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湊かなえの小説が好きで、そういうのを書きたい

 湊かなえの小説にハマっています。

 年明けに「母性」を読んで、5回くらい泣きました。登場人物の苦悩に共感し過ぎて、辛過ぎてそれくらい泣きました。
 ざっくり言うと「母性」は、「母と娘が『私はあなたをこんなに愛しているのに、なんであなたは私を愛してくれないの』って、お互いにずっと思ってる話」「お互いのことをとことん勘違いして捉えていて、その勘違いが最悪の形で噛み合って色々最悪になっていく話」です。
 読んでからちょっと時間が経っているので、間違っていたらすみません。

 このように、湊かなえの小説は決して明るくありません。他の本も全然例外じゃなさそうです。
 デビュー作にして代表作の「告白」も、もう色々な状況が最悪です。最悪過ぎて面白くなっちゃうくらい最悪です。映画にもその最悪っぷり(当然褒め言葉です)が余すところなく出ていて本当に良かったなあ。

「私は湊かなえの小説が多分みんな好きっぽいな」と思ったので、発行順に読んでいくことにしました。今、3作目の「贖罪」です。

 なんでそこまでハマったのかというと、人間のダメなところ、嫌なところをしつこく、ねちっこく、容赦なく書いてくれるからだと思います。
 別にそのダメ人間が作中で救われなくても、活躍とかしなくても、全然いいんです。むしろそうされちゃうと嘘くさく感じてしまうので、ダメな人間は最後までダメなままでいいんです。
「人間って、こういう嫌な部分を持っているよね」と作中で表現してくれることで、「こういう嫌な部分、自分も持っているけど自分だけじゃないんだ」と思えるというか。何の救いも無くていいからとにかく表現してくれるだけで嬉しいというか、同じダメさを持つ自分としてはそれだけで救いになるというか。

 去年の夏、凄く精神的に落ち込んでいた時に明るめの小説を何冊か読んだのですが、なんか怒られているような気がしてハマれませんでした。「ウジウジしてないで、明るく人生に希望を持って生きろよ!」みたいな説教をされている気がして、なんかダメでした。
 その時期に湊かなえの小説に手を出そうとは全く思わなかったのですが、その時期に読んでいたらちょっと面白い反応が自分の中で起こったかもしれません。

 そして湊かなえの小説を読んで、私もダメな人間を書けるようになりたい、と思いました。
 私はもちろんダメな部分を山ほど持つダメ人間ですが、どうもエッセイとしてさらけ出すのはリスクが高すぎる気がします。本名ですし。誰が見ているか分かりませんし。
 でも小説なら、自分じゃない架空の誰かの話なら、まだ書いてもリスクがちょっと減る気がしています。

 ここのところ、「小説が書けたらいいな」と思いながら毎朝1時間くらい何かしら思ったことや思い出したものを書いています。
 毎日全然違うことが出てきて、今のところまとまりがないのでまだ小説の形をとることは難しいのですが、毎日自分の内面を書き連ねていたら何かしら生まれるんじゃないかという期待を込めて、自由に汚いことを書き散らかしています。

 小説にできるほどじゃないけど、そのヒントになりそうな文章がさっき生まれたので試しにここに書いてみます。読めばすぐにわかりますが、性格がとことん悪いしこれをエッセイになんてしたら大変です。



 私は「もっと頼って欲しい」なんて、絶対に言わない。

 頼らなかった方が悪いの?違うでしょ?相談相手に自分が選ばれなかった不満を滲ませているだけでしょ?
「この関係性なら当然自分が頼られるだろう」という驕りでしょ?なんで自分は選ばれて当然だなんて思えるの?あなたを頼っても解決しない、だから選ばない、はい、それだけ。誰を頼るかを選ぶ権利は私にあるんですけど?

 何その被害者面?あ、そっか。「かわいそうな人を助けてあげたい」んだ。「かわいそうな人から頼られる自分」を確認したいんだ。
 そう、じゃあ、私はずっとかわいそうであればいいわけ?あなたの目にかわいそうに映っていればいいわけ?

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