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ラスト・オブ・アス part2はゲームシナリオとして挑戦的すぎたのか?

微ネタバレ注意。
致命的なネタバレなしですが前情報なしでクリアしたい人は読まない方がよいかと。

クリアしました。

物語の出来に賛否両論あるようですが、個人的にはストーリーはアリでした。

ただですね、途中めっちゃ退屈というかノれない。挑戦的なことをやってるんですが、うーん。挑戦的すぎてゲームとして乗っかる上でいまいちハマってないといいましょうか。

というのも途中、操作キャラが何度か切り替わるのですが、そのキャラの「動機」に全く共感できないんですね。

このもうひとりの操作キャラの動機なんですが、メインの主人公であるエリーの動機と真っ向から対立しているんです。
とても面白い構成なんです。

ドラクエで例えると、主人公は勇者で、村を滅ぼした魔王を倒すために旅に出るんですが、途中で魔王に操作が切り替わる……といった感じでしょうか。コレ自体は面白い構成かと思います。

ただ、ラスアス2は第二の主人公のアビーが感情的にユーザーの反感を買う様なことをしているので、共感をさせる上で非常に都合悪い。
エリーが復讐の旅に出るという意味ではこのアビーというキャラは非常に強い動機を与えているのですが、ちょっとね、これが悲劇的すぎた。
たとえば魔王が勇者の家族を強姦して殺して、途中でその魔王に操作が切り替わったら胸糞ですよね?

ラスアス2の場合、アビーに共感しやすいよう、アビー側の物語で彼女が実はけっこういい人なんだということがこれでもかと描写されるんですけど、それでも「ヤクザが捨て猫にやさしくする」効果が生まれない。
実はいいヤツで、共感できるなあとは思えなかった。

やっぱり、アビーが冒頭でエリーに対してやってることが決定的すぎた。あとアビー側の物語があんまり上手じゃない。彼女がなんである人を助けるのかとか、よくわからない。各小エピソードのセットアップが微妙にボタンを掛け違えている感じでノレない。

なにはともあれ、アビーはあくまでライバルであって、倒すべき敵。だから敵(アビー)側の視点から彼女の動機や内面を描いても、主人公の物語上の動機の障害にはなりえず、したがって主人公の物語を面白くする要素にはなりにくいのかと思います。

先の勇者と魔王の例でいうと、魔王側に操作が切り替わった時に魔王が実は魔王軍にはとても優しい人で、色々と葛藤や悩みを持ってるんです……と描かれても複雑な気分になるじゃないですか。
これから殺さなきゃいけないのに。それに勇者の家族を強姦して殺してるわけですから。
映画やドラマならいいのかもしれませんがこれはゲームなので。
そのキャラをアバターとして操るわけですよ。しかもけっこう長い尺で。モヤモヤし続けながら操るはめになるんです。第一の主人公側の動機と対立するようなことを。あまり動機にノレずに、長々と。これはけっこうキツイ。

また、そうやって、ライバルなのに、その内面を隠さず、プレイヤーキャラクターの視点から内面の葛藤などを赤裸々に描いちゃってるので、「敵としての魅力」も薄れてしまっている気がしました。
敵が何を考えていて、どういう動機で動いているのか?がわかってしまうので、サスペンス的な引きがないし、敵としての凄みが消えるように感じがしてしまうんです。

もちろん、その事によって「エリーは復讐を貫くべきなのか?」という葛藤は生まれるんですが、その葛藤ってエリーの葛藤じゃなくて、ユーザーのメタな葛藤なんですね。だから物語的にはアガらない。

新鮮な体験は色々とあるんです。勇者と魔王の例に例えますと…… 
たとえば、勇者=ユーザーが正義の名のもとに殺した魔王の部下が、魔王操作パートになると、「勇者に殺された被害者」として出てくる。
そして魔王は仲間の死体を見て泣き叫ぶ。と言った具合に。

つまりユーザー自身の行いがある種の「悪」として、ユーザー自身の視点から追体験されるんですね。
この構成はゲーム体験としては、とても新鮮ではあるのです。

ただ、面白いかと言うとまだ、「ゲームとして普遍的に面白い」レベルにまで昇華できていないのかなと。ゲームデザインや物語のフォーマットは前作のママですし。

アビーの操作パートがゲームとしてはよくできてて面白いのにいまいちノレないのは、やっぱり操作キャラの根本的な動機に乗っかれないからなのでしょう。ゲームにおいて、キャラを動かす動機づけは大事だなあと痛感しました。
ゲームがいくら面白くても動機づけが共感できないと全然ノレない。ということです。

ただ…… 個人的にラストの展開は非常に感動しました。
「こうやるのか」と。たいていの復讐物語は実は主人公が「復讐以外の何か」を勝ち取って終わることが多いと思います。
復讐を成し遂げたかどうかは実はどうでも良くて。

復讐物語は、悲劇的な出来事によって精神の均衡を失ってしまった主人公が、復讐の旅を通して、精神の均衡を取り戻す話だと思います。

つまりある種の癒やしの神話といいましょうか。
旅を通して復讐に染まった主人公の心が最終的に癒やされれば、みている人はある程度の満足感を得られるのではないかと思います。

そういう意味では、エリーはこの旅を通して、癒やしにまで至らぬものの復讐の業火を消すことができたはずです。

ただ、その復讐の旅のきっかけがあまりにも悲劇的すぎたため(エリーにとってもユーザーにとっても)、プレイヤーの憎悪の炎が消え切らなかいということもあるのかなと思いました。

あんだけ丁寧に長々とアビーの物語をアビー側の視点で描写したのにも関わらず。

ただ、そういう構成も物語制作が迷走してああなってしまったというより、賛否両論をある程度覚悟していたのではないでしょうか。

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