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わたしの父 「ジュン」 のこと


来月から「ライター」と名乗ろうと思う。

今までの活動に名を付けるなら「ブロガー」だったんだと思うが、そろそろちゃんとお仕事がしたい。いや、しなければならない。


そう思えば思うほど、生産性のない文章を書きたくなってくる。

午前中はちゃんと仕事をしたし、今日はもうどうでもいい気がしてきた。

なので、どうでもいいことを書こうと思う。


わたしの父 「ジュン」


以前、こんなnoteを書いた。

このときも「やる気があるようでない」という書き出しから始まっているように、わたしにとってやる気がないときに書くことといえば「家族」なのだ。


今日は父の「ジュン」について書きたい。

漢字で書くと「

昭和24年生まれにしては中性的でイケてる名前だ。


ジュンは北海道の釧路地方にある「音別町」という町で生まれた。

実家はそこそこ太かったらしく、およそ7人兄弟の下から2番目の四男くらいで生まれた。

曖昧なのには理由があって、わたしは父親の親戚と交流がない


小さい頃は従兄弟と会ったりしていたが、やがて疎遠になった。

それもすべて父「ジュン」に原因があるのだけれど、その辺も含めてわたしの幼少期から振り返ってみたい。


箸を投げつけるジュン


まず、ジュンはそこそこ終わっている。

わたしの父親に関する一番幼い記憶は「食事中にキレて箸を投げつけるジュン」の姿だ。


原因はわからない。わたしは基本的に怒られないポジションにいたので、わたしのせいではない。おそらく、何をやらせても不出来だった姉のことで母と口論になったのだろう。

「口論」と書いたが、正確に書くと両親が口論をしているところをわたしは見たことがない。口論になる前に、ジュンがキレる。母の発言で何か虫の悪いことがあれば即キレる。それがジュン。


そんなんだったから、わたしは100%母の味方だった。ジュンの機嫌を損ねないよう本人の前では平等を取り繕っていたが、ジュンのいないところでいつも母と結託していた。


将棋と野球


そんなジュンだが、将棋がめっぽう強かった。

釧路で1,2を争う実力者だったらしく、いつも大会の景品を持って帰ってきた。


ジュンは「気分屋」なオヤジなので、自分の好きなことをやっているときは不機嫌にならない。「調子のいいオヤジ」だった

わたしもジュンの影響で幼少から将棋を嗜んでおり、ジュンと一緒に指すこともあった。小馬鹿にしてくるジュンに腹が立つこともあったが、将棋を指す我々は仲の良い親子だったと思う。


他にも、ジュンとわたしは野球が好きで、よくキャッチボールをした。

そしてわたしが野球少年団に入り、二人の野球愛はますます加熱。


ジュンはわたしとのキャッチボールでは飽き足らず、野球少年団の練習に顔を出すようになった。

たっつのおじさん!」と同級生に呼ばれる父を見て恥ずかしくもあったが、どうやらジュンは子どもに好かれる気質を持っていたらしい。

ウザがっていたのはわたしだけで、大人になってからも「ジュンさん元気?」とみんなに気にかけてもらえる程度に、ジュンは同級生たちから慕われていたようだった。


家で箸を投げているなんて想像もできないほど、外ヅラがいい父。


それがジュン。


病み始めたジュン


本人のプライドもあるだろうからサラッと書くことにするが

わたしが中学に入ったくらいからジュンが病み出した。


いろいろ要因はあったんだろうけど、「家族に箸を投げつけてしまう」くらいには精神的に幼い人間だったわけで、職場を中心にいろんなところで人間関係に苦しむことも多かったんだと思う。

そして、おそらくジュンが人生で一番熱中したであろう「息子の少年野球」も終わってしまった。


ジュンは休職と復職を繰り返していたが、定年のだいぶ手前で突然の退職。

たしか会社を辞めたのがわたしが高校生のときで、母はブチギレていた。相談もなかった、とかなんとか。


わたしの兄弟は3人いて、兄とわたしは奨学金を借りることなく大学まで行かせてもらった。仕送りもおそらく平均以上の額を送ってもらい、学業や部活動に専念することができた。

母曰く、若い頃に鬼のように稼いでいた母の資金によるところが大きかったらしいが、ジュンだって限界までジュンなりに頑張ったんだと思う。そのおかげでわたしは今、楽しく仕事ができている。


母はきっと一生許すことはないだろうから、せめてわたしだけでもジュンの頑張りを賞賛してあげたいなと思う。


一人になったジュン


ジュンが会社を辞めてから10余年

母が家を出た


母のこともそのうち書きたいと思うが、とにかく気が強い。

曲がったことが嫌いで、執念深い。


わたしが幼少の頃から「いずれ出ていく」とは言っていたが

なんでわざわざこの歳で…


息子的には顔を出す場所が増えて面倒極まりないのだが、実家の1/4ほどしかない新居で出迎えてくれた母の、晴れやかな顔を見て

よかったね〜」と思ってしまった。


夫婦それぞれ、人それぞれの価値観がある

今が幸せならそれでよかろう。


一方のジュンは、帰省するたびに寂しそうな顔を見せる。

どうも、決定打を打ったのはジュンの一言だったらしいが

それを悔いているのだろう。


そういうつもりじゃなかったんだけどよぉ〜


はぁ・・・ジュンよ。そういうとこだぞ。

なんであなたは素直に「ごめんなさい」が言えないんだ。

たったそれだけだったのに。


70を過ぎてわからないのだから、この人は一生わからないままなのだろう。

まぁ、それもあなたの人生。

文句は言わんよ。

俺に迷惑をかける、そのときまではな。


才能溢れるジュン


昔から将棋、囲碁、習字など、日本的な芸能に明るかったジュン。

そのジュンが描いた絵を見て、弊妻と二人、度肝を抜いた。


ふつうにうまいし、なんとなくセンスを感じる。

わたしが芸術に疎く、稚拙な表現しか出てこないのが悔やまれるのだが、なんとも「ジュンらしい」のだ。



たぶん、同じテーマで描かれた絵が100個並んでいても、わたしはジュンが描いた絵を見抜くことができる。

それくらいに、ジュンの絵は間違いなく「ジュン」だった。


「ジュンなりに楽しんでんじゃん」


帰り道、わたしは「寂し過ぎて気が狂ったか?」と考えたりもしたが、妻の言葉を聞いて安心した。


もしかしたら、今が一番ジュンらしく生きてるのかもね


わたしも、そう思うことにした。



LINEを覚えたジュン


ジュンは叔母(本人の姉)の指導で最近、LINEを習得した。

ガラケーさえ持っていなかったのに、爺さん用のスマホでメッセージを打つジュン。


見ているだけで笑える。

なんで74で初スマホやねん。

あれだけ要らないって言ってたのに。


まぁでも、今までは電話か手紙でのやりとりだったたから、楽になっていいか。


そう思いつつ、年を重ねるごとに汚なくなっていく父の字を見れなくなるのは、少しだけ寂しい気もした。



ま、なんでもいいから人に迷惑だけはかけないでね。

それが我が家のルールだったはず。

あれ?これは母の教えだったか?


なんにせよ、迷惑をかけるならせめて身内に。


音別の皆様、弊父が人様に迷惑をかけているようでしたら、わたくしまでご一報ください。




速攻で、適切な場所にぶち込みます。



おわり♡


1月14日はわたしと父の誕生日
わたしが面倒を見る運命なのか…
LINEでも書き出しが手紙な74歳
改行とスペースのセンスが独特な74歳

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