協議上の離婚の要件とするものとす
る考え方について、引き続き検討するものとする(注1)。
【甲②案】
【甲①案】の離婚の要件に加えて、子の監護について必要な事項の定め
については、原則として、弁護士等による確認を受けなければならないも
のとする考え方について、引き続き検討するものとする(注2)。
【乙案】
子の監護について必要な事項の定めをすることを父母の協議上の離婚
の要件としていない現行民法の規律を維持した上で、子の監護について
必要な事項の定めがされることを促進するための方策について別途検討
するものとする(注3)。

P.45~46

家族法制部会の委員の一人、水野紀子白鴎大学教授は、日本の離婚法の問題点について、かつてこう指摘されていました。

…離婚手続を通観すると、当事者の合意が得られれば簡単に離婚が成立するが、一方当事者が離婚に同意しなければ離婚の成立は非常に難しくなる構造になっている。また離婚に伴う経済的処置や子の監護については、法律はほとんど内容を拘束せずに当事者の自由な処分にまかせている。この構造を形式的にみれば、夫婦ごとに実に多様でプライベートな性質をもつ離婚という事件の処理にふさわしい方法として、離婚に対する当事者の意思を最大限に尊重する方法を採用していることになり、柔軟性とともに一貫性・合理性をもった構造であるということもできよう。しかしこの構造が合理的であるためには、当事者が実質的に平等であり、完全に自由な意思に基づいて自己の権利を主張することができることが前提として必要である。離婚法の問題は、現実には多くの場合決してそのような前提がみたされていない点にある。

水野紀子「離婚」(星野英一編「民法講座7」有斐閣)160頁(1984年)

日本国憲法においても、24条2項において、次のように規定しています。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

憲法24条2項

今回の中間試案が、水野委員が長年指摘してきた課題(そしてそれは、ほとんどの委員の共通認識のはずです)の「何を」解決・改善したいのか。
憲法が求める離婚時における個人の尊厳、両性の本質的平等を実現したいのか、さっぱりわからないというのが正直なところです。

11、改善の見込みが立たない養育費の不払い問題

続く第3の2(2)と(3)は養育費の支払い確保策について。
中間試案では、いろいろな箇所で、この施策について提案がなされています。
まとめてみますと、

<第3の2(2)>
養育費に関する定めの実効性向上として、次の2案が提案
 ア 養育費の定めに関する文書の債務名義化
 イ 養育費の先取特権化
<第3の2(3)>
法定養育費制度の新設
<第5の2(1)(2)>
養育費、婚姻費用の分担及び扶養義務に関して、当事者の収入に関する情報の開示義務の創設
<第5の4>
養育費、婚姻費用の分担及び扶養義務に関する、民事執行法の運用改善
<第7の1>
財産分与の規律の見直し。いわゆる2分の1ルールの明示化
<第7の2>
財産分与の期間制限の規律の見直し
<第7の3>
財産分与の手続に関して、情報開示義務の創設

微に入り細を穿つ、といえば聞こえは良いですが、実務的な細かい点について、多様な改善提案がなされています。
正直、1つ1つの提案について、反対すべき理由はないように見えます。

が、全体的にみて、決定的・抜本的な改善にはならない。
なぜなら、離婚にまつわる金銭問題の解決は、あくまで当事者任せという現状を、決定的・抜本的に改善しようとしていないからです。これらの提案は、あくまで「履行を強制・強化」しようとしているだけで、公的介入によって、当事者の実質的平等、両性の本質的平等を達成しようとしているわけではありません。

なぜ、ここまで公的介入に背を向けるのか。(補足説明)にはこんなくだりがあります。

養育費の支払がされる割合が低調である原因が、離婚の際に養育費等の定め
をしてその支払をすることが当然であるとの意識がいまだ国民に定着していないからではないかとの分析をした上で、養育費等の定めをすることが父母の子に対する義務(責務)であることを明確化することで、国民の意識改革を進める必要があるとの指摘に基づくものと整理することができる。

P.50~51

もうバカかアホなのかと思いますね。
この部会が開催される前、法務省では、各国の子の養育制度を調査・研究したそうですが、いったい何を調べてきたんだか。
どこの国も多額の予算をかけて、人と組織を動員して、時には刑事罰すら設けて、養育費の回収に務めていることを忘れたのでしょうか。
都合の良い頭の良さですな。

12、カネの話には背を向ける別居規定

上記のような態度は、第3の3にも現れます。
ここでは、別居時に関する監護者の定めや、親子交流(面会交流)に関する規定の創設が提案されていますが、(補足説明)には、こんなくだりがあります。

部会のこれまでの議論においては、父母の婚姻中に問題となるのは、監護者
指定や親子交流だけでなく、子の監護に要する費用も重要であるとの指摘が
された。
もっとも、父母の婚姻中の子の監護に要する費用の分担は、通常、婚姻費用
の分担の問題として扱われており、現行民法においては既にこの点に関する
明文の規定(同法第752条や第760条)が存在している。また、子が別居親に対してその扶養料の支払を求める規律についても、同法に明文の規定(同法第877条から第880条まで)が存在している。部会においても、これらの規定を見直すことを求める意見は特に見られなかった。そのため、試案3の本文ではその見直しについては特段の言及をしていない。

P.57

同居親にとっては、面倒ごとを増えるが絶対に助けない、という姿勢は、終始一貫しているといえるでしょう。

13、実子誘拐プロパガンダとフレンドリーペアレントルールの影

続いて第3の4(1)。
家庭裁判所が監護者を定める場合の考慮要素として、(注1)に次の点を挙げています。(P.58)

①子の出生から 現在までの生活及び監護の状況
②子の発達状況及び心情やその意思
③監護者とな ろうとする者の当該子の監護者としての適性
④監護者となろうとする者以外の親と子との関係

そして、次のように続きます。

このうち、①の子の生活及び監護の状況に関する要素については、父母の一方が他の一方に無断で子を連れて別居した場面においては、このような行為が「不当な連れ去り」であるとして、当該別居から現在までの状況を考慮すべきではないとする考え方がある一方で、そのような別居は「DVや虐待からの避難」であるとして、この別居期間の状況を考慮要素から除外すべき
ではないとの考え方もある。

P.58

この注の背景説明は、次ページの(補足説明)にこうあります。

①の子の生活及び監護の状況に関する要素については、父母の一方が他の一方に無断で子を連れて別居した場面を念 頭において、このような行為が不当な連れ去り」であるとして、当該別居から現在までの状況を考慮すべきではないとする考え方がある。この ような考え方の中には、監護者指定に関する家事審判の手続において、家庭裁判所が、現に子と同居している方の親を監護者とする旨の判断をする傾向があるのではないかとの事実認識を前提として、結果として、子を連れて別居した親が裁判手続を有利に進めることができることに対する 批判をするものもある。

P.59

⑤他の親と子との交流が子の最善の利益となる場合において、監護者となろうとする者の当該交流に対する態度を考慮することについては、これを肯定する考え方と否定する考え方がある。

P.58

この注の背景説明は、次ページの(補足説明)にこうあります。

⑤の要素を考慮する考え方は、安全・安心な形で親子交流が実施される ことは基本的には子の最善の利益に資するとの立場を前提として、こう いった形での親子交流に積極的又は寛容な立場の親の方が、親子交流に 消極的な親と比較して、監護者に相応しいと考える意見と整理すること ができる。

P.59

検討の俎上に、実子誘拐プロパガンダとフレンドリーペアレントルールが入り込んでいるのです。
それは、次の面会交流原則的実施論に深刻な影を落としています。

14、別居親に忖度づくしの面会交流論

14-1、払拭されない面会交流原則的実施論

続いて面会交流(親子交流)ですが、父母と子との交流に関する事項を定めるに当たっての考慮要素の例として、P.58の注2では、次のように述べられています。

①子の生活状況
②子の発達状況及び心情やその意思
③交流の相手となる親と子との関係
④親子交流を安全・安心な状態で実施することができるかどうか(交流の相手と なる親からの暴力や虐待の危険の有無などを含む。)

このほか、「交流の相手となる親と他方の親との関係を考慮することについては、これを肯定する考え方と否定する考え方がある。」とされています。

しかし、ここではこれらの考慮要素について、どちらに立証負担があるのか明らかにされていません。
一方で、こんな記述がみられます。

部会のこれまでの議論においては、親子交流の実施と子の利益との関係について、子が別居親と適切な形で親子交流をすることが基本的にはその健全な成長に有益なものであるということができるとの理解を前提として、子の福祉の観点からその親子交流を禁止すべき事由が認められない限り、別居親と子との親子交流が子の最善の利益に資するとの意見が示された一方で、別居親との親子交流が子の心身に与える影響は各家庭の事情によって様々であるとして、親子交流の実施が子の最善の利益に反する場合もあるため慎重な検討が必要であるとの意見も示された。

P.61

上記の「面会交流原則的実施論」を肯定するか否定するかによって、議論が様々に枝分かれしていきます。

親子交流についても、監護者指定と同様に、この考慮要素の定め方には様々な意見があり、例えば、上記のうちの④親子交流を安全・安心な状態で実施することができるかどうかについては、父母の一方から子に対する暴力や虐待の危険の有無があるかどうかといった観点のみから限定的に考慮すべきであるとの考え方がある一方で、子どもが親子交流先から同居親の元に無事に帰ってくることが確保できるかどうかといった不安を除去することができるかどうかなども含めて広く様々な観点から考慮する必要があるといった考え方もある。

同上

また、⑤交流の相手となる親と他方の親との関係については、親子交流の
際には父母が直接対面する必要は必ずしもないことを理由に、父母間の関
係を考慮する必要はないとの考え方がある一方で、婚姻期間中にDV等が
あった場面を念頭に、父母間の関係がどういったものであるかは親子交流
の実施の有無や方法を決する上で考慮すべき事情であるとの考え方もある。

同上

このように、部会の議論においては、面会交流原則的実施論が完全に払拭されていないため、各論点で鋭い意見の対立がみられます。

面会交流原則的実施論を肯定するか否定するかは、DV、もっといえばFV(ファミリーバイオレンス。家庭内の暴力をDV・虐待といった個別ではなく、幅広くとらえる考え方をいう。)を例外と捉えるか否かによって、結論が異なると考えます。
肯定論者は、DV・FVを例外であるという前提に立ち、原則的実施論を支持します。しかし、現実にはDV・FVを例外ケースとはとてもいえないほど、非常に多くのケースでみられることです。

DV・FVを例外視しないように、という要請は、部会の第1回会議から、この問題の専門家である戒能民江委員(お茶の水女子大学名誉教授)から示されてきました。(※)しかし、一向に共通認識として定着しなかったことが、この中間試案からうかがうことができます。

※法制審議会家族法制部会第1回会議議事録16-17頁

14-2、片親疎外論を背景にした「暫定的」「試行的」面会交流制度の詭弁

ただ、この10年の面会交流強制の批判の強さは、相手も百も承知しています。そこで、搦め手として出されているのが、「暫定的」「試行的」面会交流命令です。

これらの提案は、2022(令和4)年3月29日の第14回会議から盛り込まれて議論が始まっているのですが、当初、この提案の背景として、子の連れ去り論が背景にあることが明らかにされています。(※)

※家族法制部会部会資料13:養育費、面会交流等に関する手続的な規律及び父母の離婚後等における子に関する事項の決定に係る規律の検討(二読)10頁

これらの面会交流の規律は、次のように提案されています。

〔暫定的面会交流〕

ア 親子交流に関する保全処分の要件(家事事件手続法第157条第1 項〔婚姻等に関する審判事件を本案とする保全処分〕等参照)のうち、 急迫の危険を防止するための必要性の要件を緩和した上で、子の安全 を害するおそれがないことや本案認容の蓋然性(本案審理の結果とし て親子交流の定めがされるであろうこと)が認められることなどの一 定の要件が満たされる場合には、家庭裁判所が暫定的な親子交流の実 施を決定することができるものとするとともに、家庭裁判所の判断に より、第三者(弁護士等や親子交流支援機関等)の協力を得ることを、 この暫定的な親子交流を実施するための条件とすることができるもの とする考え方(注2、3)

P.70

〔試行的面会交流〕

イ 家庭裁判所は、一定の要件が満たされる場合には、原則として、調停
又は審判の申立てから一定の期間内に、1回又は複数回にわたって別
居親と子の交流を実施する旨の決定をし、【必要に応じて】【原則とし
て】、家庭裁判所調査官に当該交流の状況を観察させるものとする新た
な手続(保全処分とは異なる手続)を創設するものとする考え方

P.70~71

そして、これらの提案背景は、(補足説明)の中で次のように説明されています。

親子交流の調停手続又は審判手続には相応の時間を要するため、その調停成立や審判等を待っていては、別居親と子との交流がない期間が長期間にわたって継続することとなりかねない。
このようなことに対しては、例えば、その後に親子交流の定めがされたとしても、子が当該別居親を受け入れにくくなる結果として、その親子交流を円滑に行うことが困難となるといった弊害の指摘がある。また、例えば、子が別居親と長期間にわたって交流をすることができなくなることが、実務上、その後の親権者指定や監護者指定の判断に対して不当な影響を与えているのではないかといった指摘もある。さらに、これまでの部会における議論では、別居親と子が会えない期間が長期化することは、子が非常に不安な状態に置かれることとなり、子にとっても悪影響であるといった指摘もされた。

P.71

見飽きるほど見てきた片親疎外論ですね。
原則であろうとなかろうと、どんな手を使ってでも親子断絶ってやつを阻止したいのでしょう。自分の努力ではなく、法的強制力で。

「一定の要件」だの「必要に応じて」だの限定を付した文言はみられますが、それがどの程度のものかはきわめて不明確で、要するに、裁判官の裁量に任されている。
面会交流原則的実施論に塗れた裁判官は、面会交流=子の利益とアプリオリに判断することは目に見えています。つまり、「一定の要件が満たされること」は最初からのお約束という詭弁なのです。

そもそもなぜ、本案の面会交流がではだめなのか。それができない要因こそが分析されるべきで、もし、本案の面会交流ができないならば、不毛な規定であるばかりか、紛争を激化させるリスクすらあります。(※)

それが分かっているから、次の14-3の発想すら出てくる。

※同様の指摘は委員からも出されている。法制審議会家族法制部会第14回会議議事録3-5頁の戒能委員発言部分。この面会交流規定の発想にプロコンタクトカルチャー(面会交流が子の利益になるという信念)の存在を指摘しており、重要である。

14-3、そして面会交流の強制へ

P.70~71にかけて、こんな提案がぼそっとされています。

⑵ 成立した調停又は審判の実現に関する手続等
親子交流に関する調停や審判等の実効性を向上させる方策(執行手続
に関する方策を含む。)について、引き続き検討するものとする。

P.70~71

そして、この(補足説明)には、こんなくだりがあります。

2 親子交流に関する調停・審判の実効性の向上
(略)
⑵ このような課題に関し、部会のこれまでの議論では、強制力をもって調停又は審判の実現を図る方向での法改正をするのではなく、まずは、親子交流支援団体等による支援等により、調停又は審判によって定められた親子交流を安全・安心に行う環境を整備する方向で、法改正以外の選択肢も含めた方策を検討してはどうかといった指摘がされた。
また、調停又は審判等により親子交流の定めがされ、その履行が子の最善の利益に資するにもかかわらず、同居親が正当な理由なく親子交流の実施を拒んでいるなどの事案においては、そのような同居親の態度を親権者の変更等の手続において考慮すべきであるといった指摘もされた。
このように、親子交流の定めに関する調停・審判の実効性の向上は、その執行手続の見直しに限らず、幅広く様々な方策について引き続き検討することが考えられる。
⑶ その上で、上記のような方策によっても、なお、親子交流の定めに関する調停又は審判の実効性が向上されないようであれば、直接的な強制執行の導入も含め、その執行手続の見直しも視野に入れた検討をすることが考えられる。

P.76

愚かな…。

15、血縁上の親子はそんなに大事なのか

家族法制部会では、幅広い論点が取り上げられており、P.62~64にかけて、「第4 親以外の第三者による子の監護及び交流に関する規律の新設」といった点も提案されています。

この中には、親子の再統合といった議論も示され、部会の委員たちの多くのいう、"多様な選択肢"というやつが、いかに手前勝手なものかがうかがえるのですが、私見ですが、①現実に血縁上・法的な親子関係が存在しないケースにおいては、「育ての親」に十分な権利保障が必要ではあるが、②親以外の第三者の面会交流権については、紛争をいたずらに拡大させるリスクがあり、消極的に解すべきだと考えます。

16、相手方の住所調査は悪用されないのか

P.64は非常に気になる記述があります。

第5 子の監護に関する事項についての手続に関する規律の見直し
1 相手方の住所の調査に関する規律
子の監護に関する処分に係る家事事件手続において、家庭裁判所から調
査の嘱託を受けた行政庁が、一定の要件の下で、当事者の住民票に記載され
ている住所を調査することを可能とする規律(注1、2)について、引き続
き検討するものとする(注3)。

P.64

(注1)調査方法としては、行政庁が、住民基本台帳ネットワークシステムを利用して調査するとの考え方がある。
(注2)当事者は、家庭裁判所又は行政庁が把握した住所の記載された記録を閲覧することができないとの規律を設けるべきであるとの考え方がある。
(注3)相手方の住民票に記載されている住所が判明したとしても、相手方が当該住所に現実に居住しているとは限らないために居住実態の現地調査が必要となる場合があり得るところであり、こういった現地調査に係る申立人の負担を軽減する観点から、例えば、公示送達の申立ての要件を緩和すべきであるとの考え方がある。他方で、公示送達の活用については相手方の手続保障の観点から慎重に検討すべきであるとの考え方もある。

P.64~65

この注2の懸念は、私のnote読者なら誰しもが思う不安点だと思います。
家事事件手続上のテクニカルな理由による(相手方が転居を繰り返す等)ようですが、こうしたケースはレアケースであるという指摘もなされており、なぜ、これが取り立てて提案の俎上に乗ったのか。

もっと他に大事なことがあると思うのですが。

17、濫用的申立てと安全対策ー困難な問題からの逃避姿勢―

中間試案の数少ない評価点の1つが、この濫用的申立てに関する規律の見直しを挙げていることです。
しかし、その姿勢は逃げの一手。

⑴ 子の監護に関する家事事件等において、濫用的な申立てを簡易に却下する仕組みについて、現行法の規律の見直しの要否も含め、引き続き検討するものとする。

P.79

…もっとも、家事事件手続法第67条第1項では、申立てが不適法であるとき又は申立てに理由がないことが明らかなときは、その申立書の写しを相手方に送付する必要がないものとしている。
また、家事調停の申立てにおいても、当事者が不当な目的でみだりに調停の
申立てをした場合には、家庭裁判所は、調停をしないものとして家事調停事件を終了させることができるものとされている(家事事件手続法第271条)。
そして、この場合や家事調停の申立てが不適法である場合には、家庭裁判所
は、申立書の写しを相手方に送付する必要がないものとしている(同法第256条第1項)。このように、現行家事事件手続法においては、濫用的な申立てがされた場合に対応するための規律が既に整備されているところであるが…

P.80

見直しの必要性がないと、濃厚に暗示するような物言いであります。

父母や子の安全を最優先に考慮すること(試案5⑵)にいたっては、あんなに資料が提出され、発言もなされたのに、何も書きたくないのでしょうか。面会交流をめぐるぶあつ~い記述とは好対照に、わずか半ページで済ませています。

こういうところからも、法務省は本当は何をやりたいのかが、透けて見えてきます。

18、未成年養子縁組ー別居親はどこまで口を出せば気が済むのか―

ここらへんまで読むと、別居親の執念に変な意味で感じ入ってしまいますね。もっと生産的なことに使えばいいのに。

その典型例が、「第6 未成年養子縁組制度の見直し」という項目。(P.80~89)一見、適正・健全な未成年養子縁組の実現に向けた提案の体をなしていますが。。。

2 未成年養子縁組に関するその他の要件(P.83~)
 親権・監護権のない父母の関与方法について示唆されている。
3 養子縁組後の親権に関する規律(P.86~)
 むろん、別居親に親権が残存する設計も提案されている。
4 縁組後の扶養義務に関する規律(P.89~)
 カネの話は「引き続き検討」とのこと。

どこまでもどこまでも「口は出すがカネは出さない」を貫徹してくれています。

P.90以下の話は、本記事の11、で述べていますので割愛します。

終わりにーこれで実現される「子の最善の利益」って何ですか?

ここまで長々と読まされて、これってどこにも書かれていませんよね。。。
結局、「この人たちは何をやりたいんですか?」というのが法務系ビジネスパーソンの端的な感想であります。

要するに、「あるべき姿」論、共通理念がどこにもない。

これについて、水野紀子委員は、かつてご自身の論文の中で、次のように述べておられます。

民法は、妥協と共生の秩序である。「法=正義」といわれるが、民法は短い言葉による正義の対極にあって、むしろ、正義は不可知であるという諦観が、民法の底にあるように思われる。いいかえれば、民法は、多様で相互に矛盾する多くの正義を内包しているともいえる。数多くの言葉と概念を駆使して、妥協と共生の秩序を作り上げてきた民法は、度し難い人間社会を何とか平和裡に運ぶ知恵と技術をローマ時代から蓄積してきた成果である点で、少なくとも社会にとって安全なものであることは間違いない。家族の保護も、家族に介入する力を民法にもたせ、救済策を民法体系と整合的に制度化したときに、自ずから安定的に実行可能なものにすることができるだろう。

「家族法の弱者保護機能について」太田知行・荒川重勝・生熊長幸編「鈴木禄弥先生追悼・
民事法学への挑戦と新たな構築」創文社(2008年)677頁

しかし、本当に正義を「不可知」としたことは正しかったのか。
実際の部会で進められた議論は、

① 別居親への果てしない忖度

 中間試案の一連の議論で、同居親の利益が優先されたものはほぼなく、全体的に、別居親の利益・利権実現に忖度した内容で占められています。

② 困難な問題からの逃避姿勢

 本来、共同監護・共同養育実現のために確保されなければならない安全対策や経済的問題は、相変わらず当事者間での解決を前提として、その履行の確保を強化する方向性ばかり。「絶対にやらない」者への決定的・抜本的な対策(公的介入)を取る気は全くありません。

なぜ、こんなことが起きているのか。
学者委員の皆さんの最大の欠陥は、対立する利益の調整しか考えていないからです。換言すれば、それは「自分たちが具体的妥当性のある落としどころを探り当てられる」という傲慢さに過ぎない。
いや、本当は気づいているんじゃないかとすら思えます。なぜなら、今回示された中間試案の最大の欠陥は、簡潔に言えば、、、

③ 乱発された白地規定

を見れば一目瞭然です。要するに、「当事者の協議」や「家庭裁判所の調整」を予定した規定ばかりで、協議・調整がつかない場合の、一刀両断的な規定はほぼない。
このことは、長年の家族法の課題であると、学者委員たちはよくわかっておられるはずなんですがね。
結局のところ、

【結論】「子の最善の利益」は何か、という共通理念不在の家族法見直し議論は、戦後最悪の民法改正という結果を招く

ということかと思います。

【追記】中間試案の隠れた瑕疵-なぜ"民間"法制審議会案は俎上に乗せられていないのか?

書き忘れていたので追記します。
2022年12月20日、家族法制部会第21回が開催されましたが、そこについに北村晴男氏が登場しました。

と、ちょっと待てよ!?
ということは、中間試案をあれだけ激越に批判していた、"民間"法制審議会案は、パブリックコメントをすり抜けたということですか?
パブコメで出せないといういことでしょうか!?
ちょっとこの隠ぺい工作は酷すぎやしないですかねえ。

もし、中間試案後、"民間"法制審議会案を受けて案を改訂するならば、その部分は改めてパブリックコメントに付すべきだと強く主張します。

(了)

【分野】経済・金融、憲法、労働、家族、歴史認識、法哲学など。著名な判例、標準的な学説等に基づき、信頼性の高い記事を執筆します。