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あなたが嫌いなのは椎茸じゃない。美味しい椎茸とまだ出会っていないだけ

ピーマン、椎茸、ニンジン、ナス、パプリカ、シシトウ、筍、イカ、タコ、ホタテ…

挙げたらキリがないというか、野菜全般、魚介全般が嫌いだった。


強烈に覚えているのは、幼稚園の給食。あれ?幼稚園って給食がデフォルトなのかな?わからないけど、とにかくわたしが通う幼稚園は給食だった。


わたしは給食の時間が嫌で仕方がなかった。幼稚園の方針なのか、担任の方針なのか、給食を残さず食べることが義務付けられていた。

わたしはそもそも食べるのが遅く、いつも最後まで残って食べていた。それは毎日、劣等感を覚えることを意味する。

そして何度か、教室で吐いた。今でも切り取った写真のように鮮明に覚えている。戻してしまった大量の吐瀉物が、お盆から溢れそうになっている瞬間を。そのときの言いようのない不安を。


気持ち悪くさせたらごめんなさい。ただどうしても書きたかった。つらかった経験と、当時の大人たちを心の底から憎んでいることを。


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… と、大変ダークな書き出しになりましたが(笑) 今では嫌いなものはほとんどなくなり、食べることが大好きな大人になりました😋

当時は「やせすぎ」〜「やせている」のBMIでしたが、今は標準体型。いや、お腹のお肉が気になるくらい、しっかり肥えた30代を過ごしています(汗)


幼少期を振り返ってみると、両親や姉兄にいつも「しいたけ美味しいのに〜」と嫌味を言われてきました。ただ、両親は「大人になれば食べられるようになるだろう」と考えていたようで、そこまで気にしていなかったそう。「給食が嫌だから学校に行きたくない」と言い出す息子を見て、そこは心配していたようですが。

毎日が地獄だった幼稚園生活。前日の夜に、翌日の給食の献立を見ては一喜一憂していました。

そこで強行策に出ます。どういうシステムかよくわからないのですが「箸」は持参していたようで、バレないように箸箱に嫌いなものを詰めて持ち帰ることに。

あんたが箸箱に椎茸をギッシリ詰めて帰ってきたのは笑ったね」と未だに母に笑われることになってしまいましたが、わたしなりの生存戦略だったので仕方がないでしょう。


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今では、わたしが受けたような食育?をする学校はないのかなと思います。うん、絶対にやめた方がいい。

わたしはありがたいことに、その後「美味しい」と思える食べものにたくさん出会えました。美味しい料理・美味しい食べ方を教えてくれる方々と出会うことができたおかげで好き嫌いがなくなりました。

特に、新卒で入った会社の社長にたくさん美味しい料理をご馳走になりました。「え、椎茸ってこんなに美味しく食べられるんだ!」と知り、そこから徐々に好き嫌いがなくなっていきました。


そもそも給食のクオリティは限界があります。わたしの通った幼稚園・小中学校はすべて自前の給食室があり、地元でも美味しいと有名だったらしいのですが、わたしにとってはいまいちな日も多かったです。

好みの問題もありますが「美味しいお店」「料理が上手な人」と比べたときに劣ってしまうのは、仕方がないことです。

こんな書き方をすると給食が好きだった人を小馬鹿にしているように捉えられるかもしれませんが、わたしは「給食おいしいよね!」の同調圧力が本当に嫌で、悪だと思っています。

個々が「美味しい」と思うのはいいし、わたしも「美味しい」と思って食べるものも沢山ありました。カレー、豚汁、厚焼き卵。この辺は大好きでした。

しかし、例えば担任が中心になって「美味しいよね」「給食のおばさんに感謝しよう」「好き嫌いはよくない」「残すのは悪いこと」この辺までワンセットにしてくるのは、本当にやめてくれと(笑) 勝手に感謝するし、美味いまずいはこっちで判断します。押し付けないでほしいのです。


でも、わたしはそんなことを無闇に言いませんでした。誰かを不快にさせるだろうと思うから、言っていい人にだけ言う。だから、あなた方も必要以上に強要するな。給食を残すことを、悪だと決めつけるな。そう言いたかったです。


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ここまで色々とガヤガヤ書いてきましたが「じゃあ、偏食ってどうすればいいの?」みたいなことを書きたいと思います。


その前に、人はなぜ特定の食べ物を嫌いになるのかを整理したいと思います。ソースは自分の体験なので、統計や科学的な根拠はないです。ある時期ガッツリ調べたので、まともな情報も多少は含んでいると思いますが(笑)


まず、シンプルに2つかなと思っていて「生まれつき」と「悪体験」によって偏食は生まれるものと推察します。

「生まれつき」は間違いなくあるでしょう。好きなものに理由がないのと同じく、理由もなく嫌い。で、たぶんこれは大人になっても克服しないことが多いです。


もう一歩、踏み込んだ推察をすると「生まれつき」は克服する必要もないし、その人のあるべき個性だと思っています。

なんでそう思ったかというと、わたしの妻が未だにそこそこ偏食なのですが、野菜はほぼトマトしか食べません。栄養のほとんどをトマトから摂取しているような人なのですが、昔から体が丈夫で風邪をほとんど引いたことがなかったようです。おそらく「自分にはトマトが合っている」と体が本能的に理解しているんだと思います。

一方わたしは、小さい頃から体が弱く、風邪をひいてばかりでした。「生まれつきの好き嫌い」ではないので、体が必要な栄養をちゃんと摂れない(摂りにくい)状態だったのかなと。

ということで、そこそこ大胆な仮説ではありますが、生まれつき嫌いなのであれば無理をして食べなくていい、というのがわたしの主張その1です。


次に「悪体験」ですが「嫌いになるような食体験をしてしまったことによる偏食」を意味します。

例えば、わたしは大人になってから「椎茸の美味しさ」を知りました。採れたての椎茸を丸ごと炭火で焼き、醤油をかけて食べる。しいたけの良い香りが鼻を抜け、弾力のある身を噛むたびに旨みが広がる。

そんな椎茸、給食では出てきませんでした。煮詰まった感じの椎茸臭さが鼻に残り続ける、あの感じ。未だに食べられません。

要するに「まずいものを食べた」だけなんです。わたしは今でも土臭いニンジンが嫌いだし、生臭い魚介も嫌いです。というか、ちゃんと下処理されていないものはだいたい嫌いです。

子どもの頃はそんなことはわからないので「自分の好みの食べ方じゃなかった」というそれだけで「嫌い」と判断するしかないのです。


というわけで「悪体験」パターンは、大人になって「良いもの」を食べれば克服できます。だから、まったく心配する必要なしです👍


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なんでこんなnoteを書いたかというと、子育て中の知人が「好き嫌いの克服方法」について悩んでいて、相談を受けたことがあったからです。


結論「気にすんな」です。

「好き嫌い」を気にするのではなく「好き嫌いによって生じている環境や心境の変化」にだけ注意しておけばいいと、わたしは思います。

あとは大人になってから「良いもの」を食べられるように、勉強やスポーツを頑張ろう!と、好き嫌いをエネルギーに変えてあげれば完璧ではないでしょうか。


「あなたが嫌いなのは椎茸じゃない。美味しい椎茸とまだ出会っていないだけ」


以上、わたしの偏食遍歴と好き嫌いに対する見解でした。

最後までありがとうございました😋


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