忘れものがひどく約束を守れないわたし
「忘れものがひどく、人との約束を守れないことが多い」のが悩みだ。
小さい頃から「落ち着きがない」と言われてきた。いや、正確に言うと小学校低学年の頃によく言われた。高学年になると社会性をそこそこ身につけたようで「責任感の強い子」と言われることが増えた。しかし、裏側では相変わらず「落ち着きのなさ」が潜んでいて、表に出さないように必死だった。
「落ち着きのなさ」が顕著なエピソードとして、うちの母が大好きなのは「学校にカバンを忘れて帰宅」シリーズ。サブアイテムである「絵の具セット」や「習字セット」は忘れてくるのがデフォルトくらいの勢いで忘れたし、メインのカバンごと学校に忘れてくることもあった。松井稼頭央モデルのグローブをベンチに置き忘れた翌日、雨に濡れ変わり果てた姿となった相棒を発見したときはガチで泣いた。
大人になっても落ち着きのなさ、忘れもの癖は治らなかった。大学進学で釧路から札幌近郊に引っ越し、初めて札幌で遊んだ日の夜。買ったばかりのVANSのスニーカーを札幌駅の白いオブジェ付近に置き忘れ、1時間後には消えていた。8,000円だった。新千歳空港のトイレに財布を置き忘れた時は、後から入った人が走って届けてくれた。30,000円入っていた。
社会人になってからは人との約束を忘れないようにメモをとることにした。カレンダーに入れるか、入れないものはすべてメモ帳に箇条書きをした。どんな小さなことでも必ず書いた。それを一つ一つ横線を引いて消していくのが日課になった。電話で頼み事をされ、メモを取れない状況のときはメールを入れるようにお願いした。未完のメールには☆マークをつけ、抜け漏れを防いだ。
弊嫁はもともと同じ職場の営業事務だったのだが、仕事をするわたしは「きっちりとした人」だったらしい。頼み事をすぐ忘れる他のポンコツ営業マンと比べたらかなり優秀で、他の事務員たちからも好評だったそう。ところが付き合ってみると私生活は抜け漏れだらけ。頼んだことはやらないし約束が守れない。
そんなわたしに嫁は怒り、呆れ、諦めた。「できないあんたに頼んだあたしが悪い」。嫁の性格のよさに甘えてはいけないが、そういう思考をしてくれる相手で本当に助かっている。
一つ自分を擁護するならば、わたしに悪意はない。「約束をする以上、守るべき」という責任感覚は、おそらく人並みにあるはず。だからこそ、仕事はきっちりやってきたのだ。ただ、私生活で「逐一メモをする」「カレンダーやアラームで自己管理する」ようなことはしていなかった。
要するに、軽い気持ちで約束をしてしまっているのだ。そのことに気づいてから、わたしは出来ないことを約束しなくなった。「できればやっておくけど、期待はしないでね」と言えばいいのだ。仕事でもプライベートでも「安請け合いをしないこと」が大事なのだと気づいた。
最近はプライベートなことでも「大事なこと」はカレンダーに入力するようになった。会社員時代は会社のGoogleカレンダーしか使っていなかったから、プライベートなことを入力する習慣がなかった。プライベートと仕事でカレンダーを分ける人もいるみたいだが、いくつもカレンダーを持つのは嫌(というか逆に抜け漏れが起きる)ので、フリーランスになってからは一つのカレンダーにまとめている。
しかし昨日、久々にやらかしてしまった。来月、友人家族とキャンプに行く予定なのだが、そのキャンプの予約を忘れてしまった。
背景を書くと、とあるキャンプ場を仮おさえはしているのだが、本命は宿泊日の1ヵ月前にならないと予約できない人気のキャンプ場で、そのオンライン予約の開始時刻が昨日の朝10時だった。
「10時にスタンバッておくわー!」と返信したのち業務開始。わたしは毎朝8:00頃に、前日の振り返りと当日の計画を書いてから1日を始める。「日報」というタイトルのGoogleドキュメントに「10時にキャンプ予約」と打ち込んだ。
しかし、カレンダーに入れるのを忘れた。アラームも忘れた。
… ちがう、忘れたんじゃない。そもそも、そこまで重く考えていなかったのだ。「絶対に忘れてはならないこと」であれば必ず備忘行動をとったはず。「午前中にやれば大丈夫かな」そんな慢心?心の隙?があったのは事実だ。
それは朝イチの発言と矛盾している。「10時にスタンばる」と言ったのだ。友人はちゃんと10時に自分の家族分の予約を済ませ、LINEで連絡をくれていた。わたしが気づいたのは30分後。そのときにはもう売り切れていた。
そのことについて今朝、反省文を書いた。紹介して終わりたいのだが、忘れもの癖は本人も周囲もほんとうに大変だと思う。悪気のない人も多い。一種の疾患のような状態になっている人もいる。「忘れもの癖があるわたしって、病気なのかな?」と考え始め、ダウナーになったり自分の価値を無駄に下げてしまう人も多く見受ける。
忘れ物はいくらでも対策ができるはず。わたしはそう信じている。それを簡単に「仕方ない」と片付けたり、疾患として捉えるのは、場合によっては適切かもしれないが、もう少し頑張ってみてもいいんじゃない?とも思う。
そんな「過去のわたし」に向けた、反省文がこちらです。
ということで、以後気をつけます。
(この反省文、なんでこんなに他人目線なの?笑)
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