民法総則 第1回~民法の基礎と歴史~


1 民法は法の中でどのように位置づけられるか

1-1 民法って何?

 これから民法というものについてお話をしていくわけですが、民法は日本に多く存在する法律の中でどのような位置づけにあり、どのような役割を果たしているのでしょうか。これを理解していくためには、まず法体系がどのような構造になっているのかを理解する必要がありますので、それについて見ていくことにしましょう。

1-2 民法は私法である

 日本の法体系を分類するにあたって、重要となる概念が「公法」と「私法」というものです。われわれが社会生活を行っていくうえで、いわゆる「決まり」「規則」というものは必要不可欠なものです。いくつか下に具体例を出してみます。

  • ①信号は青になってから渡りましょう。

  • ②人に怪我をさせてはいけません。

  • ③物を買うときにはお金を払いましょう。

  • ④借りたものはきちんと返しましょう。

 これらの規則をみて、「誰」が「誰」を対象にしているかに注目してみると共通点が見えてくるかもしれません。
 ①は社会を維持していくためのルールになっています。②も同様ですね。もし、このルールがなければ「青信号で横断歩道を渡ったはずなのに車に轢かれてしまった」とか「街を歩いていたら突然殴られて怪我をしてしまった」など安心して街を歩くことができない社会になってしまいます。このような社会の秩序維持を目的とし、国がわれわれ市民に対して規制をかけた法律を「公法」と分類しています。この公法には憲法をはじめ刑法や刑事訴訟法、道路交通法などがあります。
 では、③はどのようなルールでしょうか。これは売った人と買った人との間のルールですね。④も同様に貸した人と借りた人との間のルールです。もし、自分が売ったものに対してお金を払ってくれなかったり、貸した物を返してくれなかったりということになると誰にも物を売れませんし、貸すこともできません。このようにわれわれ市民どうしで円滑な生活ができることを維持するために作られた法律を「私法」と分類しています。この私法には今回扱う民法の他に会社法や商法などがあります。
 今軽くお話ししましたが、民法もわれわれ市民どうしのルールを決めたものです。せっかくですので、③④についてそれぞれ条文を見ることにしましょう。できればお手元にある六法で条文を見てみてください。六法が無い方はe-gov法令検索から閲覧できるので、そちらで確認してください。
 ③について、民法第555条を開いてください。

民法第555条 売買は、当事者の一方(=売った人)がある財産権を相手方に移転する(=売って商品を渡す)ことを約し(=約束し)、相手方(=買った人)がこれ(=商品)に対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる(=成立する)。

と言っているわけです。
 同様に④も見てみましょう。民法第601条を開いてください。

民法第601条 賃貸借は、当事者の一方(=貸す人)がある物の使用及び収益(=物を使わせること)を相手方(=借りる人)にさせることを約し、相手方(=借りる人)がこれ(=物)に対してその賃料を支払うこと及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還することを約することによって、その効力を生ずる。

と言っています。
 売った人も買った人も国家ではなく市民ですし、貸す人も借りる人も同じく市民です。この市民のことを法学の世界では私人と呼んでいます。このように民法は私人間どうしのきまりであることがわかったかと思います。

まとめ
 
国家と私人を規律する法律=公法
 
私人と私人を規律する法律=私法

1-3 民法は一般法である

 日本の法体系の分類の仕方の2つ目が「一般法」と「特別法」というものです。この「一般法」は「一般的なこと」に対して使われる法律のことです。まさに民法はこれに当たります。他方で、「特別法」は「特別なこと」に対して使われる法律のことです。具体的な法は商法です。
 先ほど民法の555条を見ていただきましたが、会社が行う取引においても売買、具体的には商品を仕入れたり販売したりということはなされているわけです。会社での取引はわれわれが日常で行う売買よりも迅速にしなければならない場面がありますし、お互いルールを知っている中での取引であるためルールを特別に緩和した方が円滑にできることもあります。これに対応したものが商法や会社法であり、これらは民法と異なり「特別」なルールを定めていることから「特別法」と呼ばれているわけです。
 ここで合わせて押さえていただきたいことがあります。それは「特別法は一般法に優先する」ということです。「特別法は一般法を破る」と表現されることもあります。読んで字のごとくですが、特別法の規定は一般法に優先するため、商法・会社法の規定は民法に優先して適用されるということが分かるかと思います。もちろん商法・会社法に規定されていない内容については一般法の適用となりますので、注意してください。商法・会社法を勉強されるときは、民法とどのような点が違っているのかを比較しながら進めていくと理解がスムーズになります。

まとめ
 「一般的なこと」に対して使われる法律=一般法
 「特別な場面」に対して使われる法律=特別法
 特別法は一般法に優先する

 特別法に規定のないもの⇒一般法を適用する

1-4 まとめと発展

 ここまで、2つの分類の仕方を通して、民法が法体系の中でどのような位置づけに当たるのかが分かったかと思います。民法は「私法の一般法である」ということです。ここからは若干発展的な内容に入りますので、雑談と思って読んでいただけると幸いです。

 法の分類の仕方には上で紹介した以外にも存在します。
☆1 実定法と自然法
 実定法とは法律や慣習といった人為的に作った特定の時代や地域において適用される法のことです。日本における法律は全て実定法です。
 自然法とは逆に人為的ではなく、あらゆる地域・時代に通じて適用される法のことです。

☆2 国内法と国際法
 国内法とは日本国において制定された法律です。
 国際法は国際社会を規律する法律です。国際法にも公法と私法の区別があり、国際公法には国際経済法や国際人権法といったものがありますし、国際私法には国際結婚や国際取引に関する法律があります。

☆3 成文法と不文法
 成文法とは民法典のように文章として書かれている法で制定法とも呼ばれます。
 不文法は判例(法)・慣習(法)など文章としては書かれていないものの暗黙の了解のようにして維持されている法のことです。イギリスの憲法であるマグナ・カルタは代表的な不文法です。

☆4 実体法と手続法
 実体法とは法的関係の変動について定めたものです。民法や刑法がこれに当たります。
 手続法はその名の通り、法適用を実現するための手続きについて定めた法律で、民事訴訟法、民事執行法、人事訴訟法、刑事訴訟法などがこれにあたります。

2 民法典の歴史

2-1 日本民法典の歴史

 さて、民法とはなんぞや?ということに対してざくっと説明したところで、ここからは歴史の話をしたいと思います。
 お手元の六法で民法典の一番最初のページを確認してみてください。お持ちでない方は、先ほどのe-gov法令検索でも大丈夫です。そこには以下のような記載があるかと思います(一部六法のみ記載)。

明治二十九年法律第八十九号
民法

朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル民法中修正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム(明治31・7・16施行ー明治31年勅令123号)
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス

 ここから読み取れるのは、この民法典は明治29(1896)年に作られたということです。大政奉還が1867年ですから実に30年でこの法典が完成しています。もちろん当時の憲法は大日本帝国憲法ですので、公布するのは当時の昭和天皇。それゆえ今では聞きなじみのない「朕」や「勅令(天皇陛下の出す命令)」「帝国議会」という語が登場するわけです。これが出てくる法典は他には刑法や商法がありますので、ぜひ六法をめくってみてください。少々余談を挟んだところで、なぜ当時の日本が30年という短い期間の中でこれほどの法典を作ることができたのでしょうか。
 それを紐解くには江戸時代末期まで遡る必要があります。時は1853年「い(1)や(8)でご(5)ざ(3)んす黒船来航」と覚えた方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の日本は外交を非常に限られた地域で限られた国としていました。しかし、この年ペリーが来航し、日本は翌年日米和親条約を結び開国に踏み切ります。その後、1858年こちらも「い(1)や(8)よ怖(58)いハリス殿」と覚え方もいらっしゃるかもしれませんが、日本はアメリカとの間で日米修好通商条約を結びます。これには治外法権(領事裁判権)・関税自主権の撤廃といった内容を含んでいました。いわゆる不平等条約です。日本はその後オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じ内容の条約を結び、これらを「安政の五ヶ国条約」と称しています。今後倒幕から明治政府、明治維新そして近代化と向かうわけですが、ここでのキーポイントは治外法権の撤廃と関税自主権の回復といった条約改正でした。
 1867年、時の将軍徳川慶喜は大政奉還を行い、260年続いた江戸幕府は終焉の時を迎えます。明治新政府は条約改正に乗り出すため諸外国と交渉をしましたが、各国は日本に近代法が制定されていないことを理由に交渉に応じてくれませんでした。そこで、急速に始まったのが西洋に倣った法典の制定です。政府は役人をイギリス・ドイツ(プロイセン)・フランスなどに送り込み、西洋法を学ばせます。のちにフランス民法典であるナポレオン法典がヨーロッパ各国の模範となっていたことから、政府はフランスからボアソナードを招聘して法案を作らせることにしました。(※ボアソナードは民法案の制定で有名ではありますが、刑法や治罪法(刑事訴訟法)の制定にも貢献しています)しかし彼の法案は、政府が明治23(1890)年公布、明治26(1893)年施行として予定していましたが、身分法(親族・相続法)を中心に当時としてはかなり革新的なものであり、帝国議会においても論争が展開されました(民法典論争)。穂積八束の『民法出デテ忠孝亡(ホロ)ブ』は非常に有名です。ついにボアソナードの民法案は明治25年第3回帝国議会で無期延期となり陽の目をみることなく葬られることとなります。この民法案のことを「旧民法」と呼んでいます。
 翌明治26年、穂積陳重、富井政章、梅謙次郎の3名を起草委員とし、草案の作成を実施しました。民法典論争を踏まえ、身分法では当時の社会に根付いていた封建的な家制度を維持し、財産法ではドイツ民法典第1草案を参考としたものが出来上がりました。そして現行民法典である法典が明治31年7月16日に施行されます。なお、法典作成が実現した翌明治32(1899)年に不平等条約が改正されたことは既知の通りです。
 その後第二次世界大戦を経て、日本は個人の尊厳と男女の本質的平等(憲法第24条)を謳った日本国憲法が誕生します。そこで身分法を中心とした改正が行われることとなり、東大教授の我妻栄、東北大教授の中川善之助、裁判官奥野健一の3名が起草にあたります。そして、昭和23年1月1日現在の親族・相続法の改正がなされました。その後平成29年改正による財産法の一部改正など現在に至るまで大なり小なりと改正が行われていますが、根本の理念は変わらずに今も生きています。

2-2 民法典の系譜

 先の節で日本民法典の歴史についてお話ししました。次は世界に目を向けてその系譜を学んでいきましょう。ここでは、(古代)ローマ法→フランス法→ドイツ法→英米法の順にお話ししていきます。より詳細な内容について学修したい方には勝田有恒・森征一・山内進『概説 西洋法制史』(ミネルヴァ書房,2004)をおすすめします。

☆1 ローマ法
 ローマ法の起源は紀元前まで遡ります。この時代、裁判所や法律といった制度が確固たるものとしては存在しておらず、ローマ民族の生活は自然法のような形式的な法によって成り立っていました。しかし、時の権力者(神官団)が恣意的な政治を行うようになると、平民たちの不満が高まっていきました。そこで、紀元前450年頃、民会によって古来の慣習法を成文化し、「12表法」が制定されました。
 その後ポエニ戦争などを経て、ローマはその領土を拡大していき、商業大国(ローマ帝国)となっていきます。これに伴い、個人主義的かつ所有権を重視した法制度が求められるようになるわけです。そこで誕生した法が「市民法」と「万民法」でした。これらの法は現在の商取引や訴訟法の原点ともなっています。ですが、ローマ帝国の繁栄も長くは続かず、476年西ローマ帝国は滅亡します。
 西ローマ帝国滅亡から約50年後の527年、東ローマ皇帝としてユスティニアヌスが即位します。彼は、先のローマ法が失われることを懸念し法典編纂を命じます。そして完成したものが「ローマ法大全」です。このローマ法大全は、皇帝の死後は陽の目を浴びることは無かったのですが、中世以降教会法(カノン法)の研究の隆盛により再度注目を集めることとなります。これらの研究はボローニャ大学を中心としてフランス・ドイツといった国々に大きな影響を与えていったのです。

☆2 フランス法
 中世フランスではルイ14世による絶対王政がなされていました。この間国民は王の強権的な政治に対して不満を持っていました。その後ルイ16世の時代になり、1789年にフランス革命が勃発すると絶対王政は廃され、ナポレオンによる統治が行われるようになりました。ナポレオンは統一民法典の起草を命じ、1804年”Code civil des Français”が制定されました。この法が後にナポレオン法典となっていくわけです。この法典は時代とともに改正を重ねながらも現在でも有効な法典として運用されており、日本やオランダ・チリ・イタリアなど諸外国にも影響を与えています。
 ※現在のフランス民法典(Code Civil)についてはこちらを参照

☆3 ドイツ法
 ドイツはゲルマン民族により統治されていたという歴史を持ちます。かつてはローマ同様不文律の慣習法でしたが、これらを以下の4つの種族法典(サリカ・リブアリア・フリーゼン・ザクセン法典)として編纂していきます。以降中世までは小国が多数集まり、独自の法体系が施行される時代が続きます。10世紀以降からローマ法研究がドイツに流入し、14世紀頃からドイツ内の大学においてもローマ法研究が行われていくようになります。
 1495年、時の権力者マクシミリアン1世は「一般ラント法」を定め、以降これが裁判の基準となっていきます。その後4世紀もの時間をかけ、今の日本民法典でも採用されている「パンデクテン」の仕組みを作り上げていきます。
 1800年以降、ドイツ民族の中で統一法典の編纂を求める声が上がると、さまざまな議論を経て19世紀手形法典と商法典の立法からなされていきます。そして、一番最後1874年に編纂が始まったものが民法典でした。この編纂は非常に時間がかかり、第1草案・第2草案・第3草案と経たのち、1900年1月にようやく法典(BGB:Bürgerliches Gesetzbuch)が完成します。この法典も日本だけでなく、スイス・オーストリアなど諸外国に影響を与えています。
 ※現在のドイツ民法典(BGB)についてはこちらを参照

☆4 英米法
 ここまで解説してきた法律は全て大陸法と呼ばれていますが、これに対して英米法はローマ法の影響を受けなかった法です。主な特徴としては不文法であり、判例法(Common Law)が主軸になっています。それゆえ、裁判による法形成が行われていることが大きな違いという点に注意しなければなりません。英米法はアメリカ・カナダ・ニュージーランドといった様々な国に影響を与えており、日本の法律では民法の特別法である会社法が影響を受けたとされています。

本日はここまでです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?