見出し画像

ありがとう 嵐といた すべての奇蹟に

今日、2021年12月31日。           嵐が5人横並びの姿を見せた最新の日、2020年12月31日から、1年が経った。

長かったようで、あっという間だった。

5人にとって、どんな1年だったのだろう。

きっとありきたりな疑問なのだろうけど、一番気になって仕方ないことだ。

5人にとって、この「休止」という期間は、どのようなものだったんだろう。

もう、ここでは私が思っていることを正直に書かせていただこうと思うので掘り下げるが、特にこの疑問を投げかけたいのはしょおくんだ。

主観が入っているだろうことは重々承知なのだけど、私の目から見て、しょおくんはずっと寂しそうだった。しかもそれは、幕を閉じていった嵐に未練さえあるのだろうと思った。

休止を発表するまで、メンバーが納得する着地点に持っていこうとしていたのがしょおくんだった。私は去年からのファンなので、休止発表前後のことは去年知ったばかりだ。でも、これを聞いて思った。「しょおくんが自分の気持ちをアウトプットする時間はあったんだろうか」と。しょおくんの気持ちはどこにある?彼の気持ちはどうなるんだ?と。 そうしてその分、去年の年末に向かってどんどん気持ちが溢れていたことに改めて気づいたのがこの前見返したVoyage。あの日が来てほしくない、といったワードが多くなっていたこと、しょおくんは気づいていたんだろうか。気づいてたか。

思い返せば今年、しょおくんを見て泣いてしまうことが多かった気がする。      貴さんと対談した時、年が明けてから20日間ぐらい、嵐の夢を見ていた、と言ったしょおくん。20日も嵐の夢を見ていたって、気が狂いそうなことだ。目が覚めた時、現実に引き戻された彼の気持ちを思うと、あまりにも残酷で切なくて、涙が止まらなかった。

山担だから山の話をしてしまうが(通常運転)、休止に対しても捉え方が一番正反対だったのは、山だったんだと思う。多分、一番休止したくなかったのは、しょおくんだったんだと思う。

山はどこまでも正反対。得意なことも正反対、休止に対しても正反対。

本当は、一番嵐に未練があって、休止したくないけれど、尊敬し慕ってきたお〜のくんの気持ちを尊重し、必ずフォローする、とLINEして、本当に守ってみせたしょおくん。

そんなしょおくんからのLINEに涙ぐみ、そのメッセージをずっと保護していた(保存...?)お〜のくん。グループで唯一しょおくんより歳上のこの兄さんは、きっと、しょおくんの気持ちを理解していた。二人で飲んだ話が聞けるお〜の's だいありーは必見だ。ずっと着地点を見出そうと頑張ってきたしょおくんが、感情を抑えきれなくなって、恐らく泣いて、「最後まで笑顔でいよう」と伝えた相手が、お〜のくんだった。

そこでハッと気づいた。まだファンでなかった頃に読んだ休止発表の記事で、お〜のくんが言った、最後まで笑顔でいようと言ってくれた人。それは、しょおくんだったのだと。

最後まで、笑顔でいよう。これは、嵐が休止に向かう中で、一つの大切なキーワードだった気がする。

最後まで、笑顔でい続けようとしていたしょおくん。この人、泣かないつもりなんだろうか。そう、心配さえしたことを覚えている。  そんな人が、This is 嵐ライブ最後の最後に、ポロリと流した一筋の涙。        彼がこの言葉に縛られすぎず、ちゃんと、最後に泣けたこと。正直、良かったなぁ、と少しホッとして、私も泣いた。でも同時に、あの涙が今でも忘れられなくて、切なくなるのも事実だったりする。

そして、しょおくんのこの言葉を全力で守り通したのがお〜のくんだった。しょおくんとは対照的に、泣くのかな、と思っていたこの人は、決して泣かなかった。      5×20の時、休止は命がけの決断だった、と泣きながら言ったお〜のくん。今年になってやっとDVDで観たのだけど、本当に苦しかったんだろうな、というのが伝わってきて、気の毒だとすら思った。           だから、改めてThis is ライブを振り返ったら、最後に見せたあの微笑みが、あんまりにも穏やかで、憑き物がとれたようで、こちらはこちらで楽になれたのかな、良かったな、と思ってやっぱり泣けた。

泣くと思っていたお〜のくんが微笑みを見せ、泣かないと思っていたしょおくんが涙を流した。                そんな二人は最後の立ち位置も正反対で、二人は風っ子を挟んで一番遠い端っこ同士だった。だけど、二人で交わした「最後まで、笑顔でいよう」という約束に対して、それぞれがそれぞれのやり方で守ったことで、物理的な距離が遠くても、まるで隣にいるかのような心の近さを感じる、山の強い絆がそこにあった。

そして、2021年になって観た、最後のVoyage。お〜のくんのラストの言葉が、「最後まで、笑顔でいよう」だった。     最初は、泣いてまで、しょおくんが伝えた言葉。それを最後に、お〜のくんが優しく世界に放って行った。

やっと自分の話に戻って来るが(もう何が言いたいのか分からなくなってきた)、「最後まで、笑顔でいよう」は私にとっても大切な言葉だった。だから本当に、最後まで笑顔でいようとしていた。            ちょうど1年前に観たThis is 嵐ライブの終盤、The Music Never Endsなんて泣いて泣いて嗚咽が止まらないぐらいだった。Love so sweetだって、こんなに泣ける歌だったんだとずっと泣いていたけれど、ふいにこの言葉が頭をよぎったのだ。          だから、嵐が光に溶けていくあの時。私は笑った。涙でべちょべちょの顔で、私は笑った。あまりにも下手くそな笑顔だったかもしれないけれど、本当に、最後まで笑っていたかった。こうして、私は笑って嵐を送り出した。

一番新しい日が、一番嵐を想って寂しい。 最近、そう思う。            普通に嵐の歌は聴くし、普通に個々の番組も楽しく観ている。            でも、もう、好きになった人たちが見えない所に行ってしまうのは、もう、寂しいなぁと思う。人の幸せに貢献してきた5人が、自分のために幸せを見つける時間であってほしいと思うと、多くの人の目に触れてしまうTwitterでは言えなかったこと。1年かけて自覚した感情。それが、寂しさだった。

好きなシンガーさんの活動休止。     好きな作品の打ち切り。         好きな声優さんの引退。         打ち切られた作品なんか、もう12年近く待っている。               「推し」にどこかに去られてしまうことが多い私は、嵐という推しの旅立ちを経て、もうこれ以上、こんなにも入れ込むぐらい好きなものを増やしたくないなぁと思うほど、本当は、とても、とても寂しかった。

でも、この休止という期間を、「悲しい」とは思いたくなかった。「寂しい」と思ってもいい。でも、「悲しい」は違うのではないか、と。               「命がけの決断」だった活動休止。それを「悲しい」と思うことは、嵐に失礼なのではないだろうか。

実際、メンバーにとって休止期間というのは、嵐ではできなかったことをやる、実りある時間だったのだろうと思う。      例えばおじゅんの大河主演。ニノのじゃにのちゃんねるだってそうだろう。忙しく局を跨ぐ櫻葉の二人も、動きやすくなったのではないだろうか。              それは目に見えない所でもあったはずだ。お〜のくんがゆっくり過ごしている日々も、それまでそんな風に休めたことがなかったのだから、新しい経験として実りあるものだろう。年末寝れなかったおじゅんが少しお休みしていた今年の前半もそうだ。

この休止には、きちんと意味がついている、と思う。               「5人それぞれの道を歩んでもいいのではないか」                 リーダーには、何が見えていたのだろう。この1年を振り返ると、この言葉が、それを決めたことが、つくづく凄いな、と思う。

本当に、凄い。この1年、ますます「嵐って凄い」と思わされた。

私にとってこの1年は、今まで持っていた幸せを手放して、それでも未来に走ってゆくものだった。

父の死。                学生生活の終わり。           社会人生活のスタート。         新しい夢への準備。

楽に生きられるなら、楽に生きた方がいい。増してや、一人っ子でちゃんと両親がいて大きな心配事なくぬくぬくと育った私ならなおさらそうしたい所だ。でも、後々後悔したくなくてわざと自分の首を絞めるような選択をするようになった。           私は、一人じゃ強くなんてなれない人間だ。人一倍臆病で、不器用で、要領も悪い。他の人が当たり前にできることがなんでできないんだろうと思ったことなんて、片手で数えることなんてできやしない。だから本当は、慣れた幸せを手放すなんて、怖くて仕方ない。そんな私だから、2021年で起こったことなんて、全部避けたかったことばかりだ。学生から社会人になることはまだしも、生前の父と過ごした時間を離れること、今の環境を変えることになる夢のために行動を起こすこと、この2つには頭を抱えた。

嵐って、凄い。それが、私の背中を後押しした。

肉親を失った悲しみに寄り添い、知らない世界に飛び込む恐怖を和らげてくれたのは、嵐だった。「嵐」という姿が見えなくなっても、5人は確かに私の心の中に存在していた。

「寂しかったら嵐を聴いてください」

苦しくて抜け出せないような気がした時、おじゅんがThis is ライブの挨拶でそう言ってくれたことを思い出して、嵐の歌を聴いていた。                  大丈夫。また笑って、幸せになれる日が来るから。                 嵐の歌のスタンスって、きっとこんな感じだ。そっと、側にいてくれる。ああしたら、こうしたら、と言わず、静かに隣に座って、大丈夫。大丈夫。と優しく背中を叩いてくれる。あたたかい人柄がそのまま表れたような優しい歌声に、たくさん、たくさん泣かせてもらった。そうして泣いたら、少しスッキリする。そしてまた、頑張れる。自分一人じゃ抜け出せない負のループを断ち切ってくれるのだ。

冗談なしに、嵐は明日を生きる糧だった。 嵐は休止後も、ファンに手厚くしてくれた。ライブDVDの発売、ウラ嵐の配信、ライブフィルムの公開、舞台挨拶やFC動画でのサプライズ。                 世の中には色んな考え方があって、皆が皆、納得するわけではないことも分かっている。けれど私にとって、嵐はずっと変わらず誠実だった。ファンのために、真剣に話し合って決めてくれたこともあった。どうしたら寂しくならないか、笑顔になってもらえるか。その誠意を感じて、感謝の気持ちでいっぱいになってまた泣いて、そして、前進する勇気をもらえた気がした。

5人は、あまりにも才能豊かで神様のようで、でも凄く人間くさくて(そういう所がとても好きなのだけど)、しかしやっぱり救世主みたいな人たちだ。姿は見えなくても、いざという時に5人の生き方、言葉、歌声、パフォーマンス、様々な仕事に対する姿勢は、私を深淵から助け出してくれる。

そんな人たちだから。私に、人は何度でも再生して幸せになれることを教えてくれた人たちだから。               この旅路が、どこに繋がっているのかなんて分からない。予期できないことも起こるかもしれない。それでも私は、ただただ、5人の幸せを願い、5人からいただいた幸せを無駄にしないよう、自分の人生を懸命に生きて行こうと思う。

しょおくん。あなたはどんな着地点に至ったのでしょうか。             私は、寂しいほどに幸せでした。嵐のこと、嵐以外のこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、全部全部、あなたと4人に泣かせてもらった。                寂しいって、泣いていいんですよ。でも、あなたがそうしないのなら、あなたはそのままでいい。少しでも多くの幸せがあなたを包み込んでくれますように。あなたの心があたたかく在れますように。

お〜のくん、しょおくん、あいばくん、ニノ、おじゅん。             5人全員が、ますます幸せで充実した来年でありますように。

今日、2021年12月31日。         嵐が5人横並びの姿を見せた最新の日、2020年12月31日から、1年が経った。     私は劇場でライブフィルムを観ていた。キラキラしていて、美しくて、大好きな5人を目にしたら、やっぱり泣いてしまって。この1年で嵐に流した涙を集めたら、2Lペットボトルが満タンになりそうだ。        でも、ふいにあの言葉を思い出して、泣きながら笑う。1年経っても、何年経っても、私は守り続けたいよ。

「最後まで、笑顔でいよう」

2021年。ありがとう。嵐といたすべての奇蹟に。

P.S.去年の絵を添えて。