ベンガルの歴史メモ

バングラデシュは1971年に出来た新しい国だ。元々は全部がインド文明だったこの地は、1947年にイギリスの統治政策の中で、ヒンズー教徒が住むインドと、イスラム教徒がすむパキスタンとに国が分けられ、その中でもインド亜大陸の辺境に位置するベンガル湾は東パキスタンとして位置づけられた。
しかし、イスラム文化に近い位置にある西パキスタンの支配力が強く、ウルドゥー語を国語にしようとする運動の中で、ベンガル語を話す東パキスタンの抵抗が大きく、1971年に独立国としてバングラデシュ(ベンガル人の国)が成立した。
一方で、近代のベンガル人のアイデンティティーとして国民を「ベンガル語を話す者=ベンガル人」なのか、「イスラム教を信じる者=ムスリム」なのかの間で揺れ動いていることだ。
前者の場合はヒンドゥも同胞となるが、後者ではインドに住むムスリムが同胞となる。彼らはそのアンビバレントなアイデンティティの間にあると言える。
そもそもベンガルにおいてムスリムの歴史とヒンドゥの歴史をはっきりと分けるのは難しい。
インドの辺境に位置している故にバラモン文化の浸透が遅れたが、4世紀〜6世紀のグプタ朝時代までにはバラモン教が主要な宗教となったとも考えられている。それ以外でも、古代と中世初期には仏教も盛んであった。
そこへイスラム勢力が進出したのは13世紀のことだ。
ベンガル語が発達したのは11世紀〜16世紀までの5世紀であり、その頃にイスラム教とヒンドゥ教の二大宗教が影響し入り混じった習合的な宗教文化のかたちが定まり、カースト的な社会編成が定着した。

1204年にムスリム王権が成立した当時のベンガルのムスリム人口は一握りの支配者集団のほかは皆無といって良かった。それが農民たちの間にムスリムと呼べる人々が観察され始めたのは、16世紀後半であるのアメリカ人の歴史家のイートンは述べている。
1574年にベンガルがムガル帝国の版図内に組み込まれる前後あたりからムスリム農民集団が姿を現し始めたといえる。

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