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わたしがお世話になった人 - 助け続けてくれた後輩

昨日、営業時代の話を書いた。

5,000字に迫る長編エピソードになってしまい、本当は入れ込みたかった話、いや、「入れ込むべきエピソード」を泣く泣く全カットした。


「努力は裏切らない」
「自信をつけよう」
「人や環境のせいにしてはならない」

などなど、小さな成功体験の割にはまるで大成功者のような振る舞いで筆をとり続けた昨日だったのだが、実はわたしにとって「努力をする上で最も重要なファクター」について一切触れていない。


それは至ってシンプル。

仲間」の存在だ。


仲間がいなければ、わたしは成果をあげるどころか努力することさえできなかったと断言できる。


>> 先輩の「むっちゃん」については以前こちらで触れた。

むっちゃんとのネタは山ほどあるので、また改めて書きたい。


そこで今日は、わたしを助け続けてくれた、優秀すぎる後輩について書こうと思う。

わたしより10歳ほど年下の彼のおかげで、わたしは色々なことに挑戦することができた。彼がいなければ、昨日の記事で書いた「特別に大きな成功体験」を得ることはなかったし、わたしの人生はもっとノロノロと進んでいたと思う。


少しだけ、紹介させてもらいたい。



残業地獄


後輩の話をする前に、彼が入社することになった背景を簡単に。


わたしが転職した2012年当時、所属していた札幌支店の平均退社時刻は21〜22時。遅い日は0時を過ぎることもあった。ちなみに定時は18時だったので、毎日3〜4時間の残業をしていたことになる。当時は残業に関する法規制がゆるゆるで、コンプラに敏感な会社以外はどこもそんな感じだったと思う。

転職から1年後、社長が動いた。残業代が支払われるようになり、残業時間の報告が義務付けられた。しかし、現場はいきなり変われない。実際の残業時間はさほど変わらぬまま、申請できる分だけ残業申請をする状態に。

支店長も動き続けてくれた。わたしより2年先に赴任していた支店長は、ボロボロだった支店を立て直すため、最初は中途人材を中心に採用(わたしもその中の1人だ)その後、新卒を毎年1〜3名採用し続けた。仕事を縦方向にも横方向にも割り続け、最適な組織体制を目指していた。


そうして体制は整いつつあるけれど、まだまだ完成にはほど遠かった2015,16年頃。「運命の出会い」と呼びたくなるほど、お世話になりまくる後輩が入社してきた。ここでは「Kくん」と呼ぶことにする。


変えよう、俺たちで


Kくんは高卒だった。


営業のほとんどが大卒の男性で、高卒の男性が入社してくるのは異例だった。わたしが彼の教育担当を任されたので、改めて支店長に人材計画や教育方針の確認をした。

まずは事務仕事を覚えてもらって、その後は営業に挑戦してもらってもいいし、その辺は彼と君に任せるよ」基本的に放任主義な支店長らしい回答。信頼の証と受け取り、遠慮なくわたしの好きなようにさせてもらおうと思った。

Kくんは明らかに営業向きではなかった。荒々しい建設業の現場で、健全なメンタルを保てるとはとても思えなかった。仕事に慣れてきたタイミングで本人に確認してみたが、わたしとまったく同じ考えだった。「まずは事務作業を頑張る。その後のことはゆっくり考えよう。」そんな話をした。

なんであれ、わたしにとって初めての直属の後輩。残業なんて絶対にさせない。そう思った。むしろ、俺たちでこの会社を変えようぜ。Kが事務作業のプロになって、営業の仕事をガンガン巻き取る。そしたらみんなハッピーじゃん?


そんなことを2人でよく話した。わたしはその未来を想像して、とてもワクワクした。Kくんはそんなわたしを見て「うるさい人だな」と軽く引きながらも、わたしと同じ気持ちになってくれていたと都合よく解釈している(笑)


優秀すぎる後輩


Kくんはひたすらにマジメだった。


謙虚で丁寧。彼以上に物腰が柔らかく、優しい男性をわたしは知らない。そんな彼だったので、わたしもつい優しく教えてしまう。いや、それは良いことなのだけど、Kくんと同じタイミングで入社したもう1人の後輩にはそこそこ厳しかったので「なんで俺だけ」と思うこともあっただろうと想像する。少しだけ、申し訳ないと思っている。

Kくんは人の言っていることを理解する能力が高かった。わからないことを「わからない」と言える素直さと「できるかわからないけれど頑張ります」と言える誠実さがあった。わたし以外の営業も、そんなKくんを徐々に信頼していった。任される仕事が増え、わたしの知らないところであっという間に成長していった。

中山さん、これ大丈夫ですか?」手が空けば仕事を探す癖がついていたKくんは、わたしが落としたボールをとことん拾ってくれた。かゆいところに手を伸ばし、わたしが全力で集中できる環境を作ってくれた。

彼が入社して1年足らずのうちに、わたしの残業時間はほぼゼロになった。そして、翌年からKくんは「見積チーム」に移ることに。Kくんのために新設された専属部署。高卒2年目の19歳が、組織を変えた。


それ以来、社内の残業時間はどんどん減っていった。高卒2年目の19歳が、大卒のおじさんたちの仕事をドンドン巻き取っていく。その構図はなんだかヘンテコで、最高だった。


君がいたから


そんな感じでKくんはわたしの元を巣立ってしまったわけだが、元教育担当という肩書きをフル活用し、それ以降も様々な場面で助けてもらった。


その最たるものが、昨日書いた「新規開拓営業」のサポート。新規と既存、どちらも大事だけれど、新規案件に使う神経や脳みそと既存に使うソレは大きく異なる。わたしが新規営業に集中していた期間、既存顧客の仕事のほとんどをKくんに代行してもらった。


この新規営業の経験はわたしにとって大きな財産であり、転職活動ではホコタテの「矛」ばりの武器になってくれた。つまり、Kくんがいなければ今のわたしの人生はありえない。本当に優秀で心強い後輩を持った。ありがとう。


その後


余談になるが、わたしは2020年の6月に会社を辞めることを決めた。新規開拓がひと段落し、今後についてアレコレ考えているタイミングだった。Kくんが「そろそろ会社を辞めようかと思います」と報告をしてきた瞬間、葛藤が決断に変わった。

Kくんがいなくなるなら、この会社でやることはこれで終わり。次の挑戦について考えていたけれど、Kくんは絶対に必要なピースだった。Kくんがいなかったら、その挑戦が実るのに膨大な時間がかかることになる。

8月にわたしが退職し、12月にKくんが退職。Kくんはずっとやりたい仕事があり、予定通りその仕事に就いた。

それ以来、会うことも連絡を取ることもほとんどないけれど、きっと優秀な彼のこと、多くの人に必要とされ、優しい笑顔で応じているんだろうと思う。


Kくんに教えてもらったこと


Kくんは、最強に素直で、最高に誠実だった。


若い人が持ちうる武器の中で、最も強いのは「謙虚さ」だと思う。謙虚さを振りかざされようものなら、こちらも丁寧に構えざるをえない。それはKくんが爆速で経験値を獲得するための最大の武器だったし、Kくんを守る最大の防御でもあったと思う。


わたしは本当に謙虚さがない。謙虚でいようとしなければ、たちまち謙虚さが消え去る。そういう性格だから仕方がないと、半ば諦めている。

傲慢なわたしと根っから謙虚なKくん。きっと相性もよかったんだと思う。


そんな素敵な後輩、Kくんの話でした。Kくん、元気かな?



あとがき

傲慢さをここで爆発させたい。謙虚で優しい先輩で終わらないのがわたしなのだ。ハッハッハ😁

てかさ、Kくんの良いところばかり書いたけど、少しくらいダメなところも書かないと人間味がないでしょう?嘘くさいでしょう?文章には対比が大事なのです。

Kくんは計算がとても苦手でした。「おまえ、それ何回聞くん?」ということも何度もありました。

コミュニケーションにおける理解力はありましたが、気持ちが優しすぎて押しに負けることもありました。「安請け合いは無責任。優しさを履き違えんなよ」と言ったこともあったと思います。

それにしっかりついてきてくれたKくんはやっぱりさすがなんだけど、Kくんの言葉を借りると「中山さんのおかげ」だったらしいので、持つべきものは良き先輩だよね。

え?Kくんに教えてもらった謙虚さ?いっけねー。また忘れてたぜ。てへ。


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