僕らがつないでいく
11月3日。
今年もこの日がやってきましたね。
嵐、24歳のお誕生日です。
おめでとうございます💙❤️💚💛💜
毎年この記念日にはこうして何かしら文を綴るのですが、今回はこのタイトルで。
『僕らがつないでいく』。
皆大好きアルバム、『Japonism』の一曲。
私は2020年〜のファンなので、まだこの歌が発表された時はお茶の間でマイペースに嵐を楽しんでいた時代でした。
この歌を知ったのはほんの数年前、2021年3月の初めのこと、嵐友達にジャポのライブDVDを借りて観た時です。
なぜこんなにもはっきりと覚えているのか、そしてなぜ今回のタイトルになっているのか。
それは、私がもう人生でこんなに悲しいことはないと思うぐらいにひどい出来事が起こった時、この歌が救ってくれたからなのです。
きっと いつか この道に戻るよ
※私のこれまでのnoteを読んでくださっている方がいれば何度もお話しして申し訳ありません。
2021年3月中旬、すい臓がんと闘い続けた父が亡くなりました。
父が余命宣告を受けたのは、2月末、もうほとんど3月に近づいている頃でした。
すい臓がんは最終ステージに達している場合、数ヶ月で亡くなることもありますが、父は診断されてから2年4ヶ月もの歳月を生き抜いていました。
そんな父ならどこまでも生きられるのではないか。
心のどこかでそう信じていただけに、余命宣告を受けたと聞いた瞬間、全てが音を立てて崩れていくのを感じました。
人って、絶望しすぎると泣くことさえできなくなるんだな…。
それから、私はボーッとしたまま、そんなふうに思って過ごしました。
朝、晴れ渡る空を見ても何も嬉しくない。
仕事と父の看病で大変なはずの母が作ってくれたご飯を食べても、申し訳ないことに何の味もしない。
ただぼんやりしたまま、日々は過ぎてゆきました。
ある深夜、眠れずにいた私は、ふと友達から嵐のDVDを借りていたことを思い出しました。
そうだ。嵐のライブを観よう。
就活時代、内定がもらえず、毎日震えるほど怖がって眠れずにいた私が頼っていたのは、まさしく嵐でした。
朝まで、やっと眠れるまで、嵐の歌を聴き、5人の言葉を手帳に書いて夜を過ごしていたのです。
きっとそんな経験から、また嵐に助けを求めていたのだと思います。
自室で一人、パソコンの電源を入れ、DVDをセット。そのDVDこそ、ジャポでした。
再生してすぐ、観て正解だったと思いました。
さすが嵐のコンサート、どんな気分の人にも夢のように楽しい魔法をかけてしまう力があります。
観ているうちに、だんだん私は現実から離れ、5人のパフォーマンスに夢中になって、久しぶりに笑みがこぼれました。
でも、どんな時間にも終わりが来ます。
再生時間も残り少なくなった頃、また私は現実に引き戻されていました。
戻りたくない。
思い出したくない。
父がいなくなってしまうと言われている現実になんか。
嫌だ。もう。
もう、私は幸せじゃなくなるって言われてるようなもんなんだから…。
そんな時、暗い方向に向かっていた私の思考をふと包みこんだ優しい歌がありました。
それが、『僕らがつないでいく』でした。
5人の歌声を称える言葉なんていくら探しても見つからないだろうけれど、私は「優しい」が一番似合うのかなと思っています。
5人全員の人柄にも表れる優しさが、彼らから発される音にも顕著に表れているのでしょう。
そんな優しい歌声を聴いているうちに、心を失って何の感情も抱けなかった私の目から、みるみるうちに涙が溢れ出しました。
家族が寝静まっていたので、声を押し殺して泣き続けました。
涙を止める術も分からないほど泣けてきて仕方がありませんでした。
そして、あるフレーズが強く、強く心に跡を残しました。
父のいない「違う明日」なんか、幸せになれやしないと思っていました。
確かにそれは紛れもなくつらいことであり、私はきっと悲しみに暮れるに違いありません。
今までそばにあった幸せに、別れを告げなければならないから。
でも、「きっと」「いつか」、また「この道に戻るよ」…幸せになれるよ。
なんだか、嵐がそう歌っているような気がして、私は「ありがとう」と心の中で呟きました。
苦しい時、いつも助けてくれた存在。
彼らが歌うんだから、きっとそうなんだろう。
悲しくて悲しくてどうしようもなくなったら、この言葉を思い出そう。
ゆっくりでもいい。
そうしてまた、幸せになりに来よう―。
お別れの時は、案外早く来てしまいました。
余命宣告からわずか数週間後、父はこの世を旅立ったのです。
それから数ヶ月、私の様子は確かにそれまでとは違っていました。
突然涙が出てきたり、幸せそうな家族を見かけると足早にその場を立ち去ってしまいたくなったり。
そんな時、『僕らがつないでいく』のあのフレーズを、おまじないみたいに心で唱え続けていました。
時間はかかりましたが数ヶ月後、やっと私は以前の自分に戻ることができた、と思えました。
そうして、ちゃんと自分のそばにいてくれた幸せの数々に気づいたのです。
家族、友達、日々の喜びや笑い、そして嵐が教えてくれた世界。
きっと いつか この道に戻るよ。
がむしゃらに信じ続けていた魔法の言葉が「本物」であったことに、心から感謝しています。
あの時、この歌に出逢えて本当に良かった。
だって、私は今幸せだから。
ありがとう、嵐。
『僕らがつないでいく』にまた救われた話
実は最近、この歌にまた救われたことがありました。
私には、仕事とは別に目指している夢があります。
とても厳しい世界のお仕事です。
それでも子どもの頃から憧れて、諦めきれなくて追いかけ始めた大切な夢でした。
最初は「楽しい!」と思えることが多く、あまり苦しんだこともありませんでした。
でもそのうち、思うように上手くいかなくなりました。レベルが上がれば上がるほど、現実の厳しさを思い知りました。
私よりもずっと出来る人が真剣な表情で「悔しい」と言っていた意味が、やっと分かってきたのです。
そして、のんびり育ってきた自分が、思っていたよりも負けず嫌いだということも知りました。
それぐらい、「悔しい」と思う回数が増えてゆきました。
「悔しい」が積み重なる度に、私はより本気になりました。今までにないぐらい努力というものをしたのです。
仕事以外の時間を注ぎ込んで、研究し、勉強しました。
そうして定期的にある試験に臨みました。
正直、以前より点数は伸びたと思っていました。
合格に値する点数でなかったとしても、間違いなく近づけたと思っていました。
でも、返ってきた結果を見て、私は表情を失いました。
…1点も、伸びていなかったのです。
最初は何が起きたのかよく分からず、ぼんやりしていました。
でもだんだん悲しいことが起こったのだと理解してくると、私は泣いていました。
子どもみたいに、わんわん泣きました。
悔しくて悔しくて、心がばらばらになってしまうのではないかというほど涙が止まりませんでした。
…そんな時、『僕らがつないでいく』を聴いたあの夜を思い出していました。
あの時も、どうしようもなく苦しくて。
そんな時に嵐に救われたんだっけ…。
気づいたら、『僕らがつないでいく』を聴いていました。
ますます涙が溢れ出しましたが、もう泣くだけ泣いてしまおうと思いました。
みっともなく泣き続ける私に、嵐はあの時と同じ優しい歌声で背中を押してくれました。
きっと いつか この道に戻るよ。
あれから数週間、勿論今でも悔しくて、上手くいかないことも多いままです。
でも、少しずつでもいい。
這いつくばってでも前に進みたくて、以前のペースを取り戻して何かしら勉強に向かうようにしています。
そう思えるまでに回復したのは、嵐の力です。
また幸せになれるよ、と教えてくれる人たちを信じるのならば、また幸せになる準備をしなくては。
だから私は、今日も夢のために生きています。
『僕らがつないでいく』は二度も、いや、もしかしたらこの先も私を光へ導いてくれる鍵になるのかもしれません。
デビュー記念日近くで起こったことだったので、今回はこの歌にフォーカスをあててみました。
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例によって長々と語ってしまいましたが、今年もまた新たに嵐に感謝を贈ることが増えたということをお伝えしたかったのです。
毎年そんなふうに「ありがとう」と言いたいことが増えていくなんて凄いことだと思います。
SNS等を見ていると、私だけではなく、本当に多くの人々の心を救い続けていると感じます。
その歌に、そのパフォーマンスに、その言葉に、その生き方に。
どれだけ言葉を連ねても足りないぐらい助けられています。
嵐を好きになって、私の人生は間違いなく明るい方向に向かっていると思います。
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さあ、なんて伝えようか。
どうせどれだけ言葉を重ねても足りないのなら、呆れるほど言い続けよう。
嵐に出逢えて良かった。
いつも、本当にありがとう。
嵐、24歳のお誕生日おめでとう。