50代後半からのキャリアを考えた ~同級生と会って~
人生100年時代と言われ始めて、まだ折り返しかと思う一方で、自分たちの親世代なら、第4コーナー廻って、どう穏やかに死んでいくかみたいな年齢なんだと思う、50代後半は。
県外から友人が帰郷するということで、5年ぶりにリアルに会って同級生数人で飲み会をして、みんな今後どうすんのかなと、ぼーっと思いつつ、老害にならずに、楽しくチャレンジしていくには・・とメモしてみる。
60歳定年が延びていく
平均寿命が延びていくし、働く人は減っていくし、60歳はまだまだ働ける。特に体が資本のガテン系や、プログラマー的な技術進歩の速い分野ではさすがに、20代と同じことをやっていくのはしんどいけど、マネジメントや営業、蓄積した経験から発揮できる教育的ポジションなど、日々のアップデートは必要であるが、全然いける。
早期退職者として、55歳ぐらいから辞めていく人がいる一方で、役職定年護も平に戻って働く人も増えてきた。私の周りでは、昭和38年生まれで今年60歳の人たちは辞める人と来年も同じ組織で働く人は半々といったところ。
もっともっと伸びていくだろう。あわせて年金の受け取る年齢も70歳ぐらいまでは行くんだろうか。
もっともっと社会制度が変わっていくことを前提にキャリア設計をしないといけないなと感じているとこに、同級生はどう考えているのか興味があったので、ディスカッションできるちょうといい機会だと飲みに行ってみた。
実は田舎の人たちはあまり何も考えていない
結論は、昨夜集まったメンバーのほとんどは、明確な考えを持っていなかった。昨日と同じ明日がやってくる、5年後、10年後、孫の世話でもしながら時々同級生と酒飲んで、趣味のある人は楽しんでいくという感じ。
もちろん、それぞれの事情があるのと、数人でワイワイやりながらの会話なので議論という体ではなかったので、ちゃんと考えている人もいただろう。女性はしっかりしている感じはした。公務員から大学教員という。
富士山型から八ヶ岳連峰型へ
藤原和博さんの唱えている考え方だが、全く同意である。一つのキャリア(専門性)で40年間働いて、60歳~80歳ぐらいまでは、悠々自適のシニアライフというモデルは成立せず、健康面でも、金銭面でも、社会制度の面でも新しいスキルや働く場所を取得・選択しながら自分らしくハッピーに生きていく。
副業・複業時代だし、多様な働き方ができるようになってきているし、場所に規定されない働き方も。
やんばるの課題
50代からのキャリアを考える上で、大きな組織に属している人は、その中での職能を活かす方法まず考え、個人事業主や中小企業は生き残りをかけて、新しい挑戦をしていかないといけないと思う。特に沖縄・やんばるの企業の多くは中小零細企業なので、地域の課題解決や地域経済の発展もあるが、まずは自分たちのビジネスの進化を目指さないといけない。
製造業がほとんどなく、観光産業を筆頭にサービス産業が主体の経済構造は財政依存から抜け出した自立した競争力のある産業へ。マネジメント層となる40代、50代は、経営やビジネスマインドのアップデート、ドメスティックな知見だけでなく、グローバルな視座でヴィジョンと人を育てる仕組みを作っていかないといけない。
やんばるは、高齢化の進展もはやく、名護を中心とする一部のエリアには人は集まるが、周辺地域では住民生活を維持していくためのインフラの維持や基礎自治体としてのシステムも危うい。
課題解決に向けてチャレンジ
自分にできることは何だろうか、同級生からヒントがもらえるかと思ったが、ぼんやりとした不安は共有できたが、具体的な話まではいかなかった。多分、こういうことは自分の内面との対話で導き出すものであって、他人がどうこういう問題ではないのだと、気が付いた。
小さく始める。まずは自分、そして周りの人たち、住んでいるエリア、仕組みとして変えていく。
ジブン株式会社として、エリアマネジメント、商社機能、賑わいづくり、子どもたちの新しい学びの形を作っていく。一人ではできないので仲間を募っていくが、まずは自分が旗を上げて、言語化し、対話をしていく。
そんなことを考えた、みどり街(名護の飲み屋街)の夜でした。楽しかったけど、同級生との飲みは1年に1回ぐらいでいいかな。自分の限られたリソースは次のキャリアの準備に使わないといけないので(^^♪。
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