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【考察日記】大人になるとは『妥協』や『極端』ではなく『中庸』を覚えること

私たちは子どもの頃から
理想を持って生きてきました。


しかし、
現実はそう簡単には
思い通りになりません。


社会に出て働くようになると
自分の意見や価値観が
他人とぶつかったり

自分の能力や環境に
限界を感じたりすることがあります。



そんなとき私たちは
どうすればいいのでしょうか?


こんにちは

読書セラピストのタルイです。


今回は『人生の選択』について
書いてみます。


一つ目の選択肢
自分の夢や理想を捨てて
現実に合わせて生きることです。

私たちはこれを『妥協』と呼びます。

妥協することで得られるものは
安定平穏かもしれません

ですが
それだけでは

心から満足できる人生とは言えません。




もう一つの選択肢は、
自分の夢や理想を貫いて
現実に抗って生きることです。

これは『極端』と呼ばれるものです。


極端な生き方で得られるものは
自己実現や充実感かもしれませんが

これもやはり
それだけでは


安心や幸福とは言えません。



ここまでを読むと
暗い未来しか想像出来ないかも
知れませんが


ご安心ください。



私はここで
『妥協』でも『極端』でもない
第三の選択肢を提唱します。

それは『中庸』です。


ここで断定的に言い切ると

中庸を学ぶことで

私たちは自分自身や
他者や社会との調和を図り


幸せな生き方を
目指すことができます。


ここからは
歴史上で中庸を提唱した
二人の偉人孔子アリストテレス


彼らの2つの中庸
ご紹介したいと思います。


◆孔子は「中庸が目指すべき最高」とした

「中庸の徳たるや、それ至れるかな」

孔子は、中国の古代の先生でした。

孔子は

人間がどうやったら良い人になれるか?
どうやったら正しい道を歩めるか?


ということを考えました。


孔子は

人間が良い人になるためには
自分の考えや行動が一方に偏らず
常に節度を守ること

が必要だと言いました。

そして、
自分の考えや行動が一方に偏らず、
常に節度を守ることを
「中庸」と呼びました。

「偏りがなく、常に変わらない」

という意味です。


例えば
対立する二つの意見があるとき

一方に偏って取り入れるのではなく

両方のいい点を
バランスよく
取り入れるような考え方です。


孔子のいう中庸
平均値や中間の意味ではなく

物事の本質や理法に従って
行動することなんです。


また孔子は、
中庸は一回や二回のことではなく
「常に発揮できるか」
を重視しました。


毎日毎時毎分毎秒も
忘れずに行うことが
大切だとしたのです。



● 『妥協』と『中庸』の違い


『妥協』とは自分の意見や
理想を捨てて相手に合わせることです。

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