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#3 代表の自己紹介(コンサル~経営再建)

ご覧頂きありがとうございます。新潟で中小企業向けの経営コンサルティングを行っている株式会社フォンテパートナーズです。当社のやっていることや経営に役立つ考え方などを綴っていけたらと思います。
長かった自己紹介も最終回です。お付き合い頂きありがとうございます。


コンサル入社

入社直後。希望に満ち溢れた社会人スタート。

念願のコンサル会社に入社。まずは電話対応や事務処理を覚える3ヶ月。入った直後から感じる違和感。それは「周りのレベルが圧倒的に高い。」ということ。高学歴かつ会計士や税理士を取得している人たちが沢山いる環境でしたので、めちゃくちゃ仕事のスピードと質が高い。全く最初は付いていけませんでした。
初めての東京。初めての一人暮らし。初めての社会人。そこにプライベートでは結婚や妻の妊娠。とにかく初めてだらけの1年目。それでも周りの先輩方がサポートしてくださいました。
仕事の内容は
・上場会社の子会社で予算と実績の管理体制を構築(常駐)
・上場準備会社の子会社(10社以上)経理体制の整備(常駐)
・ベンチャー企業の経理体制の整備(常駐)
・上場会社買収先の財務調査(デューデリジェンス)と株価算定(バリュエーション)
・PEファンドで投資先検討の支援(常駐)
・PEファンド買収先の管理体制構築(常駐)
・上場準備会社の事業計画策定
・PEファンド買収先の管理体制構築(常駐)
・上場準備会社のIFRS導入支援(常駐)
というように、上場準備会社やPEファンドの出資先の管理体制構築を常駐にて支援していました。
この経験が今の仕事にも繋がっています。上場準備やPEファンド関与の案件は、ひたすらにスピードと質のレベルが高いです。どの案件も必死についていくの精一杯でした。
マクドナルドでのアルバイトでは「お前ほど響く鐘はない。」と言われ、新潟県唯一の「トレーナーチーフ」のタイトル。関わった人が全員周りの想定以上に育っていく。そんな自信は徐々に失われていきます。

「適応障害」

入社後4年目で、とある案件で常駐チームのマネージャーの役割を任せて頂いた時に、頑張りすぎて「適応障害」と診断されました。

当時の目標は「死ぬ気で働いて信頼を勝ち取る。」というものでした。死ぬ気で働いて成果を出すことで、高い報酬を稼げるようになり、家族を幸せにできる。そんな当時の自分の中での最善の目標でした。

気負いすぎて休みの日も自主的に仕事。そんな生活を数か月続けているうちに、体も心も疲れてきます。しまいに何のために仕事をしているのか分からなくなってきました。

ある時、常駐先に到着しいつも通り今日のタスクを確認。
よし、やろう。と思った数秒後。
「あれ、今日何やるんだっけ。」
外にタバコを吸いに行き、冷静にやることを思い出して事務所へ戻る。
席に着いた途端。
「あれ、今日何やるんだっけ。」
これを繰り返し、気付いたら1時間が経過していました。

流石におかしいと思い精神科を受診。適応障害と診断頂き1ヶ月休職することになりました。適応障害は一時的な過度なストレスが原因ですが、症状は様々のようなので、私の症状は一例ということでご理解下さい。

とある研修との出会い

自信も失い、自分の人生が分からなくなった時にある研修に出会いました。その研修は一言でいうと「思考と行為を一致させる技術を身に付ける。」というものです。
思考とは、考え方であり「こうありたい」、「こうしたい」という頭の中のイメージ
行為とは、そのためにやっている実際の行動
思考と行為の一致とは、「こうありたい」と思っていることが実際に叶っている状態です。
そして、技術とは明確なロジックが存在し、再現可能なものであるということ。すなわち、誰でも、いつからでも、どこからでも良くなれる。というものです。
以前の私は家族のために必死に仕事をしていました。しかし、得たものは家族との時間が全く取れない状態。真逆の成果でした。
そこから本当に自分は何をしたいのか、どんな人生にしたいかを徹底的に自問自答しました。
まず出てきたのはやはり家族を幸せにすること。こども達がケラケラ笑っていられる穏やかな環境をつくること。そして、地元新潟の企業に貢献したいということでした。そして意を決し、5年務めたコンサル会社の退職。地元新潟の会社へ転職しました。
コンサル会社での経験は全てが素晴らしいもので、人生の財産になっています。周りの先輩方は常に気にかけてくださり、素晴らしい環境でした。

経営再建担当

新潟に帰り、新潟では誰もが知っているNSGグループ(NSGホールディングス)に転職。NSGの中では特殊ですが食品製造業を束ねる和僑商店ホールディングスへ出向し、その子会社数社の経営再建担当(実質的CFO)として経営再建に携われることになりました。
実は適応障害と診断され1ヶ月休職する際に1番最初に浮かんだ楽しいことが「予約しないと購入できない日本酒(〆張鶴)の予約をする。」でした。それくらい日本酒が好きだったので、酒蔵に携わることを願っていたのですが、見事に願いが叶いました。
この和僑商店グループが特殊なのは、1社を除き事業承継した会社で構成されているということです。しかも、苦しい経営状況で引き継いだ会社ばかりです。
この中でも株式会社小川屋(漬け魚を主体とした食品製造)と今代司酒造株式会社(新潟駅から最も近い日本酒の酒蔵)の2社をメインで担当させて頂けることになりました。

小川屋の創業祭

最初に着任した小川屋では
・月次決算の早期化(10日→4日)
・固定費削減
・原価計算の見直し(個別商品の原価を正しく把握)からの価格見直し
・新規事業立ち上げと営業(宅配弁当事業)
・各種イベント立案、運営
・多方面に渡る業務改善
などなど、経営、営業、製造、管理など全部門に携わり、着任1年半で事業承継後初の黒字化と十数年ぶりの賞与支給を達成。翌年も大幅な利益改善と賞与増額を達成。

今代司酒造でのInstagramでの配信告知
今代司酒造の暖簾と

今代司酒造は着任後1ヶ月でまさかのコロナウイルス蔓延により売上が急激に減少。しかし、素晴らしい社員たちと共に今出来る最善を尽くし、Instagramでのオンライン酒蔵見学会やECサイトのサービス強化などにより苦しいながらコロナ禍を乗り切ることが出来ました。
この経験から、経営も技術であり再現可能であると確信しました。再現可能なのであれば、この技術をもっと沢山の人に届け、沢山の人を救わなくてはならない。自分にはその価値がある。そう確信し、2021年9月1日に株式会社フォンテパートナーズを設立しました。

適応障害と診断され「自分には価値がない」と思っていた自分。
しかし、考え方と自分の行動が変わり、成果が変わると「自分には価値がある」と思えるように。

経営の技術だけではなく、この思考と行為を一致させる技術についても沢山の人に伝えていくことを自分の使命と感じられるようになりました。

ここまでご覧いただきありがとうございました。
前職のお話なので細かく記載することは出来ない点が沢山ありますが、長文にお付き合い頂きありがとうございます。
次回は「#4 当社サービスの紹介(管理会計)」をお届けします。


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