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小説 白い猫と妻の失踪 1、果歩 鎌倉2019


抹茶の粉を入れた白い楽焼きの茶碗に、柄杓でお湯を注ぐ。お湯が落ちて立てる、コポコポコポという小さな音が茶室に響く。朝日の当たる茶碗から湯気がほんのりと立ち上る。右手で持った茶筅を、楽焼の茶碗に入れて混ぜる。小さなしゃかしゃかという音が響く。

 着物の袖が揺れる。着物に沁みをつけてはいけないと思うと、いつも緊張する。背筋を伸ばし、いつもの動きでお茶を点て、静かに茶筅を横に置く。茶碗を持ち、正座したまま膝の方向を変え、正面に座っている夫の前にそっと丁寧に置く。

 もう20年以上続けている、毎日同じ時間に行う儀式。最初の一杯は、夫のため。作家の夫は、毎朝早朝に起き、ジョギングに出かけ、シャワーを浴びる。軽いトーストとフルーツ、コーヒーの朝食を食べてから一人、離れの仕事部屋にこもり仕事をする。
 朝は一人で静かに小説のことを考える時間に当てるので、邪魔をしないために、あまり物音を立てないように細心の注意を払う。よほどの用事がなければ、話しかけないようにしている。

 朝食の準備は、前日の夜のうちに全て整えてある。前日の夕食の後には洗い物を終え、シンクも床も、冷蔵庫の中も磨き。朝食用の、紅茶と食器のセットを出しておく。
 トーストに添える手作りジャムは、アプリコット、マーマレード、イチゴなど、数種類。バターはエシレのバターと決めている。パリのリッツホテルに泊まった時に食べた朝食を家でどこまで再現できるか、と考えて用意すると食材や食器の選び方が変わってくる。

 パンは、焼きたてのお気に入りのお店のクロワッサンか食パンを必ず用意する。家で焼くこともある。爽やかな朝を迎えるための準備は前日の夜から始まっているので、朝起きた時に余計なものが目に入らないよう、全ての片付けや掃除を済ませてから休む。
 家具を配置するとき、朝日の当たる位置にテーブルと椅子を置くことを最初に決めたほどだ。

 昨日の夕方の決まった時間に焼きあがった食パンを、朝食用に買いに行き、トースターの横に置いておいた。カットフルーツやヨーグルトも、すぐ手に取れる場所に準備されている。お湯を沸かし、ティーポットにお湯を入れるだけで、すぐに朝食を食べられる状態になっている。
 夫が一人で準備をして食べていることもあれば、一緒に朝食をとることもある。朝は私はコーヒー、夫はラプサン・スーチョンという香りの強い紅茶を飲む。コーヒー豆は特別な店から取り寄せている。

 仕事部屋に入ると、集中しているためか、夫は全く音を立てない。あまりにも静かなので、眠ってしまったのか、何か怒っているのかと、結婚当初は、時々気になったものだ。でも、今は、離れていても、彼が書斎で仕事をしていると「あっ、今はすごく乗って書いているところだな。」とか「今日は少し不調のようだ。」と、気配で様子がわかるようになった。

 夫は午前中の仕事の休息時間を大抵11時ごろにとり、茶室で抹茶を飲む。私は、午前中家事や自分の仕事を一通り終えてから、茶室に入るために着物を着る。私にとってもこの時間が良い気分転換になっている。茶室で過ごす時間は気を静め、無になる時間を創り出す。茶道を続けていると自分の頭と体が繋がり、心の体幹が整っていく感覚がある。すると料理や他の仕事をしていても、体と頭が一致している感覚を持てるようになっていく。
 庭の中には、母屋、書斎にしている離れ、そして茶室が別々に建っている。この家の中で茶室からの景色が一番美しい。

 着物は、母や義母、親戚からの頂き物をたくさん持っている。年を取ってきた親戚たちが
「もう、体力もなくて着物は着ないし、もしよかったら着てちょうだい。」と、私の家に送ってくれたものだ。
 20着ほどある着物は、大島紬などもあり、最初は汚すのも怖いし慣れていないので、しまい込んでいたけれど、ある時から、せっかくの着物が呼吸もできず箪笥に仕舞われているのは可哀想な気がした。少なくとも風に当てて、インテリアとして飾ろうと思うようになった。

 毎週1着づつ和室に広げて、ハンガーにかけておく。すると不思議なもので、ちょっとでも袖を通してみようかなと思うようになった。外出の為に着物を自分で着付けるのは、相当慣れていなければ上手くいかない。でも家の中で着るのなら、多少着付けが失敗して着崩れても、困ることもない。慣れてしまえば着付けも億劫ではなくなり、何より夫がとても喜んでくれる。
 自分でも着物を着れば姿勢が良くなり、気持ち良く過ごせるので、いつの間にか、ほとんど毎日数時間は着物で過ごすようになった。
 最初は頂いたものという意識もあって、自分に馴染んでいないところがあっても、何日か自分の体に纏っていると、だんだん自分の着物になっていくのがわかる。
 どんなに高価なものでもタンスに10年20年も袖を通さずに仕舞われていれば、傷んでいつかは捨てられてしまう。今では高価な着物ほど、1日でも多く着てあげたいと思うようになった。高価な着物や服の良いところは、着ている本人にエネルギーを与える。作り手の丁寧な仕事に思いが宿っているからだろう。
 着付けるための小物は全て一つの風呂敷に入れておく。紐や長襦袢、着物、足袋、帯をそれぞれ出してくるという作業だけで時間がかかってしまうと、着物を着るリズムが崩れてしまう。全てのものを、一瞬で取り出せるよう、日頃から準備しておくと、着物を着るハードルは低くなる。

 夫の仕事が乗っている時は、午後まで休みなく書いている日もある。そんな時には、和菓子と抹茶を載せたお盆を離れの書斎の、指定の位置に置いておく。    
 昼食を食べてしまうと、集中が切れてしまうそうで、昼食の後の午後の時間は、散歩をしたり、調べ物をしたり、資料になる読書をしたりして過ごすことが多かった。

 私は大手出版社に長く勤めていた編集者で、50代で早期退職してからは夫の個人事務所の社長として、夫のスケジュール管理や、マネージメントを担当している。
 仕事の途中で食事の支度をしたり、家のことをしていると、あっという間に日が暮れてしまう。夫が新作を書き上げた時は、私が読者第1号として、数日じっくりと作品と向き合うようにして読み、自分の中で作品が育つのを待つ。1週間ほど経ってから、素直な感想を短く夫に言う。夫は、ただじっと聞いている。その場では夫は何も言わない。

 数日すると大抵「君の意見を参考にして、少し直してみたんだ。読んでみて。」と、手を加えたものを読ませてくれる。私は彼がデビューした10代の頃から作品を世界で一番最初に読み続けてきたし、普段の生活の中で自然と小説のテーマになるような話題や、作品の構成と展開について一緒に考え、話し合うこともあった。でも、お互いに小説の内容として話すことはできるだけ避けていた。
 思いがけないところに、私の発した言葉に似たセリフが入っていたりすると、なんだか私に似た別人格の登場人物がどこかで生きているようで、愉快な気持ちになった。
 私が彼の作品に直接意見を言うのは、年に数回、それも5分にも満たないほど短い時間だった。場所も茶室に限定していた。それ以外の場所や時間に、彼の仕事に口を出すことは絶対になかった。

 私はもう一杯、別のお茶碗に抹茶を点てる。今度は、自分の為だ。静かにそっと、茶筅を置き、抹茶の入った茶碗を静かに置く。綺麗に、小さな泡が表面を覆っている。庭の右側の方角に向かって一礼する。近くの神社の鳥居がある方角だ。

 自分の抹茶を飲み終え、外の風景を眺め一息つく。ここは鎌倉の高台にある一軒家で、庭の後方には、借景の山と海が見える。鎌倉に海が見える家は多いが、この家の庭からは天気が良い日には、遠くに富士山の山頂が見える。こんな縁起の良い景色を毎日眺めて暮らせるなんて、なんて素晴らしい人生だろうと思う。
 呼吸と心を乱さず、姿勢を正してお茶を飲むこの時間は、特別な時の流れを生む。一秒間が普段より長く感じられる。冬は湯気の立ち方が強く、夏はじんわりと首筋に汗が滲む。
 庭の梅の花が開き始める春。紅葉が紅葉し始める秋。ほぼ毎日、変わらずお茶を点てる。日常というのは、習慣でできている。朝のコーヒー。夜の食事。美しい清潔な空間で、同じ時間に同じ行動をすることで、人の思考は整理されていく。

 「今日もいい天気だね。」と夫が静寂を破る。「ええ、そうですね。」
「よく眠れた?」「まあまあというところね。」

「作品のタイトルを2つ考えていて、どちらにするかまだ迷っているんだ。」
「あとで変更したければ、それもまだ可能ですから。ゆっくり考えて下さい。さあ、少し外に出てみましょうか。昼食は、あのカフェで食べることにしましょう。」

 Y’Cafeと書いて、ユカフェと読むお店の扉を開ける。人気のある店なので、来る前に電話で10食限定ランチプレートを二人分予約した。着物のまま出てきたので、周りの外国からの客たちが、時々振り返ってこちらを見ている。

 大正時代の古民家を、美しく作り直した、居心地の良いお店だ。オーナーシェフは、若い女性で、とても美味しい食事とケーキを作る。初めて偶然前を通った時は、お店だとは気づかなかった。
 何度か前を通り、店から人が出てくるのを見て、やっとお店だと気付き、勇気を出して
ある日、一人で中に入ってみた。小さい日本庭園を抜けると、和風の玄関がある。中に入ると、落ち着いた色合いで塗られた美しい木の床や、天井。壁にはモダンなマリメッコの黒い花の布が飾られている。モダンなデザインが大正時代の家にぴったりと合っている。
 テーブルと椅子も、和風で揃えられ、奥に小窓があり、厨房が少し見える。入って左側には、廊下があり、大きなガラスの扉の先には丁寧に飾られた、こじんまりとした中庭がある。

 私は、この小さな中庭が見える席が気に入っている。丁寧に作られたホット・サンドイッチには、卵焼き、チキンの照り焼き、サラダ菜、トマトが程よいバランスで挟まれている。バターやマスタードは、特別なものを使用している。パンも、柔らかく、香ばしく、絶妙な美味しさだ。添えられているサラダには、数種類の野菜が使われている。地元の野菜を仕入れているそうだ。

 「食後にお飲み物とデザートはいかがですか?」と店主の母親らしき年配の女性がやってきた。紅茶を二つと、夫のための柿のジェラート、私にはモンブランを頼み、食べ終えると、販売していた焼き菓子を買って、店を出た。午後、原稿を届ける時に、担当編集者にお土産に渡すためだ。

 一度家に引き返し、夫と最終稿の確認をして、数日かけて考えたタイトルを書き込んだ。原稿とお土産を持ち、一人で江ノ電の駅に向かった。静かな海を眺めながら、3両編成の小さな列車が街の中を進んでいく。太陽の光が青い海に反射して、とても気持ちのよい陽気の11月だ。

 海が見えると、いつものように観光客から小さな歓声が上がる。海を見慣れている在住者でも、列車から見るとまた違った美しさを感じる。がたんごとん、がたんごとん、と、小さく同じテンポで揺れる列車の椅子に腰掛けていると、ふんわりとした気持ちになった。

 今日は、紬の着物に赤い刺繍の入った帯を締め、オレンジの羽織を着た。出版社との打ち合わせの待ち合わせは、鎌倉プリンスホテルだ。海を背にして坂を登り、広いラウンジの海の見えるソファーに落ち着いた。
 静かな空間に、華やかな笑い声が響く。どうやら、隣の宴会場で結婚式の披露宴をしているらしい。出版担当者に最終稿を渡し、打ち合わせを終えた。出版日が決まったら詳細を知らせる。ということだった。大事な原稿を持って歩くことには、慣れているが、それでもいつも緊張する。大役を果たしたので、少し足を伸ばして、江ノ島にでも行ってみようかと思いついた。以前、よく夫と出かけたものだ。

 江ノ島へ行くには海風に吹かれながら大きな橋を渡って、歩かなければならない。江ノ島に着いたのは、16h30を過ぎた頃だった。夕方の光になり、寒さが身にしみる。せっかくここまで来たのだからと、坂を登り、エスカレーターに乗って、灯台に向かう。
 観光客が行く場所には、人が溢れているので、いつでも行かれると思うと、なかなか機会がなかった。エレベーターに乗って、高台の上に立っている灯台の最上階の展望台に向かう。

 平日の夕暮れなので、人もまばらだ。クリスマスの飾りが綺麗な週末になると、また大変な人出だそうだ。今日は、展望台も、静まり返っていた。
 時々、若いカップルが、手をつないで、通り過ぎる。展望台から湘南の海を一望できる展望台に立つ。本当に美しく、ロマンチックで、素晴らしい景色だ。髪の長い美しい外人の女性が一人景色を眺めている様子が、絵画のようだった。暗くなってきてしまったので、ちょうど海沿いの道に街頭がつき、美しい海の景色に色を添える。思いがけず、夕陽が沈む瞬間に、立ち会うことができた。


#創作大賞2022

小説 「白い猫と妻の失踪」 全23話

マガジン 全23話


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